百万遍

それは洗濯物を干す為に、ベランダへの窓を開ける。随分人間的な所作だなあ、と薄ら思考する。カーテンが室内に向かって靡いて、その肉体本体の布を纏ったその存在が私の視界内で明滅する。確かにそれはそこに存在しているように見える。私の感覚神経はそれの存在を明らかなものであると知覚している。その目が私の姿を見たならば、その耳が私の声を聞いたならば、あなたにとっても私は世界に対して独立して存在しているように感じられているのだろうか、と考える。どうにか海馬の片隅を支配しようと企んで、いくら狡猾に言葉を紡ごうとしても、尽く惨敗する。薄膜干渉の球体も霧消する。姿勢、足の位置、眼球運動、瞬きひとつすらも満足に行えなくなる。緊張による震えを気づかれないように私は私を平静であるように騙そうと尽力する。私は素直に、考えていることをそれに向かって、ゆっくりと丁寧に喋る。全く本質的では無いその音声は、会話の始まりとして発現する。
電気の点けていない部屋は、外から差す午後の反射光と、私の後ろにある液晶のみによりその形態を現している。私もここではオブジェクトの一端である。もし今、抵抗なく特定の部位に刃物が伝えば、酸素を循環させる為の電気信号の停止が酸素の枯渇によって急速に進行する。私が化け物だと信じているそれも、同じように骨と血肉を包んだ皮膚でのみ構成されているという事実を恐ろしく、また、神秘的に思う。しかし同時に事実というものは、言語や記号によって媒介され、私の脳髄が信仰に値すると解した理論に過ぎないということもまた再認識する。冷房が効いた室内に、八月上旬の熱風が侵入していく。金属バットの高く澄んだ音、少し遅れて歓声、という受信した電波が、私たちの鼓膜を振動させている。夏の陽光をこの空間において我が物にするその化け物は、私のニューロンが叩き出した信号を発声したという事象を感知した。それは私の言ったことを聞き返そうとしてその上体を建物の内側へと戻し、気体粒子コロイドの奥へ移動させる。遮るものが無くなり、日光に透かされた、茶色の虹彩と目が合った。

私のことを見てくれている しかし視界の先には居ない 振り向かせようとは思わない あまつさえ喧嘩を売って帰る その視線があなたの思うままに動かせていなければいけないと思う 私がそこに その化け物が口をひらいて、よう頑張らはったなあ、と一言吐き出してくれたらそれで十分で(しかしその瞬間今度はどこに向かって歩いていけば良いんだろう? できるだけ難しくなければいけない)、それ以上の禁忌を犯したくなくて、垂直抗力の反作用が二体間でどうか起こりませんように、と考えているがそれは多分若さ特有の理想の高さで、泣くことも暗い顔も隠せれば良いのになと思うも何もない 取り繕っても何もない また迷い込んでしまう ここは何処 私は誰

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