名前とは…

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私たちが普段使っている名前は個人を識別するIDとしての意味合いがメインですが、姓名判断って有りますよね。

赤ん坊が生まれて名前を付ける時、字の画数を気にしたり…。
個人識別のためのID以外の何かが名前には含まれているという考え方の名残なのでしょう。

古武道や芸事など伝統的な稽古事で与えられる巻物などを見るとその道での特別な名前が与えられるようです。

何かの修行をして蓄積される経験値が蓄積されるアカウントのようなものがあり、そのアカウントの識別IDが本名とは別にその道で使われる「道号」なのだろうと私は考えています。

私はネット上で「洞天福地」というページを作るに際して、本名以外の名前を使うことを考えてみました。そして、瞑想状態に入っていると「太乙と名乗れ」という声を聞いたような気がしました。それ以来、「太乙」という名を20年あまり使っています。私がこれまで研鑽を積んで獲得した経験値は「太乙」というアカウントに“功”として蓄積されています。

何だか妙な考え方かも知れませんが、このようにして何代にも生まれ代わりを繰り返しても損なわれること無く引き継いできたのもの+αで今生は太乙として活動しています。

たぶん、人それぞれ持って生まれた役割のようなものがあるので、多くの方は今生限りの経験値ということになります。

現在執筆中の「みちのすべ瞑想法」は、今生限りで消え去るアカウントを永久ライセンスへと進化させていく可能性を秘めています。

永久ライセンスを獲得した後、更に修行が進めば自分で自分自身の過去世を探れるようになり、そこから“功”を集めてきて今生で作成した永久アカウントに蓄積していくことも可能になります。

文字にすれば、何となく不思議な響きがあり、ファンタジーのようにも感じられるかも知れませんが、それなりに努力・葛藤・覚悟など諸々の責任を負う必要が出てきます。

どうしてそんなにややこしくて妖しいことに取り組むのかと疑問に思われる方も居られると思います。

その答えは簡単です。「探究心」です。ただそれだけのことです。
そして、探求によって得た成果の一部は『HP洞天福地』などで公開しています。

蛇足かも知れませんが、私が探求で得た体験を文字化しているのは、同道の方々と共有することで何かお役に立てるかも知れないし、興味のある方々の好奇心を満たすということも精神衛生上良いことだと考えるからです。不思議な話でファンを集め疑似カルト集団・疑似宗教を作るような考えは毛頭ありません。私のような探索に正解などないし、教え導くことなども不可能です。探索はそれぞれ個人で行うものだと思います。

この世に生きる人間が唯一自由に使えるのが“こころ”です。そのこころを何かの宗教・どこかの指導者に制限されるなんてバカバカしいことだと私は思います。自分の心のコントロールを自身で行うのか、他人に任せるのかの選択もあなたの心次第です。この問題を上手く自分の中で整理を付けることができれば「探求」は捗りますよ。

では、また。

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太乙@note

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独特の手法で精神世界を旅してきて得た情報をお伝えしているHP『洞天福地』ではこれまで電子書籍を何冊か書いてきましたが、これからはこちらで記事として書いていこうと思います。https://plaza.rakuten.co.jp/doutenfukuchi/