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うっかり殺害!貴族転生!!

 生意気な貴族を殺したら遺族に恨まれ、司法局の執殺官に追われてネロウの都を散々に逃げ回った挙句、密航行者に依頼してドゥリムン川を渡って国境を抜けようと試みたところで裏切りに遭い、遂に命運尽きて年貢の納め時と相成った。
「つっても悪いのはあいつだろ」
 逮捕時に愚痴ったのはそんなセリフである。当然聞く耳を持たない執殺官は紫苑を司法局の暗い石牢に鎖で縛りつけた。
 そして遺族の意向いかんによっては拷問をくわえて牢で飼っている犬の餌にすると言った。
 そんな周りくどいことをするくらいならさっさと殺せば良いのに、と思ったが口にはしなかった。殴られるからだ。
 とまれ、貴族殺しの罪は重いので死刑は確実であった。ならばせめて死ぬ前に何か後世の人々の心に残るものを作っておきたいものだと考えた。が、功績を残そうにも今は拘束されて何をするのもままならない。貴族一人を殺した程度の罪では学校の教書にも載るまい。これまでこそこそと隠れ潜んできたものだからろくに罪を重ねることもなかった。もっと殺して悪聞を広めておくべきであったと今になって思う。
 考えた結果辞世の句を残そうと思った。それも飛び切り粋なやつだ。しかしどうにも思いつかない。
「うーむ」
 考え込んでいると監視官が声をかけて来た。
「何をしている」
「詩を考えているのだ。どうせ死ぬなら良い詩を詠んで今生の別れとしたいものだ」
 それを聞いて監視官は呆れたようだった。
「何を言い出すかと思えばそんなことか。泣き出さないだけマシだが」
「これまでのはそんなにうるさかったかね?」
「いかにも。聞くに耐えない泣き言に雑言、口に布切れを詰め込んでやったね。そしたらそれを飲み込んで死にやがった。お陰で始末書を書かされた」
「ははは。ずいぶん面白い話じゃあないか」
 紫苑は笑うとげほげほと咳を吐いた。ここはどうにも埃くさい。
「…失礼、水をもらえないかね?」
「ならん」
「薄情者め、オレが喉を枯らして遺族が来る前に死んだらどうする。次は始末書ではすまんぞ。クビになって露頭に迷った挙句、自分の行いを後悔して世を恨み、オレのようにそこらの貴族に手をかけ、長い苦痛に満ちた逃亡生活の末に人を信じて裏切られ、そしてこうしてツケが回って死ぬのだ」
「よく喋る」
 監視官は近くの蝋燭に火の灯された卓の上から水さしを取ると、その注ぎ口を紫苑の口元に向けた。
「溺れるなよ」
「ふふふ、こんな水さしで溺れるなど末代までの恥よ」
「貴様が末代だよ」
 水さしが傾けられた。紫苑は喉を鳴らしながらひたすらに呑んだ。そして水をあらかた飲み終えてしまった。
 息を吐き、
「こいつは美味い」
「本来は花瓶に注ぐための水なのだがな」
「なぁに水に貴賎はない。美味ければ、高峯山脈の地層を十年かけて濾過され下ってきた水でも犬の小便でもかまわんのだ」
 監視官はため息をついた。
「貴様を見ているとどうにも力が抜ける。これから死ぬとわかっていながらよくまあそこまで気楽に構えていられるものだ」
「わからんぞ。実はオレには切り札があって貴様を殺し、ここから逃げ出す用意があるかもわからん」
「貴様……」
 険を露わにした監視官の瞳に紫苑は笑いかけた。
「おお、怖い怖い!しかし案ずるな、見ての通りオレの両手は塞がれている上に足は混凝土で固められている。かくなる上は手指の骨を折って鉄輪の拘束を解き、足を切り落とさねばなるまいて。そして貴様をなんとかしなければならん。そんな阿呆な所業ができるのはプレメルテ雑技団の軟体人間くらいのものさ」
「たしかに……」
「然り然り」
「して、貴様はなぜ貴族──わけてもこの国有数の財力を誇るキシラ一家の長男坊を手にかけたね?」
 監視官は制帽を被り直した。その時に見えた結い髪のほつれとうなじが妙に艶めかしい。胸の前で腕を組んだ。制服越しにもわかる豊満で形の良いそれが潰れる。
「拘束を解いてくれたら教えるがね」
「よほど痛めつけられたいと見える」
 パシリ、と腰から抜いた硬鞭を掌に打った。
「冗談冗談。なぁに、大したことではない。道を歩いていたら奴の乗る牛車が道端の泥だまりにその車輪を突っ込んで泥を跳ねさせてね、それが道を歩いていたオレと妹にかかったのだ。オレはともかく妹にかけたのは許せんので、おい謝れと叫んだところ、奴が降りて来てなんだと言い返してきたのだ。そこからはもう口論よ。罵詈雑言を駆使して奴を論破したらキレて剣を抜いてきやがったので、仕方なしに近くの八百屋から包丁を借り受けて応戦したら奴の手元が狂ってだね、こう、剣がすぽんと抜けたのだ。そしたら妹にかすってしまった。オレは怒り狂ってそいつの水月にスイと包丁を差し込んでしまったのだ。気がついた時には手が血で真っ赤であったよ。これはしまったと思い、その場に駆けつけた警邏を殴り飛ばして逃げ出したというわけだ」
「妹はどうなった?」
「逃亡生活の途中実家を覗いたが元気で過ごしているようだ」
「それからこうして今日捕まるまでに逃げ回っていたというわけだな」
「然り然り」
 紫苑は彼女特有の首肯をした。
 監視官は、
「しかし貴様がいなくなると妹も寂しがるのではあるまいか?」
「ああ、死ぬ前に妹に会いたかったな。しかしそれももう叶わん。だから良い詩を詠んで妹にくれてやりたい。ついでに我が名聞を広めて寂しくないようにしてやりたいのだ」
「そういうことだったのか」
 監視官は少なからず心を打たれたようてあった。
「うーむ、寂しいなー。逃がしてくれないかなー」
 紫苑はちらちら横目で監視官の顔を盗み見た。
「ならん」
「薄情者め」
「もし逃がしたらわたしはどうなる。次は始末書ではすまんぞ。クビになって露頭に迷った挙句、自分の行いを後悔して世を恨み、貴様のようにそこらの貴族に手をかけ、長い苦痛に満ちた逃亡生活の末に人を信じて裏切られ、そしてこうしてツケが回って死ぬのだ」
「ぬぅ」
 そう言われては紫苑に返せる言葉はなく、ただ黙って唇を噛むことしかできない。
「くそぉ」
 妙に気の抜けた悪態を一つつくと、やがてこんな身の上話をしている場合ではないと思ったと見えてうんうん唸りながら詩作への思案を必死に巡らせることにした。
 しかし学舎にいた時分から文業というものに馴染みが薄く、詩をもってこいという教員の課題にも隣人や友の作品から一節を抜き出して継ぎ接ぎしたものを提出し、なんだこれは、と小突かれるということを繰り返していたために今さら付け焼き刃でどうこうなるものでもない。
 そのうちにやはりここから脱獄した方がよっぽど楽だと思ったと見え、監視官の手前にも関わらず鉄輪を鳴らして拘束を解こうと試み始めた。
「やめろバカ、うるさい!」
 監視官の制止にも、
「いやだ!オレは生きて妹の元へ帰るのだ!!」
 と聞く耳を持たない。
 そのうちに監視官に硬鞭をえいと打ちつけられて悲鳴を上げ、ぐったりと項垂れたところへそれを聞きつけてやってきた牢主が、何事だ遺族が来る前に殺してしまっては次こそ貴様はクビだぞと諌めて出て行った。
 両者はぜえぜえと息を切らして、
「貴様が騒ぐから見ろ、注意されたではないか」
「お前がオレを解放しないのが悪いのだ」
 口論を始めた。
 監視官はため息をついた。
「少し待て。もう少しでいい」
「なんでだね」
「貴様に聞かせたい詩がある」
 監視官は目を閉じ、記憶の中のそれを手繰り寄せた。
「あれはたしか、五歳の時だったと思う

【未完】

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