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2024年に政党組織に対し組織規範を設定することの意味、意義とは?

 昨今のいわゆる派閥裏金問題に端を発して、一部で政党法の議論がまた始まっているようです。そこで、少しメモを作ってみました。
 
〇組織の在り方を強行規定(それを守らないと法的に無効となったり、ペナルティーを科されたりする規定)で定めることは、憲法上の「結社の自由」からして、例外であり、何らかの必要性、目的(いわゆる立法事実)が必要となる。

〇強行的な組織規範立法として政党(組織)法を規定する場合、会社法や一般法人法のような汎用的な組織規範立法はあまり参考にならない。なぜならば、両法の第1条の目的規定を見れば分かるように、これらの法律は、組織について定めること自体が目的であり、その組織が何をするかについて無関心だから。そもそも、この法律には「目的」規定は存在せず、第1条は趣旨となっており、機能を説明するだけのものとなっている、ある種、とても特異な法律。その一つの例証として、これらの法律では、「会社」とか「一般社団、財団」の定義、つまりこれらの組織の本質について全く言及がなく、ある一定の手続きをもって設立されたものの呼称として規定されている。

〇政党のように、ある特定の目的で集まった人の集団を律する組織規範としては、宗教法人法、NPO法、公益法人法などが参考になると思われる。これらの法律には、目的規定が存在し、この法律の規律に服する団体や組織が何のために社会に存在し、その組織や行動を規制することによって、日本国に何をもたらすのかが書かれている(第1条の目的規定に、「資する」とか「寄与する」という文言がある)。

〇特定の政治的目的を達成するために、共同、連帯して政治活動や選挙運動をする人の集まりという本質を没却した、政党(組織)法制というは、あり得ないのではないでしょうか。とすると、どのような目的のために、特定の価値実現を目指した組織体についての強行的組織規範を作るのかという観点から、宗教法人法や公益法人法、NPO法がまず比較や検討の土台になるのではないかと思います。

〇全く異なるアプローチとして、政党を「公益を目指す私的な組織」とするのではなく、憲法上には規定はないが、国権の最高機関である国会(制度)に付帯する組織体として、公法的存在として組織規範を考えるということです。

〇国会法上の「会派」概念(第42条など)を土台として、議員団体の組織内民主主義や不明朗な金銭のやり取りの撲滅を目的とするものとして規定するという方向もあるのでしょう。よって、議員相互間に何の拘束もない親睦団体については対象外で、政党とは、組織構成員としての地位の確認訴訟が提起できるようなものということになります。
 
以上のように、政党(組織)法について検討する場合、
● 特定の公益的、政治的目的を持った私的団体、組織に対し、限定された効果、目的を設定して、その効果、目的のために、必要な範囲での強行的組織規範(および任意規定)を設ける(私的自由、自治に対する比例原則に則った最低限の法規制)として立法する(理屈上、閣法もあり得るが、政治的には議員立法)。
●  国会の延長線上の組織として、公法的に位置づけ、公職である国会議員の合同組織としての組織規範を定めるというもので、国家行政組織法や地方自治法のような組織準則を定めるものとし、効率性や正当性を確保するために必要な限度の立法とする(こうすると、三権分立の観点から、閣法はあり得ない)。
という二つの方向があるのではないかと思います。

※国家行政組織法 第1条この法律は、内閣の統轄の下における行政機関で内閣府及びデジタル庁以外のもの(以下「国の行政機関」という。)の組織の基準を定め、もつて国の行政事務の能率的な遂行のために必要な国家行政組織を整えることを目的とする。
※地方自治法 第1条この法律は、地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする。

 私自身は、目下のグローバリズムとリバタリアニズムに席巻されているポスト・フォーディズムの時代(別葉では、フレクシ=グローバリズムの時代という表現もあります)が、1980年代のレーガン政権の時代から40年たって、そろそろイデオロギーとしの賞味期限が終わろうとしているのではないかとの見立てを持っています。

 その時、重要になるのが、ハンナ・アーレントの「人間の条件」で論じられた、人間を人間たらしめている「活動」のための場の在り様であり、それが人と人が集まる「組織」の在り様だと思っています。そこには、働く場としての企業もありますし、地域の市民運動組織も含まれますし、さらには政党も含まれると思っています。

 スピードと効率的な組織運営の元で、利害調整を手続き的に決めることを優先する「ツルツル」な組織制度ではなく、参加者の合意と達成感をゆっくり、じっくり達成することを優先する「ザラザラ」な組織制度へと変わっていくのではないかと思っています。現在の日本の会社法に対しても、会社法の大家から痛烈な批判書が出されており(上村達男「会社法のだれのためにあるのか」)、そういう議論はアメリカの会社法制にもなされています。労働者協同組合法も制定されていますし、労働組合制度の中でも目下の企業別組合の限界から、地域単位の合同労組・地域ユニオンという動きも地味に進んでいます。

 その中で、政治活動における「協働の場」としての政党組織についても、法的に律するかどうかはともかく、刷新のタイミングなのではないかと思います。

 目下の情勢から、まずは公金の付託・信託を任されている組織としての規律というスモールセットのアプローチで行きつつ、ブロードセットの公法的アプローチ)に議論の土台を作っていくという事かもしれません。前者のアプローチの国民からの負託という意味で、信託制度(信託法、信託業法)や公益財団(社団という人の集まりというアプローチではなく、公金という財産の集まりというアプローチ)、信託業法の元での公益信託で検討するというアプローチもあるかもしれません。

 ただし、「政党とは何か」「政党の本質」を議論しだすと、神学論争となるのは必定とも思われます。とすると、会社法や一般法人法のように、「あえて」その法律が対象とする組織の要件を定めることなく、設立規定のみをもって、組織の定義を行って、そこに法律効果を持たせるというのも、立法実務としてはあり得るのではないかと思います。その場合、立法趣旨が明文でははっきりしないことから、解釈論が、よく言えば「百家争鳴」、悪く言えば紛糾することになるのか知れませんが。。。。