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邪悪な許し難い異端の…。

「な、なにをする?!」
「いいから来いや!」
 学校まであと二駅というところでぼくは女子高生に手を掴まれた。ぐいぐい引っ張るそれ、、は強固で、血が滲む強さをもってぼくを拘束していた。
「痴漢だ痴漢」
「死ねばいいのに」
「ああいうの軽蔑する」
「あいつ終わったな」
「通報した」
「よし俺が殺す」
 こそこそこそこそ。周囲の何人かが好奇の視線を向けてくる。うっさいんだよと圧を向けたくなったがグッと堪えた。
 駅の発着場は多くの人で混雑しており、通勤者の群れがぼくの遅延した意識の中でゆったりと流れていく。大半が揉めるぼくらに意識を留めることなく、あるいは留めてもすぐに興味を失して立ち去っていく。
 電車発着のアナウンス。中空にか浮かぶ電光板。ぶんぶんと虫のごとく飛び回る治安翔蝿の群れ。車輌一つ隔てた向かいのホームでは放火未遂犯が乗客に袋叩きにされており、激昂したそのうちの一人が制止しに来た駅員にも殴りかかっている。その隣では全裸に包丁装備の中年女性が、札束の詰まったジュラルミンケースを手に逃走中の男女児童二名を追跡中だった。
 そんな場所で、ホームの車輌乗降口前で口論する二人。周囲はぼくらを邪魔っ気に遠巻きにしていた。
「何をしている?」
 ああ、もう。横から割り込んでくる正義漢が癪に触る。いかにもなスーツ姿の男は、悪を見つけた断罪者の面持ちでもってぼくに嘲笑と嗜虐の眼差しを向けた。ストレス社会の奴隷だ。抑圧された思いを目の前の悪徒を生贄に発散しようというのだ。
 イラッとしたので男の前で軽く手を振る。するとあら不思議、男は喉の奥できえっ!と声を鳴らすとそのまま地にうずくまり、ガタガタと震えやがて人事不正前後不覚に陥った。
 何も難しいことはない。単純に手首から先の動作に恐怖を惹起させるパターンのを込めたに過ぎない。精神に耐性のない者は理不尽な恐怖に襲われ、脳が現実から逃避することを選択するのだ。結果このような昏睡体が完成してしまう。
 しかし困ったものだった。よりによってぼくは痴漢犯罪に巻き込まれてしまったのだから。
 ことは昨夜の夜ふかしに起因する。友人と今日実行する予定の学校テロについて最終確認を行なってい、精神が昂じてなかなか寝つけなかった。この計画の準備にはには数ヶ月の用意と総計五人の死者が出ている。もう後戻りはできなかった。
 そして今朝、ぼくはものの見事に寝坊をかましてしまったというわけだ。やれやれ。慌てて電車に飛び乗ったものの、それは日頃避けて通る時間帯の一本で、“ピンク”の名で知られる恐怖の車輌だったのだ。
 金融崩壊と経済恐慌と財政破綻を経て内乱が勃発し収束した後の復興途上にあるこの国では、治安は以前と比較すると目に見えて悪化していた。内乱時には路地裏を歩くうら若き女性や、女性でなくても平然と強姦されるような状況で、遂に意を結した彼、彼女らは自衛のための武装を始めた。
 元は性被害に遭い、光明網ネット仮装人形iDOLLをしていた引きこもりのアイドル女子高生が〈猛烈りっぱー〉なる鎖鋸チェーンソーで通学したことが始まりだった。通学途中に遭遇した性犯罪者計三十五人をズタズタに引き裂いたことが話題により、国内に自衛武装の機運が高まった。彼女は英雄視され全国の性被害者に多大な勇気を与えた。彼女の大虐殺はまだ再設まもない法治機関からは看過及び黙認された。治安悪化の現状を鑑み、彼らも国内の自衛の必要性を感じていたのだろう。
 結果、数年で多くの性被害者が武装した。単純な火器の保有から、薬物による感覚操作、遺伝子改造による肉体強化、義体化、拳法習得&新流開伝、電駅機ターミナルの体内埋込、悪魔召喚、天使顕現、金にものを言わせたボディーガード随伴、徒歩or自動車通勤等々、多種多様な自衛方法が確立された。
 それは駅も例外ではなかった。中でもピンクと呼ばれる車輌は、駅員に無断で派手なピンク色に着色されており、最大手の過激派が乗車していることで知られていた。彼女らは血の気が多く、そのピンク内での揉めごとは凄惨な被害を呼ぶことからご法度とされていた。全員が百八十五センチメートルを超える慎重に百キロ近い体重、筋骨隆々正に山の如し。日頃狭い車内がもっと狭く感じる。匕首、刀、鎖鎌、槍、拳銃、短機関銃、突撃小銃、対戦車砲、手榴弾。あらゆる武具が持ち込まれ、少しでも怪しい動きを見せたら速攻で半殺し或いは殺害される。
 そして今日ぼくが乗り合わせた車輌も、そんなピンクの一つだったのである。恐怖に耐えてドアの前でじっと息を凝らしていたのだが、この恐怖の車輌にも関わらず、人は満杯だった。遅刻を恐れぬ人がここまでいるとは驚きだった。遅刻=死か退職だ。それに関わらず、ぼく以外の人は慣れているのか眠たげな顔ですし詰めの車内で過ごしている。
 そんな時、ぼくの手を掴み上げた者がいた。
 それが件の女子高生だったわけである。
 幸いなことに停車と同時に女子高生がぼくを外に連れ出してくれた。そうでなければ今頃ぼくは過言でなしに死んでいただろう。ピンクの連中は領分をよくよく弁えているので一歩でも外に出ればもう追いかけてはこない。領内では守ってやるがあとは自己責任だ、というわけだ。血の気が多いとはいえ、そこら辺の線引きはしっかりと成されていた。
 駅員は忙しげだった。よって痴漢程度の犯罪には中々手が回らない様子だ。
 女子高生は腕を組み、ぼくを睥睨した。肩から下げた通学鞄とロシア純正のAKが揺れる。
 ぼくも右手を咬まれたまま、、、、、、、、、憮然と見返した。
「で、お前がやったんだろ」
 女子高生は地面に突っ伏する会社員をつんつんつま先で蹴りながら問う。可哀想に、男は解雇されてしまうのだろうなと思った。ぼくの圧のせいで。
 圧といえば、この女には圧が効かなかった。右手を拘束された時から再三試みてはいるものの、恐怖に鈍感あるいは慣れてしまった者には効果がない。恐らくこの女も性被害者なのだろう。恐ろしい経験を積み、やがて自衛してちょっとやそっとのことでは怯えなくなってしまったのだ。
 ため息をついた。
「違うよ。こっちは用事があるんだから退いてくれよ」
 ぼくはポケットの中の紙束を握りしめながら反論する。早くしないと友人に殺されてしまう。
「知るか。逃さないかんな」
「そっちこそ知るかよ。やってないと言ったらやってないんだから」
「いや、お前はやったね。なぜならわたしのケツに触れた瞬間にがお前のをしっかりと咥え込んでいるからさ。今だって」
 そう、生えているのだ。女子高生のスカートの中から、謎の触手が。それは男根ペニスそっくりだった。この女は自身の恐怖の象徴を植え込み、それを克服したのだろう。それは自衛のために大いに活かされていた。
「そんな…ちがう……ぼくは…………」
 ぼくは左手で顔を覆った。声が小さくなり、徐々に嗚咽が混じる。
 あんまりだ、こんなこと。
 女子高生は冷ややかだった。腕を組んだまま超然とした態度を崩さない。
 ぼくは泣きじゃくった。
「う、う、、、おかしいよ…こんなことって。おかしいよなぁ……」
「……」
「なんで…ぼくがっ…ふふ」
「……」
「いやいや、まさかなぁ。ふはは。こんなことになるなんて………」
 ふはははは。
 哄笑した。
「あっは。おっかしぃ〜、しっかりと気配は消してたのになぁ。ふへ…ふはははは」
「死ぬ準備はできたか?変態野郎」
 ぼくは左手で涙を拭った。笑いすぎたおかげで朝からの眠気は去っていた。
「いや、ただの事故だよ。冤罪だ。けど尻を触ったのは謝るよ。人違いだったんだ。ごめんなさい。だからもう──」
 ぼくは手を咬まれたまま背中を向けようとした。
「行ってい…」
 行っていい?と言い切る前に制止された。
「だめだ死ね」
 まあよい。ぼくもそこは想定内だ。
 ぎぃ?!という悲鳴。触手が破裂するように千切れ飛ぶと中の組織を露出させた。
 咄嗟に女子高生が背後へ飛び退る。先ほどまでとは打って変わってその顔には焦りがありありと表れていた。取るに足らない変態野郎が実は捕食者だったことにようやっと思い至ったらしい。
 その間ぼくはのんびりと手にがっちり食いついた触手の顎を千切りとっていた。粘つく体液を払い、ブレザーの襟前を整える。
 ぼくは首が百八十度ねじくれた男の前にしゃがみ込んだ。開いた口からは茄子のような紫の舌が覗いている。この男はさっき女子高生と口論している間に殺した。指先で喉元を掻っ切ると吹き出た血を整髪料に髪を整え直した。
 うん、男前だ。血溜まりに映る自分を見て満足が行った。
「これでよしっと」
 ぼくは右腕を前に突き出して手首をピンと90度上に立てて親指を開き、向こう側が見えるくらいの大穴が穿たれた右掌の先に、醜い触手が千切れ飛んだ女子高生を捉え、相手を制止する姿勢を取る。
 女子高生はようやくAKを構えたところだった。黒い銃口がぼくの胸板を真っ直ぐ捉える。
「やめたほうがいい。君はぼくの大切な人に似ているから殺したくはないんだ」
 ぼくは女子高生に警告する。
 それに──
「君じゃぼくに勝てないし、ね?」
「しね!」
 激昂したJKの銃撃。
 毒々しい銃火が噴き出した。鉛の銃弾が火を曳いて射線を走った。大気を裂く死のアギトがぼくに迫る。
「やれやれ」
 空気を裂く感触。ぼくの双腕が踊った。本体の意思を完全に脱した獣のようにそれは空を駆け巡った。残影が彗星のように尾を引く。ブレザーの二の腕の部分が破け飛んだ。血管が浮き出、筋肉が隆起し、一挙に二倍もの大きさに膨れ上がったように錯覚させた。
 銃撃はJKが弾倉に貼り付けた予備弾倉を消費し、さらに二つの弾倉を使い切るまで続いた。装弾リロードには一切の無駄がなく、彼女がいくつもの修羅場をくぐり抜けてきたことが察せられた。
 しかし相手が悪い。
「ね、言ったでしょ?」
 ぼくは手の内に握り込んだそれをパラパラとコンクリの地面に落とした。赤銅色のそれが陽光を受けて鈍く煌めいた。
 空中で受け止めた、弾丸たちだ。
 背後で七人が倒れた。流れ弾にあたったのだろう。あるいはぼくが弾いた弾丸に。
 悲鳴。逃げる人々。駅員は見て見ぬふりをしている。
 JKは慄いているようだった。まさか突撃小銃をフルオートで放ったのにも関わらず全て凌がれるとは想いもよらなかったのだろう。冷や汗をかいて可哀想なほどだった。
 と思いきや、
「お前…お前……もう、どうなってもしらんぞゴルァぁ!!!!!」
 地響き。地鳴り。まるで直近で稲妻が轟いているような、腹にくる衝撃。周囲の人達は立っていられないらしく、しゃがみ込んだり倒れたりしていた。かくいうぼくも眩暈を催すほどだった。
「?!」
 女子高生の真横、コンクリ地面が突如隆起した。粉塵が撒かれ、白墨の粉をひっくり返したような霧の様相を呈する。五感を震わす唸り声。腰ほどの高さにそれが達した時──。
 地面を巨大な鎖の刃が砕き裂いた、、、、、、、、、、、、、、、
 駅のホームは真っ二つに分かれ、電光版は途切れ、日除けが崩壊して多くの人を巻き込んだ。風圧で人が塵のように吹き飛んでいく。真空の刃に真横から撫で切りにされた者すらいた。三百六十度、全方位列車も含めて二分された。生き残ったのは極々僅かな強者に限られた。頭上の蛍光灯が折られてぶら下がっている。ホームは一気に死屍累々の様相を呈した。天地開闢天変地異を想起させる光景に呆れが止まらない。
 そして現れた鎖鋸チェーンソーはあまりにも凶悪な見た目だった。どう考えても林業に利用される類のものではない。なによりも動力機関が大型トラックに搭載されるようなばかデカさで、全長も大型バイクほどある。刃も歯列矯正に失敗したような乱杭歯で、ところどころに空いたベンチレーターを思わせる排気口からエキゾーストと共に焔が噴き出た。
 そしてぼくはその名を口にした。
「〈猛烈りっぱー〉」
 自衛の始祖、元引きこもりのアイドル女子高生がここにいた。
 とんだ不幸だった。まさかこんなところにいるとは思わなかった。
 思えばおかしい話である。ピンクに乗車していながら痴漢被害に遭ったにも関わらず、彼女らに突き出さず自分で処理しようと試みた時点で不審に思うべきだったのだ。
 なるほど、この大きさなら三十五人殺しも誇張ではないのだろう。
 けど。
 伝説のJKと言えど、さっきの登場でもう見切った。大方ライディングテクニックを駆使したブースターによる加速斬撃と真空刃を用いた遠隔攻撃を使い分けているのだろう。物凄く素早いので全範囲方位攻撃と錯覚するが、その実避けられないこともない。他の武器があるにしてもさっきのAK程度だろう。余裕だ。
「言ったじゃん。君はぼくには勝てない、って」
 もっとも、もう聞こえちゃあいないだろうけど。
 ぼくは指を鳴らす。
「ぜえぇっっったいっ!!こぉろおぉぉぉぉぉすっ!!!!!」
 女子高生の跨った〈猛烈りっぱー〉が唸りを上げた。

 やれやれ、ぼくは屠殺した。



「えらい目にあった…」
 ぼくは線路の上を疾走した。電車は事故のため運休になってしまったからだ。まったく、迷惑してしまう。
 しばらく走り続け、銀色が反射する陽光を眩しく思いながら、ぼくは先の鉄橋の下に彼女の姿を発見した。よかった、まだ登校中だ。
 ぼくはポケットの中の紙切れの存在を確認すると、ますます歩速を上げた。
 高度は十メートルほどあった。躊躇なく鉄柵を飛び越える。ぼくは膝から衝撃を逃してあっさりと着地する。そしてその背中に向けて再び駆け出した。
 気配に気づいたのか、彼女は振り返る。
 綺麗だと、お世辞でなしに思った。彼女はこの世で一番美しいのだ。そしてそんな彼女と行動を共にできることに、ささやかな誇らしさを覚えた。
 風に流される艶やかなショートの髪から覗く白い耳、挑戦的な弧の眉毛と長いまつ毛の下に赤真珠色の瞳、やや紅潮した頬、綺麗なラインの鼻筋、少し厚みを持った薄桃色の唇。黒いセーラー服に紅いリボンが揺れて、風に流された短いスカートから細長い御御足が覗き、くるぶしが露出するくらい丈の短い靴下の上に顔が映るくらい黒艶のある美麗なローファーを履いていた。そして背中に一本の赤い筋の入った日本刀。
 彼女は背中で指を組み、片足を軽く前へ上げる姿勢で振り返りぼくを迎えた。
「ごめん遅刻」
「ううん、今きたところ」
 よかった。ぼくは彼女の懐の深さに感謝する。

 一閃。

 紙切れを握り込んだまま吹き飛んだぼくの右腕がくるくる宙空を舞いながら血潮の尾を吹いた。
 ぼくは腕のなくなった肩の切断面を押さえる。
「う゛お゛お゛お゛お゛?!」
 辛うじて失神は避けたものの、痛みで路面をごろごろ転がった。
「浮気した?」
 刀身に着いた血を振り払いながら彼女は問う。その様はさっきのノコギリなど比べものにならない凶意が込められていた。
「してない…誤解だ」
 嘔気に耐えながらそれだけ言った。
「嘘だ」
 本当です。
 ぼくは苦痛を忘れるべく調息を試み、やがて落ち着いた頃に経緯を説明した。痴漢冤罪の件についてだ。
「──とにかく、自分の後始末は自分できっちりつけたし、ちゃんと殺してきたから安心してください」
 彼女はしばらく疑わしげな目でぼくを見つめていたけど、潤んだ瞳に真意を汲み取ってもらえたのか右手を拾って持ってきてくれた。
 そして切断面同士をくっつけて連関術を駆使して接合してくれた。痛みはまだ残ったけど、しっかりと指先まで動いた。
「ごめんね。痛かった?」
「ううん全然」
 すごく痛かった。
「それより心配かけてごめんね」
「ううんぜんぜん」
 ぼくは彼女に引っ張り上げてもらった。
「さっ、学校をぶっ壊しに行こう」
 彼女がぼくの腰にに手を回す。ぼくも彼女の肩に手を回し、痛くないふりをしながら歩く。今でも試されているのだ。ぼくが彼女に相応しい男かどうか。ぼくはふさわしくありたい。
 学校までの短い道すがら、ぼくは彼女のスカートの腰部分の隙間に紙切れを差し込んだ。
 これは?と怪訝な顔で引っ張り出す。
「学校ぶっ壊しの計画書だよ。昨日最終調整した時忘れて帰ったろ?」
 ああ、と彼女は得心がいったように頷いた。
「もう頭に入ってたからよかったのに」
「そうだったか…」
「でもこの渡し方は、感心しませんね」
 彼女がビリビリと計画書を破きながら言った。そして前にそれを巻いた。紙吹雪だ。
「まるで痴漢じゃん」
 まったく、そのおかげで酷い目にあった。
「いやいや」
 ぼくは舞い散る紙片を網膜に焼き付けながら返す。
「冤罪だよ」


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