インターネット上における漢詩文実作の動向について

(酔 翁)

はじめに
漢詩文の実作が廃れて久しいと言われるが、インターネット上において活発な実作が行われていることを読者はご存知であろうか。全日本漢詩連盟ウェブサイトや桐山堂のような代表的な漢詩サイトをはじめ、ホームページや多様なSNSなどを通じ、インターネットの双方向性を活かした多様な実作と批評が繰り広げられているのである。

インターネット上の動向を見ていく場合、二つの視点が必要である。第一に、それまでの漢詩文実作の動きとどのような関係に立つかということであり、第二に、インターネットと連動しつつ花開く多様な文化が漢詩文実作の動向をどのように支えているかということである。紙幅の都合、ここでは第二の点に絞って述べていきたいと思う。なおリンク先については表記の都合、最後にまとめて記載する。

1、ホームページ時代
まずインターネット初期の動向であるが、筆者が知るのは二〇〇一年ごろからである。パソコン通信が始まったのは一九八〇年代半ば、インターネットの黎明期は一九九〇年代初頭であるが、その間の事情について私は知るところがなく、また調査のための手づるも持たない。どなたかの証言を求めたいと思う。
さて二〇〇〇年初頭当時のインターネットは、それまでの電話回線に代わってケーブルや光通信がシェアを広げ、データ通信速度が急速に上がり始めたころであった。つまりテキストに代わる画像データのやり取りが可能になってきた最初の時期である。当時はまだブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などは存在せず、ホームページ文化が全盛を迎えていた。匿名掲示板2ちゃんねるができるのもこのころである。

ホームページ(正式にはウェブサイトだが、ホームページが通常の呼称であった)は、その基礎をなすHTMLが扱えれば誰でも作れたので、インターネット上には多様なテーマのホームページが溢れていた。そこでは、本人が作成したコンテンツと、およびコミュニケーションのための掲示板、また友人関係のリンクが貼られているのが普通であった。

またヤフー検索も今と同じではなく、キーワード検索以外に手動によるカテゴリ登録があり、晴れてヤフー運営に認められて登録されれば多くの人々が見に来てくれることが期待できた。またカテゴリ登録ができなくても、自由登録制のウェブリングというものがあり、そちらから各主題のホームページに飛ぶことができた。

こうした文化の流れの一環として漢文・漢詩のホームページは存在していた。当時のホームページのうち二〇一九年の今も見ることができるのは後に取り上げる桐山堂のほか数ヶ所しかなく、全貌を明らかにすることは困難である。いずれにせよ、インターネット界の漢詩文の動向にとりわけ重要な役割を果たしてきたのが桐山堂であった。一九九八年四月に開設されたこのサイトは、以来現在に至るまで、学習、討論、投稿等を含むインターネット上の漢詩総合サイトとして機能し続けている。

このホームページは日本におけるインターネット漢詩実作の中枢として機能しており、今や閲覧者数五八万〇四一八、投稿詩五六五三首、投稿者数三三六名にのぼる(二〇一八年九月八日調査時点)。ここにはインターネット上の漢詩実作の状況が集約されているので、ぜひ一度ご覧になられたい。

2、ブログ・SNS時代
さて二〇〇〇年代初頭からの数年間はブログ、続いてSNSが急速に広まっていく時期でもあった。ホームページと掲示板によるそれまでのコミュニケーションはやがて衰退し、代わりにブログ記事とそれへのコメント、またSNSでの記事作成とそれへのコメントというのが基本的なコミュニケーションの形態に変化していく。

ブログ時代の漢詩文の趨勢について筆者は知るところがない。この点についても証言を求めたいと思う。ちなみに現在も活動しておられる漢詩実作ブログ「玄齋詩歌日誌」(注1)は二〇〇七年七月三日開設とのことである。またSNS時代にも漢詩実作の流れが続いており、初期の代表的なSNSの一つであるMixi(二〇〇四年二月サービス開始。当時招待制)には、現在も少数であるが漢詩実作のスレッドの存在を見ることができる。
またこうした動きと並行して、二〇〇九年には中国では「捜韻」(注2)という漢詩実作サイトが生まれていた。このサイトは中国語で作成され(簡体字・繁体字切り替え可)、本論時点で八〇万余首の作品を収録し、漢語大詞典のような工具書は言うまでもなく、歴代の詩話・詞話や古典籍類を幅広く閲覧でき、平仄のチェックも自動でしてくれるなど、実に驚くべきサイトである。

聞くところによれば、中国にも漢詩実作と相互批評のサイトがあり、またインターネットを通じた詩会がいくつか行われているとのことである。中国の漢詩文は文化大革命で否定され、大きな打撃を受けたが、復興までの期間はもはやそう遠くないのかもしれない。なお韓国語・ベトナム語圏およびその他全世界の動向については追えていない。ご存知のことがあればぜひお教えいただきたい。

なお「2ちゃんねる」(注3)にも実作の流れが存在したことが窺える。またさらに後になるが、「現代詩フォーラム」(注4)、「小説家になろう」(注5)、「ピクシブ」(注6)にも作品の存在を確認できることを付記しておく。おそらくほかにも存在するであろうから、もしご存知の向きがあればお教えいただきたいと思う。

3、ツイッター界隈の動向
インターネット上のコミュニケーションツールの変化は極めて早い。わずか三〇年ほどのうちにパソコン通信からホームページ、ブログからSNSへと展開していく流れは、SNSのうちでも初期のミクシィ、グリー等からフェイスブック、ツイッター、インスタグラム等へと展開していく。そのうち原則的に公開のSNSは短文投稿サイトであるツイッターである。

ツイッターの特色は、コメントに一四〇文字の字数制限があること、誰もが自由に登録して参加でき、他者にコメントを付けることができることである。この特色はとりわけ俳句や短歌の実作と相互批評に優れ、特に短歌界ではツイッター上で「純粋読者」論争(二〇一七年)が起こるなど、活発な情報交換が続けられている。

漢詩においてもこの特色は活かされる。七言絶句の場合二八文字であるから、ほかに改行分の四文字を足して三二文字が作品で埋められ、残りの一〇八文字を自由なコメントに当てることができるのである。ただしその部分を読み下しに当てる場合もあり、そのときはちょうど一ツイート(投稿)が埋まる程度となる。

ツイッター界隈で漢詩文の実作がいつごろから行われていたかは定かでない。ごく簡単に「漢詩」をキーワードにして検索してみたところ、二〇一三年一二月二七日に作成されたものを見ることができた。今のところこれが最古であるが、それよりもっと古いものがあるはずである。

筆者がはじめてツイッター上に漢詩を投稿したのは二〇一五年一二月ごろのことである。同時期、筆者の知る方々だけでも数名が漢詩の投稿を行っていた、と記憶している。また二〇一七年六月七日時点で筆者はツイッター上の実作者として一三名の名前をメモしているので、筆者未見も含めればおそらく二〇名程度かそれ以上の実作者が存在したと推定される。そのなかには伝統的な漢詩界から出た実作者・指導者も複数いた。

ツイッター上の「事件」として、「平成自由詩」のことに触れておかなければならない。これは茨城県の有力者で同県漢詩連盟の会長も務めた幡谷祐一が、漢詩ではないナニカを石碑として県内各地に遺していたことに、二〇一七年二月初頭、とある漢文クラスタ(クラスタとは英語で房のことであるが、ここでは界隈人程度の意味)が気づいたことに始まる。詳細についてはネット上にまとめがあるので参照されたい(注7)。

4、インターネット発の同人出版
こうした状況のなかで、インターネット発の同人出版が現れることになる。その主催はたまたま筆者自身であり、自分自身を取り上げるのはおこがましいとも思われるのだが、何分にもネット発の漢詩文に関する出版は例に乏しいので(ほかに筆者が知る限りで、東方二次創作として近藤貴弥編『東方漢詩合同「折楊柳」』がある)、一典型事例として取り上げておきたい。

さて『蓬莱同楽集』の作成経緯については、同集の「あとがき」(冊子に付録)に記したとおりである。参加者の実作上の経歴もまちまちで、いわゆる伝統的な日本の漢詩実作を学んできた方もあれば、曹洞宗門で偈を学ばれた方、また中国での実作の流れと連動している方、あるいは全くの趣味である方、そしてまた全くの初心者もおり、一括することは不可能である。むしろこうした多様な経歴を持つ方々がインターネットを通じて一堂に会した点に、インターネット発の本誌の特徴を求めるべきであろう。

またそれに応じて居住地もまちまちで、筆者の知る限り、東京・大阪は言うに及ばず、新潟・長野・鹿児島等、全国に散在している。そのため参加者の性別・年齢層等については全部を尽くせないのであるが、参加者一九名のうち三〇代以下が少なくとも一〇名はいるので、平均年齢は必然的に三〇代以下となる。

ツイッターのユーザー層は、一〇代のうち六七.六%、二〇代のうち七〇.四%なのに対して、三〇代以上は目減りし、三〇代三一.七%、四〇代二四.七%、五〇代一六.三%、六〇代五.九%となっている(注8)。三〇代以下の利用割合が突出する傾向は他のSNSには見られない特徴なのであるが、それがダイレクトに平均年齢へ反映したとみられる。

これは一般の漢詩界の流れと比較すると極めて特徴的で、たとえば同年のある漢詩大会作品応募者二五五名のうち、七〇代が一三二名と半数を占め、三〇代の三名を下限として二〇代以下の応募者は皆無である(注9)。ここからは、漢詩実作に関心を持つ青少年層が全国各地に潜在的に存在していること、また従来の漢詩界がこれまでそれを取り込むことができていなかったこと、またその層がツイッターを通じて本誌の制作に関心を持ったことが窺える。

筆者は当事者側の人間であるからその要因について客観的に検討することは至難である。けれども、たまたま筆者がインターネットの感性に馴染んでいたこと、また筆者自身がただ楽しみたかったので、いわゆる「漢詩界の復興」の路線を完全に拒絶し、私が楽しいからやるのだ、楽しみたい人は一緒にやろうということを徹底した点は、敷居が高いと感じられる漢詩において、皆さんが集まる上で大きな要因だったのかもしれないと感じている。

ただし参加者がまちまちであることから技術的な安定は得難く、編者としての筆者の反省も数多い。これらについては第二集以降で改善していくつもりであるが、一方で現代において漢詩文実作を楽しむにはどうすればよいのかといった議論のほか、第二集編集の過程で、日中のネットユーザーの実作状況と連動して、日本漢詩の流れとの関係と断絶、またそもそも中国漢詩と日本漢詩との差異をどう考えるかといった問題がダイレクトに現れていて、我が事ながら非常に興味深い展開を示している。

おわりに
ここから先は現在進行中の事柄であり、どのような展開があるのかは全く予想できない。ただいくつかの方面から楽しそうなお話は頂いており、楽しいものを作っていきたい、という思いとともにこれからも展開していくことになるであろう。
結果は出てからのお楽しみ。何が起ころうと、楽しく過ごしていくことがいちばん大切だと筆者は思っている。

注記
1「玄齋詩歌日誌」(https://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai)
2「捜韻」(https://sou-yun.com/index.aspx)
3「2ちゃんねる」(http://2ch.sc/)
4「現代詩フォーラム」(https://po-m.com/forum/)
5「小説家になろう」(https://syosetu.com/)
6「ピクシブ」(https://www.pixiv.net/)
7「茨城空港開港記念の石碑に彫られた漢詩がひどい」(https://togetter.com/li/1077899)
8 総務省情報通信政策研究所「平成二九年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」(概要)(http://www.soumu.go.jp/main_content/000564529.pdf)(一六面)
9 全日本漢詩連盟編『扶桑風韻』(第一六号、二〇一八年)所収「平成二九年度『扶桑風韻』漢詩大会漢詩応募状況・応募者データ」に基づく。


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