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(※ネタバレ)「ミラベルと魔法だらけの家」感想

貴方はご自分の適性と理想の自分にギャップを感じたことがあるだろうか?周囲と比べて及ばない自分に嫌気が差したことは?あるいは周囲の期待に応えるため、日々自分をすり減らしていると感じてはいないだろうか?

ならば今すぐにこのページを閉じてこの映画を見るべきだ。
この「ミラベルと魔法だらけの家」を!!さあ早く!!

タイトルにある通り、この記事はネタバレを多大に含む。
今推敲したら、ネタバレどころかほぼあらすじだった。未視聴の読者諸兄姉は早急にこのページを閉じていただきたい。

本作品は映像も美しく、楽曲のクオリティーも高い。南米はコロンビアが舞台で、ラテンの陽気なリズムが頭に残る。家族で楽しめる映画で、非常におすすめだ。
また、もし貴方がピクサーの「リメンバー・ミー」を視聴済で、あの作品がお好きなら恐らく本作も大きく外れではないだろう。




分かった。未視聴の皆様の避難が完了するまであと3秒待とう。

3

2

1


…閉じた?


もういい?もういい?うん。じゃあ話し始めるね。
よっしゃあ!語るぞ~!



さて、本作品「ミラベルと魔法だらけの家」だが…




筆者は視聴開始15分で号泣した。


え…?何これ…歴代D映画でもトップクラスにしんどくない…?
マドリガル家の子供たちはみな5歳になると魔法の才能を与えられる。
しかし、主人公であるミラベル・マドリガルだけはギフトを与えられなかった。
物語は家族で最年少であるミラベルの従兄弟がギフトを貰い受ける儀式の日に始まる。
家族の中で自分だけギフトを貰えず、従弟(10個くらい年下)の儀式で肩身が狭そうにしているミラベルを見ていると、こちらまで居たたまれない気持ちになった。先に述べておこう。筆者は彼女にかなり感情移入しながら視聴した。
自分以外の全員が自分には逆立ちしてもできそうもないことを何の気なしにできてしまう、あの無力感は実像を伴っていやにリアルに想像できる。彼女の孤独、劣等感、定まらないアイデンティティ、そしてプレッシャー…さぞかし息苦しかったことだろう…そして何より彼女に冷たいマドリガル家に対しては憤りを覚えた。水よりも血よりもギフトが濃いのか。おばあちゃんがそんなに怖いか。全くもって嘆かわしい。

だが、そんな第一印象は物語が進むにつれ、次第に変わっていくこととなる。

筆者は(※ミラベルはギフトがなくとも優しく、しなやかで、精神的に自立した素晴らしい女性だが、便宜上この失礼な表現を使用することを平にご容赦いただきたい。)所謂「持たざる者」の視座でこの映画を見ていたが、一方、「持てる者」がこの映画を見たとき、どのキャラクターに感情移入するだろうか。

イサベラはミラベルが「お姫様気質」と言及していたように境遇も理想も持ち歌(I Wish Song)も歴代プリンセスの面影があった。ギフトも「花を操る」といった視覚的に華やかなものだ。モーションもアナ雪やラプンツェルのオマージュのような印象を受けるシーンが散見された。…ように思う。素人目には。
彼女はいわば令和ナイズドされた1980~2010年辺りのヒロイン像のパッチワークといったところか。
トロフィーワイフとして周囲が話を決めた結婚に辟易しているのはジャスミンやベル、自分の力を試したり、冒険を望んでいるあたりはエルサ、ムーランを彷彿とさせる。また別の日記で早口に語ることがあるかもしれないが、思えばディズニープリンセス像はこの年代くらいから固まり始めた感があるなと一視聴者の立場からそう思う。
ひねくれた見方だろうが、そんなプリンセスの象徴のようなキャラクターを主人公の目から見ると「嫌な姉」に描写してる辺りに現在のディズニーのスタンスを感じる。良かれ悪しかれ、最初期の高貴さ・美しさ、無邪気さだけでハッピーエンドを勝ち取ってしまうオールドスクール神話級ガチプリンセス像は、確かに時代の価値観に抑圧されていたかもしれないが、それでもこれがディズニーの原点だったと思う。故に、昨今見受けられる受動的なヒロイン像を否定するような風潮は正直結構寂しい。多様性とは、前時代的な表現での「女性性」を完封した先にあるのだろうか。美点も欠点も全ての価値観を包括してこその多様性ではないのか。現代の女性は須らく強くあらねばならないのだろうか。おい、聞いてるか?「シュガー・ラッシュ オンライン」。お前に向けて言ってんだよ。

以上で述べた「強く在らねばならない女性」については彼女が強烈な右ストレートをもってして切り込んでくれる。山を動かし、川を捻じ曲げる百人力のルイーサだ。
彼女は街の人たちから頼りにされていた一方、プレッシャーで心がすり潰れてしまう寸前だった。
強靭な彼女にロバや石造りの橋よりも重くのしかかっていたのは「周囲からの期待」だったのだ。
強く在ることを望まれた彼女はその実非常に繊細な内面を持っていたが、周囲からの期待故に弱音を吐くこともできず、内心苦しくとも強さを演じ、提供し続けなければならなかった。才能とパーソナリティにギャップのある人間は、いくらその能力が高くともこういった苦悩が付きまとうのだな、と目から鱗が落ちるようだった。誰もがルイーサを悪意なく追い詰めているかもしれない。或いは貴方もルイーサと同じ境遇に追い込まれることがあるかもしれない。ギフトが必ずしも祝福になるとは限らない辺りがめちゃくちゃ現実である。しんどい。ディズニー。夢を取り戻せ。

自身のギフトによって不遇を被った人物がもう一人いる。
映画中盤辺りまでその名を口にすることすらタブーになっていたブルーノおじさんだ。お辞儀をするのだ、マドリガル…
彼の予言はどういう訳か不吉なものばかりだ。そして確実に当たってしまう。だから敬遠された。彼がその結果を招いた訳ではないのに。というか、予言を受けた村人の、少なくとも「太った」に関してだけはマジでただの自己責n…
周囲からはギフトのイメージで悪い誤解を受けてはいたが、彼は家族の中でも特にミラベルに対して協力的で優しかった。姿を消したのも家族を思ってのことだ。
個人的に「こいつマジで良い奴かよ…」となったのは終盤の、わざわざミラベルとおばあちゃんのところに馬飛ばして、「ミラベルは悪くない!」と主張しに来てくれたシーンだ。ミラベルの姉たちはいざおばあちゃんを目の前にすると怯えて何も言えなくなってしまったけど、ブルーノおじさんだけはミラベルを庇ってくれた…登場シーンの大半ずっとオドオドして自信なさげだったのに…こんなん…もう…アガペーやん…

というか作中一貫してミラベルに優しかったのブルーノおじさんだけじゃん!!
何なんですか!?人ん家にあんまりこんなこと言いたかないけど狂ってるよこのご家庭!!本ッッッ当、関係性が決定的に壊れる前に話し合いできて良かったね君達!!でも結構ギリギリだったぞ!!危ね~~~!!

既に序盤から筆者の顔面はありとあらゆる液体(主成分は涙)でべっしゃべしゃだったが、映画終盤ミラベルが崩壊寸前の家から自分の身も顧みずに蠟燭を取りに行ったところでさらに泣いた。声を上げて泣いた。深夜の自室で酒瓶を傾けながらめちゃくちゃ泣いた。もう、お前…塔のくだりといい、そんな身体張ること無いって…無理すんなよマジで…
確かに「自分だけ家族の役に立てていないのではないか」という不安はじくじくと彼女の心を殺し続けたかもしれない。
しかし、だからといって!物理的に死に得る状況に身を置くことないでしょうに!!
あ~あ!これも全部おばあちゃんが長年家族にプレッシャー与え続けたから!!あ~あ!!これだから組織のワンマン運営は!!あ~あ!!

…かと思いきやこの状況を作った元凶である祖母もなかなかしんどい状況にあった。「頑張れてしまう」人間が周囲にも同レベルの頑張りを期待し、周りの人間が無理を強いられ、コミュニティー内の人間の首が相互に締まっていく現象はディズニー映画では見たくないくらい「現実」だな~~~と思った。だが、その根底には確かな家族への愛があったのだ。同族のコミュニティーへの忠誠心があったのだ。
彼女らは愛ゆえに頑張れたが、愛ゆえに互いに苦しみ、同じように相手を苦しめていた。あーしんどい。ちょっと休んでいい?




ふぅ~~、あー、お茶おいしっ
そんで、何だっけ?



おっと、そうだった、感想の続きだ!

それでも、ミラベルが家族みんなに各々が欲している言葉をかけ、また、彼女に胸中を吐露してハグを交わした相手が良い方向に向かっていく様はなんだか魔法のようだった。正直、鑑賞中ミラベルはこんな窮屈な機能不全家族捨てて相談員とかになればいいのにと幾度となく思った。絶対ソーシャルワーカーか何かのgifted(才能)あるよ。
ミラベルの視点を通して鑑賞したとは言ったが、やはり「持たざる者」なんかじゃない。彼女も家族の仲介者としての輝かんばかりの資質を持っていた。かくして物語は静かに、だが重厚な響きを伴って、大団円へ向かってゆく。

最後のシーンで奇跡は貴方だと、ギフトなんかではなく、あなたがあなたであるというだけで素晴らしいことなのだと説く彼女は夜空に燃える星のように美しかった。
家族の前で、この苦しい状況を作ったのは自分であると厳かに懺悔する祖母と、その謝罪を受け入れる家族の歌は何にも代え難く温かった。
街を一族で担ってきたマドリガル家の人々の元に、街の面々がもう肩の荷を下ろしていいと駆け付けるシーンのコーラスは相互に支えあうことを肯定し、讃美歌のようですらあった。…正直、このシーンは冷静に考えると些か急展開で、どうにもご都合という名の魔法が働いていたような気はしたが、ミュージカル映画に理屈は不要。考えるな。感じろ。今だけはその美しいハーモニーに全て委ねてしまえ。

…だが、「誰でもいいから付き合いたい(大分意訳)」的なことを言っていた恋愛脳男を従姉妹に宛がおうとするのはどうなんだ。ドロレスもドロレスで、親戚のお姉ちゃんのお手付きでいいのか?「君を見ている」?本当に~?まあ、少なくともあの時点では二人とも幸せそうだったから、いいか…


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