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これもう、ワンチャン第一言語が日本語じゃない可能性あるな


最近気付いたんですけど、私の第一言語は最早日本語じゃない可能性があるなと思っていて。

…いや、勘違いさせるようなことを言って申し訳ないが、私は大半の日本人がそうであるように日本語のモノリンガルだ。突然何の準備も心構えもなく(或いは、あっても)英語圏に放り込まれたら「あいむふぁいんせんきゅぅ…えんじゅー?…」と硬直するだろう。

待って、石投げないで。意味分かんないこと言ってごめん。でもその石は一旦足元に戻して。できる限り伝わるように順を追って説明するから。

人は皆、頭の中で独り言を言ったり、考えを文字に書き起こして整理したり、はたまた状況に一人突っ込みを入れたり、自分自身と対話を試みたりするだろう。その時に自分の頭の中で使われる言語の話だ。
上記のように、頭の中で言葉を使用する時、私の脳内の共通言語である日本語と、日本国で使用されている日本語ははてさて同じものだろうか?と、最近疑問に思うのですよ。
…いや、クオリアの話でもなくて。

何と説明すればこのニュアンスが正確に伝わるものか分かりかねるが…
表題の仮説を掲げるに至ったのは、最近、職場でのコミュニケーションに非常に困難を感じるのがきっかけだ。
私の伝え方、受け取り方のどこに問題があるのだろうかと考え、問題の解決を図るべく頭の中に組み立てた文章を書き起こそうとした時、アウトプットに際して再度頭の中の文章を日本語の文法に照らして組み立て直している思考のプロセスに気付いたのだった。
でもこれ、本来要らない工程ですよね?頭の中に構築した文章は間違いなく日本語なんだから。
そうだ。確かに私は日本語で思考する。まかり間違っても考えが行き詰った時に無意識で「oops, umm…let me see…」と脳内独り言を展開することはない。断じてない。何故なら日本語話者だから。
だが、どうにも、自分の考えを言葉にして同じ日本語話者に伝える時、考えをまとめてから口に出すまでの間に、自分の考えを日本語に翻訳する手順が挟まっているような気がするのだ。
ということは、私が脳内で使用している言語は、そのまま自分の外に出したが最後、意味と文法が崩れて日本国における共通言語として通用しなくなるのではないだろうか。さながらホムンクルスのようだ。そして、それは果たして「日本語」と言えるのだろうか。さっきから私は何を言っているんですか?私にもよく分からなくなってきたのですが。

まあ、平たく言うと「他者との言語を介したリアルタイムなコミュニケーション、無理ゲー過ぎんか?」ってことが主張したかっただけです。

以上。

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