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心の奥の取材ノート


交わした言葉、ちょっとした仕草、振る舞い――
今もありあり思い出す、取材で出会った人たちのこと。
編集部

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ムスタンの人々のために生きた 近藤亨先生のこと


 近藤亨先生に初めてお会いしたのが2009年2月の本誌の対談の際でした。近藤先生は当時88歳。70歳からたった一人で秘境ネパール・ムスタンの農業指導、開拓に命をかけてこられたその18年の道のりを熱く熱く語ってくださいました。

 「僕は88歳で富士山より高いところでコメをつくっている。50ヘクタールのリンゴ園もつくった。すべてが僕の根性ですよ。命がけでやれば大抵のことができるものなんです」。対談時は、まさかその5ヵ月後に近藤先生のムスタン実践農場に、宇城憲治先生とともに伺うことになるとは想像すらしていませんでした。

 しかし、近藤先生の行動の根源にある、世の矛盾に対する「怒り」、それはまさに宇城先生の活動の根源ともなっているエネルギーでした。「やってきた人の生き様は自分の生き様と照らし合わせて受け止める」。宇城先生は、対談後すぐにムスタン見学ツアーを企画、7月には2週間にわたって近藤先生の偉業を一緒に見学させていただきました。

 石ころだらけの乾燥地帯がどこまでも続くかと思われた土地の一角に、見事に展開されていた青々と茂る植林地、完全無農薬のリンゴ園、そしてヒマラヤ山脈という高地につくられた常識では考えられないニジマス、コイの養殖池。その圧巻の光景はまさに近藤先生の「絶対に負けない、あきらめない、やってみせる」根性の証でした。

 ご一緒してくださった事務局の原千賀子さんは、ムスタンの地には、「日本人よ、近藤を見よ! 日本人よ、ここに戻れ!」というメッセージがあるとおっしゃっていましたが、まさにその言葉通りだと思いました。

 近藤先生が学生時代、師匠から「これだけは守れ」といただいた言葉に「常に弱者とともにあれ!」があると言います。近藤先生は、まさにそれを生涯守り通して生き抜いた方でした。大好きな煙草をおいしそうに吸っておられた近藤先生の姿は、今でも目に焼き付いています。  
                             (木村)


―― 季刊『道』 №199(2019冬号)より ――

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