フルビット免許の歩み① 原付

私を語る上で欠かせない要素となりつつあるフルビット運転免許ですが、当初では最初からフルビットを目指していたわけではありませんでした。
原付免許は単純に必要だったから取りました。取得したのは高2の夏休みのときです。この免許は「身分証代わりに簡単に取れるよ」と言われがちですが簡単には語りきれないほどのドラマがありました(大袈裟)

もしこれから広島県で免許を取る方がいたらぜひこの記事を参考にしてください。(なお、情報は全て2009年当時のものですので変更がありましたらご了承ください)

原付免許を取得しようと思った理由

時は高校時代まで遡ります。
高校時代の私は家から学校の距離はおよそ10kmでした。
「なんだ、10kmなんて近いじゃん」と思った方、甘いです。
標高差はなんと100m。自転車なんて使いものになりません。
私はバスと電車を駆使し、1時間半以上の時間を要しておりました。
「1時間半なんて普通では?」と思った方、甘いです。
かなりの田舎なのでバスは1日に5本しかありません。
1日に5本とあっては乗る便はほぼ確定、そして駅での待ち時間は非常に長くなります。特に帰りの電車とバスの接続は最悪でした。加えて最終バスも20時過ぎと早い(もちろんその前に徒歩と電車移動がある)ので実験・実習が長引いたり、本番直前だからと部活を最後までやるともう最終便はなくなっているという状況でした(何度も家族に迎えに来てもらっていました)
公共交通機関には恵まれない一方、車やバイクであれば駅を経由せず直接向かえるので所要時間は30分かからないのです。
そして定期券の代金は電車+バスで月に1万円を超えておりました。1年ほどで標準的な中古の原付なら車両価格すらもペイできるほどの金額です。

このような状況なので学校に原付通学の許可申請をしました。
しかし、残念ながら現地調査に来た学校側の回答は「自転車で自宅と最寄り駅間のバスターミナル(家から2~3km行ったバスターミナルまで行けばバスの本数は多少増える)まで行けるだろうから認めない」とのことでした。
自宅~バスターミナル間も起伏は多く、自転車で行くには駅までよりは現実的とは言えあまり納得のできるものではありませんでした。(そもそも現地調査は車で行っているので納得なんてできるはずもなく…)
加えて地元の同じ学校の生徒10人に運転免許を提示させると11個の免許が出てくることすらある地域(ほぼ全員が免許を持っており、1~2人は複数の免許取得者がいる、の意味です。まさか自分がこの1~2人の分子が分母を超える要因に貢献する側に属すことになるとはこのときはまだ思いもしませんでしたが…)で学校に黙って免許を取る人は非常に多い環境でした。
よって私も学校には黙って原付免許を取ることにしました。

広島県で原付免許を取得する際の課題・注意点

広島県での原付免許取得にはいくつもの課題や注意点がありました。

① 原付講習は試験場では実施せず教習所に移管している。先に原付講習を終えて原付講習終了証を持ってこなければ学科試験は受験できない

② 上記①での教習所での原付講習は最寄りの教習所で受けられるというメリットがある反面、デメリットが多い。1度の受け入れ人数は3人、教習所側もあまり儲からないのに3時間指導員が拘束される、といったせいかあまり実施しておらず講習予約時は1ヶ月待ちは普通(この辺りは取得時講習に似ていますね)

③ 最寄り警察署でも学科試験を受けられるが、実施は月に1度、それも平日のみ。さらに即日交付ではない上に免許の受け取りも平日のみ。
→②と合わせると原付免許なのに最悪の場合は取得に2か月ほどかかる。長期休暇期間中に取得ができない。

④ 学科試験は初回受験者は午前試験のみ。一度落ちて2回目以降の受験の方のみ午後受験ができる。(これは普通車等の場合も同じ)
合格後に午後から原付講習をする都道府県はともかく、事前に原付講習受講を義務付けているのに初回に午後受験ができない広島県の制度は正直今でも納得いかないです。

⑤ 試験場自体が僻地にあるためアクセスが著しく悪い。最寄り駅から徒歩2時間、バスでも30分。
(800台の駐車場、技能試験コースは片側3車線、さらには模擬高速道路まである。敷地面積は日本全国の試験場の中でも一位だとか…
こんな広い試験場が広島の都市部に作れるはずがないですよね)

⑥ 前述の④の通り初回は午前試験しか受けられないのにも関わらず、⑤の通りの試験場へのアクセスの難しさ、さらに前述の通り家が田舎で駅に出るためのバスがないのが合わさって始発でも午前試験には間に合わない
(「免許を取るのに免許がいる」「情報処理試験よりもよっぽど起床試験」「試験よりも会場に到達するのが難しい」「行きは無免許運転し、合格すれば帰りは大義名分運転して帰れる」とまでネタで言われていました)
なお、普通車や二輪教習を卒業した方は教習所のサービスとして初回に限り試験場まで送迎バスを出してもらえます(2回目以降は昼から受験できるから時間かかっても電車とバスで行って受けれるよね、ということでしょう)
なお、原付講習受講者は送迎の対象外です。

⑦ 受験申請時に身分証提示を学生証で行うと「学生証は効力が弱いため効力が弱く、学校に連絡の上、確認させていただきます」と言われ、実際に学校に電話される。(同じ学校の先輩から情報を聞いていた。なおその先輩は取得直後に学校に免許を取り上げられたらしい)

⑧ 原付講習受験時にも学科試験受験時にも住民票が必要。役所手続きの経験がなく、不安である(私はわからなくて念のため2枚用意しましたが講習時のものを再利用できるので1枚でも大丈夫でした) 

家族に黙って原付免許を取るというのも考えましたが、これらのたくさんの課題から自分の力だけで免許を取るのは極めて困難と判断し、家族を説得しました。
「免許取得後は慣れるまで(3ヶ月)は学校まで運転して行くのは禁止。自宅と最寄り駅間のバスターミナル拠点までのみ許可(家から2~3km行ったバスターミナル拠点までさえ行けばバスの本数は多少増える)」
「講習予約や学科試験の対策は全て自力で行うこと」
を条件に原付免許取得の許可、学科試験受験の早朝に最寄り駅までの送迎の協力を得ることができました。
なお、上記⑦の身分証に関しては保険証を使うことにします。(高校生はあまり持ち歩きませんが、親に言って1日持ち出し許可を得ました。このご時世ならマイナンバーカードもありだと思います)
⑧に関しては親が別件で役所に行く際に変わりにやってくれるとのことでした。(なんだかんだで親がかなり協力してくれているのは今思えばありがたかったです)

講習の予約と学科試験の対策

実は当時コミュ障で電話が大の苦手だった私ですが、どうしても原付免許は必要でしたのでなんとか重い腰を上げて最寄りの教習所に電話しました。
原付講習は1ヶ月先と聞き唖然としますが、そもそも足の無い状態ですから他の遠いけど早く実施している教習所にお願いするわけもいかず、指定の日付で了承するしかありませんでした。
続いて学科対策です。高1のときの隣のクラスの友人が原付免許を先に取得しており、私も原付免許を取りたいと思っていたので参考書と問題集を譲っていただいていました。免許取得の方法、親の説得等で時間がかかってしまいましたが、半年前の布石がここで役に立ちます。

いざ、原付講習

講習を予約したのは夏休み前半のはずが、いざ講習があったのは夏休み最終週。
原付講習では私を含めて3人。
講習の講師は二輪の教習指導員です(のちに教習でもお世話になります)
指導員「一応毎回最初に聞くようにしていますが、みなさん原付に乗ったことはありますか?私は警察ではないのでここで罰したりはしないのでそこは安心して答えてほしい」という講習開始時の挨拶、そして私以外の2人が揃って手を挙げたは衝撃でした。
私「えっ?それはサーキットや私有地でってことではなくてですよね?」
指導員「(苦笑いしながら)まぁそういうことだ。道祖人さんにとっては「えっ無免許で乗るなんて正気か?」と思うだろうし、それは正しい。この3人の中では一番経験はないだろうから今日は少しでも慣れてもらいたい。他の2人は経緯はともかく免許を取ろうと改めて思ったことは評価しますが講習も学科試験もなしで乗った我流の癖がついているだろうから今日は一度基本に返ってもらいます」
こんな会話から講習が始まったのを覚えています。

講習の内容はセンタースタンドの外し方かけ方、エンジンをかけて直線を走るところから始まりました。
センスタかけ外し、当時は大苦戦しました。普通免許教習生の原付講習で女子高生・女子大生が苦戦する姿も見かけます。でも慣れてしまえばなんてことはなく、ただの力のゴリ押しではなく方向とタイミングですね。
慣れた今ではバイクから降りずに左足を後方に伸ばしてそのままセンスタがけができるほどです。

初めてエンジンをかけて進みだしたときの感動は大きいもので、恐らく初めて普通車に乗ったときよりも感動します。50cc(原付)から1500cc前後(普通車教習車)は30倍ですが、0cc(自転車)から50cc(原付)は無限倍ですからね。
直線、外周が終わったらS字・クランク・一本橋・踏切・そして原付特有の二段階右折をやりました。一本橋はゆっくり走る課題と知らなかったので駆け抜けた記憶があります。クランクで1度脱輪し転倒、古いバイクなのもあって手を放してもスロットルが戻らず焦っていた記憶があります。
指導員「慌てずにまずエンジンを切って!!」
今思えばこういう転倒して慌てたときにMTバイクの右手ハンドルにあるキルスイッチは役に立ちそうです。

講習車は2stと4stのスクーター、Dioだった気がします。指導員は記憶が曖昧ですが恐らくスペイシー125です。教習所によっては原付講習にスーパーカブも使っているところもあります(MT原付に乗る予定の友人が原付講習でMT車に乗りたいと申し出るとカブが出てきたと言っていた)。
講習は時間が余っているのか、指導員がCB400に乗り、後ろに乗ってブレーキのリアロックを体験するという時間があったのをなんとなく覚えています。

いざ、学科試験へ

講習が終わって恐らく翌日。
早起きして父に最寄り駅まで送ってもらい、電車に乗り所定の駅へ到着。
さらにそこから7時40分発(当時)のバスに乗れば免許センターへ行くことができる。
今7時38分、次に来るバスに乗ればいいんだな、よし、これだな…

別の乗客「すみません、このバスって免許センター行きますよね?」
運転手「行かないですよ。別のバスですね」
慌てて下りる乗客数人(私を含む)。
なんで7時40分発のバスより先に7時41分発のバスが来るんだよ!!!
途中地点のバス停ならともかく、ここ始発点ですよ?

文句を言っても免許センターに行ってくれるわけではないので速やかに下り、次に来たバス(本来先に来るはずなのだが…)に乗ります。他の乗客が聞いてくれたおかげで気付けて良かった…

無事免許センターに到着し、2Fの受付窓口へ。まさか今後ここに20回ほど来ることになろうとは…

受験申請書は「原付・小特」「指定教習所卒(県内)」「指定教習所卒業(県外)」の3種類(枠線の色が異なります)が机に置いており、各自で取って記載するようになっています。
技能試験飛び込み受験の方のための受験申請書は置いていないので窓口で申し出て用紙をもらってください。
合わせて別紙の収入証紙貼り付け用紙に同フロア内の収入証紙売りさばき所で買った収入証紙を張り付けて申請書と一緒に提出です。
(当時は受験料の支払いは収入証紙でしたが、今は広島県収入証紙は廃止されているようです)

いざ学科試験開始。ちなみに広島の学科試験は汚損防止でビニール袋に入れられラミネートされた問題用紙です。勘違いして袋から取り出そうと破いて怒られた方もいますのでご注意を(よりによって学校の先輩でした)
筆記用具は各自で持参です。(忘れたら借りられますが)
原付とその他車種は共通の部屋で実施し、端一列が原付でした。
終わったときの手ごたえはわかったようなわからなかったような感じでした。

そして結果発表。
広島県では吹き抜け広場の椅子が並んでいるところに電光掲示板があり、効果音・録音アナウンスと共に電光掲示板に合格番号が表示されます。
結果はなんと…屈辱の不合格でした。
合格の人は部屋に呼ばれ、不合格の人は窓口で受験申請書を返却+不合格時の点数がわかります。確か40点だったかな…思ったよりだいぶ足りないですね。

帰り道、入り口の近くでサクセス(※下部参照)の勧誘宣伝を受けました。
※サクセス(通称:裏校)とは
学科試験は8セットほどの問題が不規則ローテーションで使いまわされています。その日に出るであろう問題の答えを試験前の朝にヘッドホーン講習で念仏のように唱え、丸暗記するのでほぼ誰でも受かることができます。それでも受からなかった人には講習費用をお返しするという代金保証もあります。ただし、講習費用はそれなりに高いです。多くの都道府県で免許試験場の近くにあります。ちなみに広島免許センターの2Fにサクセスの看板が貼ってあります。露骨で繋がってる感がありますね。

時間的に先に離脱した集団が不合格ご一行であることはバレているし、今日の問題も事前に把握しているのか私の前の人から聞いてたのかわかりませんが把握しているようでした。イラスト問題に自信がなかったことを話してみると
営業のお姉さん「今日の問題は1問目○○×、2問目○××。イラスト問題は深く考えすぎるとドツボにハマって〇とも×とも取れるようになってしまうから素直に直観で答えるといいよ。あと「急いで」の言葉があればだいたい×ね。それでも厳しそうならぜひうちにおいで、絶対合格できるから!!」とチラシを渡されました。
これ以上朝早くも厳しいし、料金も高いからできれば頼りたくないなぁ…

帰宅すると母には笑われました。
母「だから油断すると落ちるよって言ったのに。問題の言い回しが独特だから慣れてないと落ちるよ。」
なお、母も1度落ちて2度目で合格しています。

免許の学科試験は「道交法だけを覚えても合格は難しい」という特性があります。例えば「原動機付自転車に15kgまでの荷物を積載することができる」という問題に対して「(原付は最大30kgまでだから15kgまでなら積める、〇だ)」と考えてはいけません。「15」という数字が正しいかを問われていて30までが正なので×となります。必要十分条件的に問題の定義がおかしいので理系脳にはちょっと痒いかもしれませんがそういう試験です。それならいっそ記述式にしてくれとでも言いたいところですが、受験人数が多すぎるのでそれもできないのでしょう。
ということで道交法の説明・解説を読むよりも問題集を解きまくるのが効率が良いです。
明日は実に夏休み最終日。落ちたら次に受けられるのは当面先になってしまう。負けられない戦いだ。1日本気で勉強しよう。頂いた問題集を一気に一日でガッツリ解きました。
思えばこの頃から私の国家試験の直前詰め込み勉強法が始まっていたのですね。

翌日、再び父に最寄り駅まで送ってもらい、電車とバスで免許センターへ。
今日はバスはちゃんと正しい順番で来てくれました。
申請書は2回目だと記載することもなく、別紙の収入証紙貼り付け用紙だけです。
さっさと申請を終えて2回目の学科試験へ。
「(お、昨日よりいけるんじゃないか)」
「(イラスト問題はサクセスのお姉さんが言っていた、深読みしすぎてはいけないと)」

学科試験合格、そして免許発行

結果は無事に合格でした。
なお、広島県は合格時の点数は公開されません。学科も技能も、教習所も試験場もいずれの場合も合格時の点数は非公開です。
運転免許の6桁目が学科試験で間違えた問題数という説もありますが、原付なのに6以上の方もいたりするので全ての県で適用されているわけではないのは確かです。(ちなみに私は「2」でした)

合格者は順番に呼ばれるので返事をします。ここから適性試験になります。
その際の説明もありますが、呼ばれた際の応答で聴力試験を兼ねているとのことです。
屈伸や準備運動のようなことを受験者一斉に行います。身体能力の試験となっています。
3色の色が並んだ棒を上下表裏を入れ替えながら「色を答えてください」と言われ、答えます。色彩能力の試験です。
視力試験はこの後に順番にやるんだったかこの前にやるんだったか…うろ覚えです。写真撮影もたしかこの後だったかな?うろ覚えです。
ちなみに東京では視力試験以外の適性試験は一切やらない(三色判断すらしない)」「適性試験(といっても視力試験だけですが)は学科試験の前」という違いに驚きました。

全て終わったら再び全員集められ、お偉いさんっぽい人の挨拶で
「交通安全協会への加入のお願い」と「バス運転手が確認せずに発車した事故で亡くなった幼児のお話」を聞きます。なお、この話は免許の併記の度に聞くので私は今後合計で5回聞くことになります
そういえば東京だと交通安全協会への加入の勧めは一切ないです。これも県によって異なるのですね。
なお、交通安全協会は加入得点として免許証ケースやロードマップがもらえますが、ぶっちゃけあまり役に立たないので財政が厳しい方は払う必要はないです。払いたくない人は免許交付手数料支払い時にその旨を申告し、交付手数料のみを払うようにしてください。
その後、順に無事免許が発行され、解散となります。
なお、受け取り時にハンコを押韻しますが、ハンコを忘れた場合は指による拇印で代用で認めてもらえます。ただし、交付手数料忘れは近くにコンビニもなく詰みますのでお金は多めに持っていきましょう。(友人はこのミスをやって1時間以上かけてお金を下ろしに行っただとか…)
免許交付で少し時間が経っているからなのか、帰り道にサクセスの営業の方に声をかけられることはありませんでした。
たかだか原付免許とは言え、初めての国家資格取得。嬉しく誇らしい気分になります。

無事帰宅した際の一言。
母「あれ?昨日と同じ時間だなんて今日もダメだったの?」
私「いや、ちゃんと受かったよ、ほら(免許証を見せる)」
帰りは電車と1日に5本のバスなので免許交付時間の差がバスの待ち時間で埋まっちゃうんですよね。

姉「道祖人は免許番号6桁目はいくつになってる?私は0だよ、学科試験100点!!」
(これが悔しいのもあって前述の「6桁目が学科試験で間違えた問題数という説」の真偽を確かめるためにTwitterでアンケート取って調査したりしました)

原付公道デビュー

田舎なのもあって家には父の車、姉の車、母の原付、父の原付(通勤用)と車とバイクが各2台ありました。
免許を取って最初の休日、原付の運転に慣れる兼父による指導(公道は初めてなので)ということで母の原付を借りて父と30kmほどの原付ツーリングに出かけました。
寒くなく天気の良い秋の日、初めて走る公道、陸の孤島で自転車では出るのはあまりにも困難だった地元から自力で初めて出た日、まるでこれでどこへでも行けるかのように感じてしまいました。思えばこれもバイクに嵌るきっかけの一つだったのかもしれません。

原付購入

そしてバイク屋へ原付を購入しに行きます。父も母も原付を購入し、いつもお世話になっているのでもはやお得意様です。(一家で3台はさすがに珍しいらしい)
なお、購入費用に関しては定期券代が浮く費用を前借りです。
バイク屋店主「道祖人が原付を買うと聞いて隣店から候補になりそうなのを寄せておいたよ」
当時の私はそこまでバイクに詳しいわけでもなかったため「中古で高すぎず安すぎない」、バイク屋と父の勧めで「通学で使うなら4st」、という条件であとは見た目の好みで選びました。当時は車種もろくに知りませんでしたがDioでした。
店主「お、こいつはちょうど隣店から持ってきたやつだよ、持ってきた甲斐があった」
数日後、無事にバイク屋の店主によって軽トラで家まで運ばれてきました。

通学手段として

無事納車された原付、最初は途中地点のバスターミナルまでだけとは言え、それでも通学は幾分か楽になりました。
そして一週間後には定期券を払い戻し、親に黙って直接学校に行くようになりました(笑)
その直後には秋の遠足があり、現地集合で通学経路とは違う方向へ10km以上の駅へ原付で行ったりもしました。
行動範囲が格段に広がり世界が大きく変わった1ヶ月でした。
その後、上位免許を取得し乗り換えるまでお世話になりました。

免許談としてもバイク談としても以降は別記事に続きます。

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