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出口王仁三郎の宇宙観


盛平翁の合気道の説明には宇宙や言霊についての言及が頻繁になされ、非常に難解だったといわれている。本稿では盛平翁に思想面で非常に影響を与えた大本教聖師出口王仁三郎の思想について、聖師の孫・出口和明氏の講話(小誌『合気ニュース』102号より106号まで掲載)を、盛平翁の理念を理解する一助として、抜粋してお届けする。
(季刊『道』 №142~146号に連載された)


出口1

談:出口和明 でぐち やすあき(1930~2002)
出口王仁三郎の孫。
王仁三郎の半生記をつづった
『大地の母』(毎日新聞社 全12巻)の著者でもある。

王仁三郎

大本教聖師 出口王仁三郎


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1 宇宙の成り立ち


一点の〝ホチ〟現わる
 
 明治31年、王仁三郎が28歳のとき、郷里の高熊山で神から命じられて1週間の幽斎修行を行なったとき、宇宙の成り立ちを見たと言われています。この宇宙の成り立ちが王仁三郎の宇宙観の基盤です。
 王仁三郎が最初に見せられたのは、天もなく地もない遥かなる昔、天も地もないんですから当然、時間、空間もない時代。これを王仁三郎は大虚空と表現しています。まったく無という状態。 
 この時間も空間もないなかに、一点の〝ホチ〟が忽然と現われたというんです。つまり、葦の芽のようなものがちょっと出るような感じ、そういうものが突然ポツンと現われた。現われながら次第に膨れ上がっていく。それが次第に動き始めて一種の円形を作っていった。作りながら霧よりももっと細かな2種類の清い気を放射し、この円形をくるんでいった。
 この気を王仁三郎は霊素、体素と名付けています。これは火素、水素でもいいし、陽素、陰素でもいい。ようするに2種類の正反対の気が現われたというんです。
 この相反する霊素と体素が結ぶことによって新たに力素が生まれ、ここで初めて宇宙が動き出すんです。そのときに一番最初に生まれてきたのが言霊だと王仁三郎はいっています、まったく静寂のなかで、人間の耳には聞こえない「ス」という言霊、これが最初に生まれたと。
 その聞こえないような微かなスという言霊がずうっと動き出しその言霊がずうっと拡大していくんです。最初は低いスから「スーゥゥゥウウウ」と。行きつくと「ウ」が生まれる。そして今度はこのウの言霊が活躍し始める。このウが上の方へずっと昇っていくと「ウーーワーーァァア」とアを生む。次に下へくだっていくと「ウーーヲーーォォオ」とオ、さらにくだれば「ウェー、ウィー」で、エとイの言霊を生む。つまりアオウエイの五大父音が生まれる。一般には母音といいます。
 そして、カコクケキ、サソスセシ……と七十五声の言霊を生み出していった。
 そうやって言霊が満ち満ちたときに、一種の言霊のビッグバン的現象が起こり、霊魂の元素、物質の元素が造られていったというのが、王仁三郎の宇宙の成立説です。
 すべてが言霊によって動かされている。天地にも人間の耳には聞こえないが言霊が鳴り響いてるんだという。王仁三郎は、子供の私に、「目をつぶって耳をふさいでごらん、それが宇宙の言霊の鳴り響く音なんだよ」とよくいいました。

*「人の動きはすべて言霊の妙用によって動いているのです。自分が実際に自己を眺めれば音感のひびきでわかります。ことに合気道は音感のひびきの中に生まれてくる。絶えず地におって天に空にかえさねばなりません。そしてひびきにつれていかねばなりません。ひびきも何もかもことごとく自分にあるのです。」    植芝盛平 

産霊 
 
 ここで宇宙にある産霊という不思議な力について説明しましょう。産霊とは、相反する2種類のものを合致させることによって新しい物を生み出してゆく力のことをいいます。古事記でも冒頭に「天地が初発つ時に高天原に成る神名は……高皇産霊神、次に神皇産霊神」とあります。
 産霊の産は産む、蒸すの意であり、霊は霊であり日であり命。つまり霊を産む、命を蒸し出す。つまり産霊は命を生み出すということです。

言霊の働き
 
 王仁三郎は人は宇宙の雛形である、つまり人は小宇宙であるとし、自分自身がそのことを自覚すれば、言霊は聞こえてくるんだといいます。そしてそれが小宇宙の音だとしたら、それを無限大に拡張したら宇宙には同じ言霊が鳴り響いているはずだと。 
 この言霊を使って王仁三郎は雨を止めたり降らしたりもしたんです。王仁三郎が蒙古へ行ったときもこれをやっています。
 王仁三郎は、言霊が生まれ動き出したことによって、物質の元素、霊の元素が生まれていくといっています。
 古事記に「高天原に始めて成れる神名は高皇産霊神、次に神皇産霊神……」とありますが、「高天原に成れる」というのは、本当の意味は「鳴る」なんだと王仁三郎はいうんです。つまり、「タァーカァーアーマァーハァーラァー」という、五つの文字がずっと鳴り響いて、まず最初の霊界を造っていったんだと、これが古事記の本当の意味だということです。

無から有を生む霊界と現界

 今の常識では無から有は生まれないといいますが、王仁三郎はあらゆる物一切が無から生まれるといっています。
 無から有に至るのに四つの段階を経る。まず、無の無ですね。次が無の有、そして有の無、有の有と。
 たとえばこの熊野館を例にとれば、これは現実に存在するから、有の有の段階です。ところが、この家は突然できたのでなくて、その前に設計図が作られます。これが有の無。そのもうひとつ前には、まだ設計図は存在しないが、家を建てようと決意する状態がある。これが無の有の段階。ところが、それも突然決心するわけではなく、建てなきゃいかんという必要性が無意識のうちにあった。つまりまだ何も思いには浮かばなくても、決心に至る素因がある。その状態を無の無というんです。
 今は話がわかりやすいように「無」「有」という表現を使いましたが、正しくは「無」は「幽」で、「有」には「顕」を使います。だから幽の幽、幽の顕、顕の幽、顕の顕ということになります。
 つまり一切のものが無から生まれてくる。そこで、この無をすなわち霊界と考え、有、すなわち顕を現界と当てはめてみる。するとあらゆるものがまず霊界で起こる、あるいは造られて、それが現界に移ってくるんだということになる。それが王仁三郎の考え方なんです。
 
宇宙の活動力
風にも意志がある

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