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中間組織としての「派閥」と組織内多元主義

 昨今の報道でも、あたかも派閥解消が圧倒的な善であるかのような印象をばらまいています。
 しかし、政治組織内の「派閥」をもっとも気嫌いしてきたのは、中国の皇帝=官僚制であり、派閥を作ることを「党錮の禁」という形で弾圧してきました。それでも、科挙の試験官-受験生の形での親分-子分関係が非公式に発生することはなくなりませんでした。

 また、近代史では、派閥を忌み嫌ったのは、スターリンや毛沢東で、派閥の禁止とは、結局、党員を個人に分解し、直接かつ純粋に党首への忠誠を誓わせることとなり、個人崇拝と権力独占を生み出しました。
 小泉改革による官邸機能の強化によって、総理大臣個人の権力強化、大統領化が進み、その弊害が散見にされるようになっています。さらに、政党交付金によって、そもそも大規模政党の中央執行部の個々の議員に対する統制が強化されている中で、自民党の派閥が単に解散させられるということでは何が起きるでしょうか。

 政治学者のダールは、民主主義とは複数の中間団体が切磋琢磨し、チェック&バランスをすることで、保たれるものだという古典的な多元主義を提唱していました。中間団体の部分的な弊害はあるものの、この議論自体は、否定はされてはいないと思います。
 政党内の派閥という存在は、中央執行部、特に党首の権力に対する(地方支部組織と並ぶ)掣肘メカニズムとなる存在で、いわば党内、組織内民主主義の基盤としての中間団体だったということになります。
 そのような中間組織を解消すれば、政治資金の配分問題と合わせて、公党の党首個人の権力が強化されることになり、特に首相と人格的に兼ねるということになれば、それはナチスの「総統」であり、スターリンや毛沢東の「総書記」ということになります。
 政党(組織)法が、政党内で民主的な統治が行われるような強行規定的な組織規範を構築するものであるとするならば、これこそが派閥=中間団体の欠缺の問題を埋める社会規範ということになるのだと思います。

 こういう視点からすると、政党(組織)法の規律の対象となる「政党」とは、与党と政権選択の対象となる野党ということになるでしょう。そうすると、現職の国会議員の数と国政選挙への立候補者の合計が組織の外延を画すということになるのかもしれません。そのため、党所属性についての争いとして、政党(組織)法規制当局と政党の間の争訟と、政党と所属党員(必ずしも議員ではない)の間の争訟が発生することになり、その司法的又は准司法的解決というものが、重要な要素として浮かび上がってくることになるかと思います。

 いずれにせよ、派閥が人事と資金を持たなくなれば、自分の選挙にある程度の自信のある人は当然、残存する派閥への参加をやめて、総裁と執行部に直接つながろうとするでしょう。また、選挙に自信のない人は、資金面と公認を求めて、総裁と執行部に依存せざるを得ない状況になるでしょう。

 さらに想像を膨らませれば、派閥解消によって、与党政党組織と、政府官僚組織との融合が進むのかもしれません。というのも、派閥組織が担ってきた各種の事務的機能を、党組織が担う必要が出てきたい時に、もっとも手近なリソースが、政府官僚組織だからです。官邸に経済産業省OBが「政務」秘書官として「引きずり込まれ」=「入り込んでいる」ことが一つの傍証なのかもしれません。