蓬莱同楽集(第1集あとがき)再録

漢詩合同集『蓬莱同楽集』あとがき(第一集あとがき)

四月二六日夜、本書の原稿が私の手を完全に離れました。私が刊行した同人誌としては三冊目ということになります。ツイッター上で募集し、投稿者一五名、スタッフ九名(重複を除く参加総数一九名)、四〇作品(五言絶句三首、五言律詩三首、五言古詩一首、七言絶句二六首、七言律詩四首、雑詩一首、詞一首、文一篇)に上ります。私が楽しみたい一心で始めたことですが、思いもかけず珍しい試みにもなったようですから、記憶が定かなうちに、この場を借りて経緯について書き残しておきたいと思います。

本書のテーマは「楽しむこと」。基本的な経緯については序文に記した通りです。二〇一七年五月の文学フリマ東京で自作の作品集を出してしまい、次回はどうしようか、同じことを繰り返すのも芸がないと考えていたおり、これまでの同人経験から合同集の企画を思いついたのでした。技術的には作品部分を自作の代わりに皆さんの作品に差し替えれば良いわけですから、忙しい時期だけれども不可能ではないだろうと思いました。

記録を見てみると、私が最初に本集の刊行をツイッター上の皆さんにアンケートで諮ってみたのは同年六月初頭のことでした。結果的に三二名の方々から反応があり、しかも投稿志望の方が七名いることがわかりました。その後一〇月半ば、よく知った数名の方々に打診したところ、二、三日のうちに四名が手を挙げてくださり、同月一六日には正式にツイッター上で募集を告知しました。

世間に漢詩を作る人などそんなに多いわけでもありませんし、ネット上でも指折り数えるほどしか見かけませんでしたから、今回もせいぜい一〇人も集まれば御の字だろうと思っていたところ、今まで存じ上げなかった方も含め、思いもかけず一六名の方が投稿を希望され(二名は多忙等の事情によりその後辞退)、スタッフと私自身も含めれば延べ二五名の方が参加される一大プロジェクトとなりました。校正に本業の方が付いて下さったのも心強い限りでした。

私は基本的にその場その場での時間や状況の管理が苦手どころか杜撰の域に達していますから、この際予定を完全に立てることとし、可能な限り綿密な行程表を作成し、皆さんにもそのスケジュールで動いていただくこととしました。一二月三一日を進捗確認日、その後個別の相談期間を経て翌二〇一八年二月四日を原稿最終締切日としました。その後校正方に回送、執筆者への校正返却を含む数次のやり取りを経て、同時進行の表紙と合わせて四月初頭に余裕を持って入稿する段取りでした。

が、そうは問屋が卸しませんね。やはり思いもかけないことが起こります。作品の掲載基準は古例を何らかの意味で踏まえているかどうかに置きましたが、そもそも形式を満たすことに意を用いておられない方もおられました。漢詩文というのは恐ろしいもので、その人の技量や背景の教養が一見してわかります。もちろん私の技量が比較して優れるなどとは決して言えないにせよ、これは編者のみならず作品集の質も問われる事態で、他の参加者の方々にも失礼に当たりますから、その方には申し訳ないですが今回は辞退していただきました。現在計画中の第二集以降で参加していただければと心密かに念じています。

投稿作品を整理して配列を決めるのも一苦労でした。目次をご覧になればわかる通り、皆さん本当に好き好きの内容を投稿くださったので、どういう配列にすれば本集のコンセプトに即すのやら……と嬉しい悲鳴で頭を抱えました。いくつか案はあったのですが、私の作品は皆さんのお邪魔にならないよう添え物として一番最後に置かせて頂くのは当然として、その上で、南山散人さん以下清雅なものを前に、多様な主題を後ろに置き、トリを山陰生さんに務めていただきました。

それから、ご本人の許可を得たのでここに書きますが、題字についてもリテイクをさせていただきました。あまり好き好きに遊ぶことには慣れていらっしゃらなかったそうで、最後は中国酒を一瓶ひっくり返して筆を執られたとか。これはおおいに興がありましたので、そのまま採用させていただきました。ただこれまた絵と字がなかなかうまく収まらなかったので、ほとんど経験のない篆刻を、秋林さんに助言をいただきながら急遽作り、隅に据えました。拙劣で画面を汚したのではないかと恐れます。

そして最後に校正ですね。「書を校するは塵を掃うが如し」と言いますが、本当に大変ですね。ルビが抜けているのは序の口で、なぜか字が飛んでいるだのページ番号の表記がうまく処理できないだの、特に多かったのは旧漢字と新漢字の入れ違いでしたが、まったく思いもかけぬ不備がいたるところにあり、校正さんをおおいに煩わせ、また印刷折衝さんならびに印刷所さんにご迷惑をお掛けしました。編集補助の皆さんにも助けられ、おかげをもって入稿に漕ぎ着けることができました。本当にありがとうございました。

さてあらためて目次を見返してみると、参加者の顔ぶれも実にさまざまです。その特徴を一般化することは少し難しいですが、一つ確実に言えることは、一〇代、二〇代が数多く参加しており、年齢層が昨今の例に比して非常に低いということです。きちんとアンケートを取ったわけではありませんが、平均年齢は三〇代か、高くても四〇代でしょう。全日本漢詩大会応募者の平均年齢は七〇代といいますから、これはもはや事件かもしれません。
それに応じて、参加者の経歴も多様です。桜岳さんや曽川瑞庵さんのようにそれぞれの世界での漢詩文実作の蓄積を踏まえて参加して下さった方もいらっしゃれば、逆に投稿時点ではほぼ初心者の方もいらっしゃいました。また楸花さんは賞を取られたこともある現代詩人です。ノウハウが違うこともあってか、現代詩人と漢詩人との実作上の相互乗り入れは類例が非常に乏しく、とくに戦後は私自身一人も発見できていません。おそらくここ百年でも珍しい例なのではないかと思います。

作品の内容もまた多様でした。とくに後半がそうですが、私もまったく予想だにしなかった作品が次々と届きました。わけても過去ならあり得なかった作品といえば緑靄跟さんの二作品でしょう。内容は実に現代文化そのもので、まさかこれを主題にするとはと驚きました(なお現代文化を描写する漢詩の先例は明治期に多数あります)。しかし一方で語法はよく調べられており、しかも韻鏡十年と言われる難解な音韻論を押さえながらの作品なのですから、もうビックリ仰天です。

ほかにも、驚いたことはたくさんあります。一番驚いたのは、第二集を編集しようという話になったことです。もとより第二集ができれば楽しいだろうと思ってはいましたが、今回も大変でしたから、編集部ができればまだしも、一人で主催して第二集を刊行するのはさすがに無理だろうと思っていたところでした。それが思いもかけず聴雪さんと桜岳さんが手を挙げてくださり、本集の編集補助を含め、第二集に向けて動くことになりました。

具体的なことはまだ決まっていません。何より、予算がまだ確保できていません。本書を購入してくださったこのお金から編集予算が作られます。これから三人がかりでいくつも即売会に出る予定ですから、告知をご確認の上、ぜひ知己の方にお勧めください。そしてもし実現したならば、メインコンセプトはやはり「楽しむこと」。そして本集からもう一歩進んで、漢詩文に関心を持つ方々の交流の場になれば良いね、という話をしています。

ほかにも時代背景の話その他書きたいことは沢山あります。本書の背景には、コミケを典型とする同人文化や、二〇世紀末から台頭してきたインターネット文化といった、漢詩文の流れからは思いもかけないさまざまな文化史的条件が折り重なっています。これを実証的な歴史叙述として述べてみたいというのが今の私の欲求です。ですがそれは別の機会に譲らせていただき、今回はこの辺りで筆を擱こうと思います。

最後になりましたが、本集に参加、ご協力下さいました皆さま方、本当にありがとうございました。充実した作品集になったのはひとえに皆様のおかげです。感謝いたしております。第二集については編集部で動くこととし、また私自身、これからも好きなように楽しんでいくつもりです。編集部の面々を何卒ご贔屓にしていただき、手前共の娯しみにぜひ今後ともお付き合いくださいませ。

二〇一八年四月二七日 酔翁 識

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