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小林保雄 合気道八段

どう出版

(財)合気会 小林道場の原動力

「何かあった時にぱっとひとつになる、そんな組織にしていきたい」

38年前、手造りの道場から出発し、現在は、国内に直轄、傘下合わせて130以上の道場を持つ小林道場。その勢いは海外18ヶ国に指導部員を派遣するほど、ますます広がりを見せています。その原動力は、財力や政治力、組織のバックアップでもなく、小林保雄師範、その人にありました。

※所属や肩書きは、季刊『道』に取材当時(2006年)のものです。


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道場を発展させた原動力は
内弟子時代に培われた

 現在、小林道場は合気会本部道場系列の中では一番大きな組織と言われていますが、道場の出発は、1960年代の安保闘争時代、授業もなく、ただ酒を飲むかマージャンをするかの学生たちの有様を見て、「なんとかしなくては」と思った小林師範が、自宅の物置跡に手造りの道場を建てたことに始まります。

 「その後は、一生懸命やっている私の姿を見て、『ここが空いているから道場に使え』と言ってくれる人が一人二人と出てきて、道場は大きくなっていきました」と、小林師範。
 それには、何事にも筋を通した商人としてのお父様の生き方に加え、小林師範が本部道場内弟子時代、合気道開祖植芝盛平翁のもとで修行した経験が大きく寄与していることも否めません。

 当時を回想して師範は、
「本部道場ではいっさい細かい事は教えてくれないわけですよ、道場経営とかそういうのは。ただ翁先生(盛平翁)のかばんを持てとか、指導へ行けとか。先輩の行動を見て学んだりとか。だから自分で考えなくちゃならない。しかし、それは書いて教えられるよりも勉強になった。それに耐えられない人はやめていきましたね」

 当時本部道場には宗教家や天風会、西式健康法の会員、右翼関係の人など、盛平翁を中心にさまざまな人物が集まっていました。一緒に生活した内弟子の性格も実に様々で、そのような個性豊かな集団のなかでの体験が、師範がその後道場を持ち、合気道を普及指導していく上で、大いに役立ちました。

「私は困ったなと思うことがあっても、くよくよ考えない。それには、天風会の教え、あれがお手本になっていますね。天風先生(中村天風)の積極的なプラス思考で、悩むことはありませんでした」
 また、当時交流のあった実社会の一人、製本会社国宝社の林繁社長を回想して、
「林さんは、合気道が好きで、自分で道場を作るわけですよ、しかし、何か気に入らない事を指導員がすると、道場をつぶしちゃうわけです(笑)。そしてまた建てる(笑)。そんな事を3回も繰り返したんです。
 私もその国宝社道場に指導に行っていて、あるとき経団連での合気道説明会に松下幸之助氏とか本田宗一郎氏などが来るので、吉祥丸先生と行き、私は国宝社の稽古を休んだわけです。そしたら次回、林さんにお会いしたとき、『道場をつぶす』と(笑)。 理由は、電気製品とか車は俺たちが買っているんだ、俺たちはお客様なんだ、俺のほうがえらいのだと(笑)。そういう考え方もあるのかなと。勉強になりましたね。
 ほかに、接骨師として有名な吉田さんですね。みんな診てもらいたくて行列をつくった。巨人軍の専属トレーナーになったくらいの人ですからね。私も荒川さん(荒川博)を通して何回も行っているうちに、なんだか気に入られてね。実験台になるわけですよ、活を入れろとか、ひねってこうしろとか。それで急所を覚えたわけです。
 手の折れた子供が来たときです。話をしていて吉田接骨師がいきなり子供のほほを平手打ちするんですね、子供があっけにとられている瞬間に治療しているんです。つまり(治療が)痛いから、力を抜かせるために。そういうのが、今、参考になっていますね、こうして道場を経営するようになってから、こういう考えもあるなと。だから人に何かを言われてもわかるんです、言ってる人の裏の気持ちとか。言下の意味がわかる。
 理屈に走る――私はそういうのは、体質的にあっていない。こういうふうに汗を流してやるのが性に合う、まず行動ですね」

 人に対する気遣い、物事にくよくよしないこと、まず実行する、道場経営者には欠かせないこれらの要素を、このようにさまざまな人々との交流によって師範は会得していきました。

小平道場開き44年

小平道場開設 昭和44年4月6日
(『我が道 合気道』小林保雄著 合気ニュース刊)



海外発展――損得抜きにして

 小林道場の特徴のひとつに海外での活躍があげられます。師範が海外進出を決意したのは、昭和50年、ブラジルに指導員を派遣し同行した帰途、アメリカ各地の合気会道場をまわった際、「海外で発展するんじゃないか」と瞬間的に考え、早速、師範が実行に移した結果です。

 次の年から香港、52年、ドイツ、スウェーデンと、指導員が派遣されました。そして昭和53年、スウェーデンから小林道場は外国人内弟子第一号を迎えます。以降、積極的に外国人内弟子を受け入れ、さらに、基金(「結び基金」)を設けて、来日したくても経済的に余裕のない人を援助しています。
 その一例を挙げますと、1991年、小林師範がポーランドを訪れたとき、ワルシャワ空港に3人のハンガリー青年が待ち構えていました。
「合気道を習いたい。しかし、費用はぜんぜんありません」
 彼らの真剣な態度にうたれた師範は、
「年1回、指導員を派遣する」と。

 そして、3年後には、片道の航空券、5年後には往復航空券とホテル代が彼らから支払われるようになりました。現在は有段者も出てきて、小林道場に内弟子として住み込む者もいます。名称も「ハンガリー合気道小林道場協会」、会員1000名。

「小林道場と3名の青年が始めた合気道の輪が、ここまで発展するとは思いませんでした。人生、ただの損得だけでは、生きてはいけないことを実感しました」と師範。

私は、今でも現役だ!!

 70歳を過ぎた現在でも、先頭に立って学生の受身を取る小林師範です。
「言葉だけになっちゃったら、説得力はまったくないですよ。それに、私は怪我をしないんですね、不思議と。だいたい皆さん、膝や腰を痛めるんですね。ただ、若いときに、よく走ったり鍛錬したりはしましたね。また、植芝先生が座り技を好んだということもあって座り技をやりますが、他の先生は膝を痛めて、座り技をやらなくなりましたね。

 それと、怪我をすることが少ない原因のひとつは、自分が一生懸命やっていると、まわりが引いていきますからね、スペースができるんですよ。30人40人と稽古していれば一人一畳というわけにはいかないですからね。

 とにかく稽古が好きでね、稽古中、先生が一番楽しそうだねと言われる。私の一番嫌いな言葉は、大学4年生の合気道部員が言う、〝現役引退〟。
 私はこの言葉を聞くと、『幹部交代と言いなさい、合気道は止めたのではないのだから』と言います。――私は、今でも現役ですよ」

世代間ギャップを超えて、
道統を守る

 
 最後に小林師範の抱負、今後の小林道場の夢をうかがいました。
「一人でも多くの人にやってもらうというのが基本方針です。それと、時代格差が出てきてますね。

 海外でも、向こうの指導員が30年40年とやっていて、こちらの若い指導員がどういうふうに接せられるのか、微妙な問題ですね。スウェーデンに6段の人がいるのですけど、息子弘明が中学生の頃は英語を教わったりしていたんです。今は息子も40歳ですから、向こうでは息子をたててやってくれています。そういうふうにやってもらいたいし、やっていかなくちゃならないと思うのです。

 それと、私にとって合気会本部は親みたいなものですから。生活は本部から独立して自分たちでやっていっても、道統は守るということですね。何かあったときに、ぱっとひとつの道につなげていってほしいということです」

 小林師範ご自身の、物事にこだわらない、理屈より実行を重んじる生き方、そして損得なしで人の面倒をみる、その包容力のある人柄が、今日の合気道小林道場を成した第一の要因だと納得した会見でした。

―― 季刊『道』 №151(2007冬号)より ――

〈プロフィール〉
小林保雄 こばやし やすお
(1936~)東京九段に生まれる。小学生のとき、講道館に入門。
1955年、明治大学工学部に入学。同年、内弟子として合気会本部道場に入門。1959年、大学卒業後、本部道場指導員となる。1969年、小林道場を開設。1987年、日本武道協議会より、優良団体の表彰、2005年、武道功労賞を受ける。合気道八段。
著書:『我が道 合気道』(合気ニュース刊)


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