見出し画像

デートで男性は奢るべきか論争に終止符を打ちたい

 この問題へ悩める諸君らに、僭越ながら一言献上させて頂くならば「デートする相手がいながら御託を垂れるな」である。

 しかし、日々の多忙の合間を縫ってこのノートを閲覧した、心根優しい人々に嫉妬の石を投じるのはよくない。よって、この文章を頭から尻まで熟読した折には、貴君らの抱える問題は万事解決し、懐事情はより快活さを得る事を保証しよう。
尚、苦情アンチコメントの類は一切受け付けないものとする。

2つの非対称性

 さて、何故男性が奢るのを適当とするか、2つの"非対称性"に考えられる。

 1つは経済的非対称性、男の方が稼いでるじゃないか論である。男女平等参画のじわじわ勢威を増す昨今だが、未だ管理職は男の方が多いなど、年長者で括れば確かに筋は通って見える。
しかしそれならば、単純に稼いでいる方が奢るべきであるという主張が正しい。もし非正規雇用で、己の心身と青春と毛根をすり減らし、それでも労働に準じる者達から、金銭を搾取せんとなすは鬼畜の仕業である。
 さらに事は学生の立場に於いても勃発する。クラスメイトが「彼氏と映画行ったんだけど、普通に払わされた」と嘆いていた。私は自分の分は払えばよくね?と思いながら「自分の分は払えばよくね?」と言った。彼女は勘違いしている。彼氏もただの学生であり、家では親の作った熱々の唐揚げをほくほくさせる、無防備な青年なのだ。のちに彼氏が社会人である事が判明し、この出来事は闇に葬られた。

 2つ目の非対称性は追いかける側がどちらか、である。恋愛における力関係は、どちらがより好きかによって決定付けられる。「かぐや様は告らせたい」、通称かぐこくでは、相思相愛ながら如何に相手に告白をしてもらうか、奮闘する姿が描かれている。そして、女性は相手を好きでも、好意を伝えないケースをよく見る。意中の男性へアピールをし、男性側から告白させて主導権を握るらしい。私は最初「なんて馬鹿な女だ」と思った。その後「相手の男は馬鹿だ」へと変わった。

 時々、奢ってもらって当然という顔の女性を見ると腹が立つ。という意見がタイムラインで浮かぶ。「男女平等なのに」「フェミニストこういう時何も言わないよな」「俺はさらっと奢るけどね」などの共感及び自分語りが散見されるが、私からすれば、なら行くなよである。何故腹が立つような相手にわざわざ時間とお金を費やすのか、既に関係性は非対称である。

差別は個人がつくる

 案外、非対称の立つ側によって、男性が奢られるパターンもよくある。故に「女性が奢られる」という点だけくり抜いて、男女平等を叫ぶ人間は根本的に差別的である。ただ1人の女性が「奢れよ」と言ったとして、その人が奢って欲しい以上の情報は本来無い筈である。

 人付き合いは、人との関わりである。相手の如何なる属性の色眼鏡廃して関わらなければ、深く分かりあうことはない。それに、「女(男)ってこういう生き物でしょ」という眼差しはよく伝わり、それが個人から乖離するほど不愉快なこと山の如しである。

最後に

「結局どうしたら良いんだ」

 相手がどのような属性であれ、不快なら距離を取る権利はある。どちみち、無理のある関係は長続きしない。やれる事は他の人を探すか、対等になるまで自分磨きをするかである。どちらにせよ、選ぶ権利は誰にでもある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?