インターネット漢詩界の最近の動向について

(蓬莱同楽社編集部 酔翁)

はじめに

筆者は前号『蓬莱同楽集』第二集において「インターネット上における漢詩文実作の動向」について、第一期である「ホームページ時代」、第二期である「ブログ・SNS時代」、そして現状である「ツイッター界隈の動向」「インターネット発の同人出版」に分け、そのあらましを報告した。本文はその後の動向について、管見の限りではあるが報告するものである。
インターネットの動向は早い。前回の執筆から一年弱しか経っていないが、それでも数多くの変化が見られた。第一には新規参入者のさらなる拡大およびそれに基づく多様な関係の展開である。また第二には音韻学的知識の飛躍的な進歩が見られた。さらに第三に、日中間の「漢詩」の定義のズレをめぐる問題について意見が交わされた。これらについて簡単に報告していきたい。

一、新規参入者の拡大とネットワーク的関係の増大

双方向通信から成り立つインターネット上の人間関係は、発受信者である一個人が他の一個人と相対することが基本である。したがって関係の形成如何は個々人の選択に依存し、全体を統合する強固な組織が形成されることはあまりない。あるべき姿や依るべき権威を求めていくのではなく、個々人の好みを集約し、新しいものを見出していくのが基本である。
この特性はインターネット漢詩界においても同様である。個々人が自由に漢詩を作り、発信し、あるいは個々人の趣味に応じてその他多様な方面に展開することが基本となる。したがって、既存の枠組みに閉じこもるのではなく、個々人が持つ良いものを取り出していくならば、状況がアレンジされ、新たな世界が拓かれていくことになるのである。
この意味で今最も興味深いのは沖春城さん(本誌参加)の動きであろう。沖さんは「漢文学系Vtuber」として活躍しておられる。ユーチューバーというのは、動画サイトであるユーチューブで自由に発言・発信をする人のことを指し、日本ではヒカキン、はじめしゃちょーといった人々が著名である。

沖さんもまたそうしたユーチューバーの一人であり、ご自身の関心である漢詩を中心に動画を配信しておられる。内容は日によってまちまちであるが、たとえば「漢詩を読む『擔風詩集』」や、「沖春城先生に一から教わる漢詩教室【生徒:葦原ヨミ】」「漢詩・和歌・俳句合計百首作る配信」などが行われた。また「日本文化、歴史系Vtuberの集い」である「和同沙倫」に参加しておられ、そちらにも独自のネットワークが存在することが窺える。

一方従来から存在する詩会に基盤を置く方々のなかにも、オンライン上に参加してくる方々が複数見られるようになってきた。インターネットは匿名的な空間であるから実数は把握し得ないとはいえ、以前から自身の関与する団体名を名乗っておられたのがおそらく山口旬さん(江戸漢詩研究会)のみであったことを考えると、これは飛躍的な変化である。

従来の詩会を基盤に近頃参加された方のうちで異色の存在感を放っているのは葛飾吟社の鮟鱇さん(本誌参加)であろう。五万首という多作もさることながら、作品も近体詩の定型のみならず七言俳句や十七字詩といった新形式を多数形成しておられる。それら作品の評価は今後に委ねられるべき事柄であるとはいえ、これほどの新形式の開拓と無数の作品の発信にまずは瞠目すべきであろう。

また二〇一九年四月二八日には山口旬さんの主催により第三回DM詩会が開催された。これはツイッターのダイレクトメール機能を用いたチャット形式の詩会で、参加者はアイた時間に好きなように参加、発言してよいというものである。最後には参加者全員による泊梁体が制作されるなど、非常に盛り上がった。

一方、現代詩においても漢詩への関心が見られる。非公開サークルなのでここでは名前を挙げないが、二〇一八年一一月四日にDM詩会同様にチャット形式の詩会が形成され、現代詩人を中心に一時期は活発なやり取りが展開されていた。現在は主催の事情もあって中断気味であるが、今後主催が復帰したならば再び活発なやり取りが展開されることであろう。
また同人誌界隈においても、『東方Project』の二次創作として、ひととせさん主催により『東方漢詩合同 得三友』が刊行された(二〇一九年五月五日)。これは近藤貴弥さん主催の『折楊柳』(二〇一五年一一月一日)の後を受けたもので、七名の方が参加しておられ、こちらも盛り上がっている様子が窺える。

また蓬莱同楽社主催の活動も複数行われた。『広韻』のアルファベット表記の一方法である「隋拼」を開発された「Mag462」さんを招いて開催した「漢語中古音に親しもうの会」(二〇一八年一二月二六日。於東京秋葉原)、冷泉流歌人である六畳院さんを招いて開催した「古典に親しもうの会」(二〇一九年一月二〇日。於京都出町座)がその主なものである。とくに「漢語中古音に親しもうの会」は、hsjoys(はすじょい)さんによって引き継がれ、現在もオンライン上で活動中である。

二、漢詩実作技法をめぐる進展

実作技法の問題では、音韻学の受容にかんして飛躍的な発展が見られた。基本的な漢詩実作においては、平水韻による押韻と、各文字の平仄のみが問題となる。むろんその発音は失われているから、「平仄のルールを守ること」のみが実作の絶対条件と理解されてきたのである。だが音韻学の発展を受容することによって、その規範さえ相対化されることになるのである。

音韻学の研究は、おおむね上古音(先秦)、中古音(六朝~隋唐音)、近古音(宋から清)の研究に分かれる。この研究はそもそも、明末清初の考証学者である顧炎武によって基礎が築かれたもので、近代に入ってカールグレンによってはじめて中古音の体系的復元がなされた。こうした蓄積をもとにその後も複数の人々が学説の修正を行い、今に至っている。また表記法も在野を中心に工夫が続けられ、それを実作に取り込もうというのが昨今の流れの一つである。

この発展の担い手は実作者の側では主として聴雪さん、望之さん、および筆者であり、理論面・技術面では主として「Mag462」さん、ならびに「hsjoys」(はすじょい)さん(漢字アルファベット変換装置を開発)である。具体的な様子は五月一〇日に行われた次のやり取りを見ていただきたい(訓読筆者)。

無題 聴雪
逍遥月落夜深深 逍遥月落夜深深
上七軒街從此南 上七軒街 此れより南
能畫雙眉對鸞鏡 能く雙眉を画きて鸞鏡に対すれば
離憂遠憶卻無心 離憂 遠く憶ふて卻って無心

望之:この韻はもしや上古の通押でしょうか。
聴雪:元々今の侵と同韻であったなら、僕が読む際もnanではなくnimとしてしまえばいいか〜くらいにしか考えていませんでした笑
望之:先秦詩を読む際の叶音を使った押韻とは面白いですね。上古侵部、もともと押韻できるほど近かったものが、何らかの条件で主母音が分かれたものですね。

ここでは「叶音」がキーワードである。先秦の発音(上古音)において押韻できた文字が、理由は不明ながら歴史的変化によって発音が分岐し、六朝ごろ(中古音)には押韻できなくなる場合が出てくる。だが当時は歴史的発展の観念が存在しなかったので、押韻されているのに発音が異なる場合、中古音のルールで読み直したのである。それが「叶音」ということである。

こうしたルールは平水韻と平仄に則って実作を続けている限り無用のものであるが、音韻学的な知識を持つと必ず出てくる問題である。それが実作の中に取り込まれつつある点が何よりも興味深い。そしてそのような技法を取り込むことによって、押韻として使用可能な文字が変化し、表現自体にも変化がもたらされる可能性が出てくるのである。

実作としては、筆者が詩賦への関心から空海『文鏡秘府論』をもとに六朝から唐代にかけての実作における音韻上の留意点を、望之さんが詞への関心から近古音の音声ならびに詞実作における音韻上の留意点を追っている。現在、両者ともに当時の作品に平仄にとどまらない何らかの音韻的特徴があることを示唆するに至っている。聴雪さんもこうした動きに関心を持っており、右の作品に見られるように音韻論を取り込んだ実作を試みている。

こうした作業を行いうる背景には、音韻学の体系的知識および歴代の詩話・詞話を容易かつ豊富に入手できる条件が揃っていることが挙げられる。たとえば筆者の場合、『文鏡秘府論』のみならず『文心雕龍』『六臣注文選宋書謝霊運伝論』といった文献を、たとえ校訂の不足した電子文献であるとしても家に居ながらにして閲覧できるため、急速に検討を進めることができたのであった。結果、「軽重清濁」について最新の学術研究と同じ結論を見出し得たので、底本を最終的に確認し直さなければならないことに十分留意しているならば、今後ともかなりの成果を期待しうるであろう。

漢詩実作技法については、右に述べた音声面が今後とも課題となると思われるとともに、内容面についても論点が多々眠っている。これらの問題については沖春城さんが袁枚について語っているほかはまだまだ集約されていないように見受けられるので、今後の検討が期待される。作詩技法史の研究は乏しいと仄聞しているが、可能ならば学問的にも採り上げてほしい。それが漢詩実作に反映されたならば、一つの新生面が切り開かれるに違いない。


三、漢詩の定義と実作の展望をめぐって
二〇一九年七月六日、川合康三@kawakou0404さん(中国文学者として著名。なおインターネット上ではすべての発言者が発信者として対等であるから、特別の敬称は用いない)が「李商隠の良さが広まるのはやはり嬉しい。こんな繊細で美しい詩を漢詩と呼ぶのは似合わない」と発言された。この「漢詩と呼ぶのは似合わない」という発言をめぐり、その後数日間にわたって日中を含む複数の人々が感想を述べ、また派生の議論がおこなわれた。
ここには漢詩をめぐる日本人の理解が横たわっている。すなわち、漢詩というのは武骨なものであって、日本の文学はそれに対して繊細だというものである。このような考え方は何となく日本の漢詩受容に染みついている。そしてそうであるとするならば、李商隠の繊細な作品群はおよそ漢詩らしくないことになる。川合さんの発言の背景にあるのは、このような日本の漢詩理解である。

これに対して強く疑問を投げかけたのは抱殘齋(西溪逋客)@baocanzhaiさんであった。この方は中国人であり、日本的感覚での「漢詩」に対して疑問を呈されたのであった。中国文学史においてはすべてが同じ文学史的蓄積のもとに展開するのであるから、そもそも日本文学のように繊細さと武骨さをそれぞれ国文学・漢文学に分属させるような発想は存在しない。そこから来た疑問であった。

その後も複数の方々が感想を述べた。たとえば、江戸時代の『唐詩選』流行以来、日本の漢詩受容は盛唐の気宇壮大な詩が主体であるという指摘、日本人の漢詩概念には「鞭声粛々夜河を渡る」という詩吟的なイメージが強いのではないかという指摘、いまの日本では詩吟から漢詩創作に入る人が多く、詩吟的傾向が強いのではないかという指摘などがあった。さらに詩吟が戦争協力と結びついた旨の指摘も行われた。

また李商隠の漢詩を漢詩のなかでも特別な詩的性格を持った作品と扱うか、漢詩自体の詩的性格を再評価するべきかについても会話が交わされた。今後は中国語で読むべきではいか、否それでは外国文学と完全に同じになってしまうというやりとりもあった。また筆者自身も、そもそも日本での李商隠注釈で古典的なのは森槐南と上村売剣のグループである声教社同人であり、むしろ李商隠への高い評価が忘却されており、そのまま無意識に幕末以前まで遡及させている可能性を指摘した。

これらの意見表明は、筆者はともかくいずれも高度な研究者や実作者によるもので、それぞれの意見表明はわずかな研究余滴に過ぎないが、それらを集約してみると、総じて非常に興味深いものであった。そもそも漢詩実作において、意識せず日本的漢詩観念で作品を作り続けた場合、日本国内での生産と消費を繰り返し、袋小路に陥る可能性がある。今回の抱殘齋さんの疑問はこの点が端無くも露呈したものであろう。

むろん、漢詩実作界において、多くの場合、いわゆる「和臭」は必ず排除すべきものと称される。にもかかわらず全体において日本的観念を一歩も出ないのであれば、どのような努力も意味をなさず、結局のところ詩としての普遍性を獲得することはできないであろう。むしろそうした無意識的な常識をひっくり返し、繊細な作品をも作っていくところにも、漢詩実作の新たな展望への切り口がありうるのではなかろうか。

(第三集掲載見送り原稿・初出)蓬莱同楽集第一~第三集作品目録



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