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ライブナタリー “Tempalay × Kroi”の日記

試験勉強と労働の日々の希望だった2023年8月16日が過去になってしまった!7月3日にTempalayのツアーファイナル公演を観て、7月17日にAAAMYYYちゃんのBillboard公演も観ることができたというのに、すごく久し振りにライブへ行った気がした。
それだけ毎日がんばって勉強と労働をしていたのだな(自分で言うな)。楽しいことは一瞬だけれど、辛い日々は長く感じる。ファイナル公演の日記に「一発合格目指して勉強をがんばる」と書いたし、試験結果は追記するつもりだ。受からねば。

ということで久し振りのライブの感想日記を書く。でも、読書が趣味なので本の話ばかりしている(ライブの感想とは?)。
※胡乱な記憶頼りなので、誤りがあると思われる。

今回行ったライブ

・8/16(水) ライブナタリー “Tempalay × Kroi”@Zepp DiverCity(東京)

ライブの感想

出演順は、Kroi→Tempalayだった。
Kroiのライブを観たのは、昨年10月29日のTONAL TOKYO以来だ。TONAL TOKYOでもKroiがトップバッターで、会場を盛り上げてくれた記憶がある。
というか、Kroiが演奏するまで「本当にライブをやるのか?」と、不安だったことを思い出す。だからメンバーがステージに出てきてほっとしたし、その後の演奏はとてもかっこよかった。このフェス、今年もやるのか?

TONAL TOKYOはさておき、怜央さんが「(観客の)HPを0にする」と仰っていたように、この日も1曲目から熱量MAXの演奏がかっこよかった。
MCで、今日は念願のライブ。Tempalayのサポートベースをしている祥太さん(BREIMEN)とはよくライブをするからTempalayの近くにはいたけれど、なかなか実現しなかったというお話をされていた。
私は少し後ろの方でライブを観ていたので、観客の後ろ姿がよく見えた。視界に入る殆どの人が手を上げたり、楽しそうに揺れていたりして、みんなそれぞれにこの日を待ち望んでいた感じがした。

持ち時間が1時間くらいだったのか?何かの曲間の演奏がすごく気持ち良くて、ずっとこのまま演奏していてくれ!という気持ちになった。
目を瞑って音楽を聴いていると、この前観たばかりのワシリー・カンディンスキーの『スウィング』という絵と解説文を思い出した。

ワシリー・カンディンスキー『スウィング』

美術館は静かで広いところが好きでたまに行く。ふらりと訪れて「なんだこの変な絵は?」って思うと、大抵「ワシリー・カンディンスキー」か「ジョアン・ミロ」って書いてあるので、それで二人の名前を覚えた。変な絵は好き(怒られるぞ)。
カンディンスキーは「絵画は音楽のように抽象的であるべきだ」という考えに基づき多くの作品を残したらしい。この解説文を読んだ上で絵を観ると、カンディンスキーは共感覚を持っていたのだろうなと思った。
色を「見て」、音を「聞く」のが当たり前だと思ってしまう。でも、カンディンスキーみたいに色を「聞いて」、音を「見る」人もいるのだろう。

ライブに行くと、演奏する人の表情や手の動きを見たり、照明や映像の演出を見たりしたいので、基本的にステージを見ながら演奏を聴いている。
Kroiの演奏を目を瞑って聴いてみたのは、「音を見るってどういうこと!?」という疑問があったからかもしれない。目を閉じて、例えばベースの音に集中すると、それが際立って聞こえてくる。リモコンでベース以外の音を小さくしているような感じに近いのか?
それぞれ異なる音が鳴っているのに、5つが合わさると別の音に感じられるのは不思議だなあと、はじめて合奏を聴いた人のような感想を抱いてしまった。
ただ私は共感覚を持たないので、音が色に見えることはなかった……どんな感じに見えるのだろう。

次はTempalay。
先日、『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術』という本を読んだ。Tempalayのことを「推し」とは表現しないけれど、タイトルが私なので買って読んでみた(ライブに行くと「やばい!」「良かった!」しか言えなくなる感じ)。

絵画でも音楽でも小説でも何でも良いけれど、自分の感想を表現することがずっと苦手だった。今でも苦手だわ。「こんな風に感じるのはおかしいのではないか?」が、いつまでも付きまとってくる。
それを克服するためにTwitter(X)に読書感想文の投稿や、noteにライブの感想日記を書き始めたのだが、いざ「自分の感じたことを書くぞ!」って意気込むも、全く書けない。
Tempalayのライブを観て「良いな」って思ったのに、「すごい」って思ったのに、私の「良いな」や「すごい」に中身はないのか!?と、落ち込んだ。
日記を書き始めてから1年以上経ったが、自分が感じたことを全て言い表すことができたって思ったことは一度もない。
でも日記を書き始めてから、引き出しの中に記憶という書類を少しだけ整理して収納できるようになった気がする。日記を書く前は、ただ引き出しの中に書類を突っ込んでいたような感じ。

小川洋子先生の『密やかな結晶』という小説では、秘密警察による記憶狩りが行われている。記憶狩りによる「消滅」が行われると、人々は消えたものについて何も思い出せなくなってしまう。そのうち何が消えたのかさえ思い出せなくなってしまう。
主人公の母親は階段の裏側にある小さな引き出しがたくさん並んだ古いタンスの中にリボンや鈴、エメラルドといったものをしまっていた。既にそれらに対する記憶狩りが行われた後だったので、主人公は母親にリボンや鈴を見せられても「掌の上のものは、冬眠中の小動物のようにただじっとうずくまっているだけで、何のシグナルも送ってきてはくれなかった」(10頁)のだった(主人公の母親は、記憶狩りが行われたのに何故かそれらに対する記憶が失われていない)。
たまに頭の中に大量の引き出しがあって、そこに一つ一つ記憶がしまわれているような場所を想像する。主人公の母親が香水やエメラルドといった記憶の結晶を大切にしまっていたように、私も記憶を大切にしまっておきたい。
日記を書いても、好きな本の引用ばかりになってしまうし、「やばい!」を自分の言葉で言語化できていない気がする。でも日記という形でアウトプットしていなかった頃よりは丁寧に引き出しにしまえている気がするので続けたい。

Kroiが登場する時は幕がなかったが、Tempalayの登場前は幕がかかっていた。『脱衣麻雀』のイントロが始まると、幕が左右に開いた。背景に映像がある!と思ったら、綾斗さんのMCによりMargtの映像演出が入っていることが分かった。全く予想していなかったので嬉しすぎた。
『脱衣麻雀』の時は、メタモンのようなものがふにゃふにゃと様々な形に変化するような映像だった気がする。
野﨑まど先生の『タイタン』という小説では、AIをカウンセリングするために空中投影像(エアリアル)を用いて人格形成を試みる実験が行われる。私の説明が下手で伝わらないと思うので、「今日も働く、人類へ」この小説を読んでください。
映像を観ていて、なぜだか一番最初のカウンセリングのシーンを思い出した。

「《人格形成》開始」
ナレインが告げた。
その直後、早速なにかが現れる。
私の視線の真っ直ぐ先。床から一メートルほどの高さの宙空で、小さな何かが動いている。それは次第に量を増して、大きくなっていく。
光の反射が見える。流動する形が見える。あれは。
「水……?」
呟くと同時に、水がパシャン! と弾けて広がった。

野﨑まど『タイタン』79頁(講談社タイガ)

アラタさんによると、宇宙から取り寄せた(!)黒い物質を用いた実験的な映像演出を行ったそうだ。「黒い」だから「Kroi」だってAAAMYYYちゃんが反応していてかわいかった。
子どもの頃に磁石を持って公園に砂鉄を取りに行ったことがある。その砂鉄を入れたスライムを作ると、磁石に反応してスライムが動く。アラタさんの手元にあるシャーレ(?)に砂鉄スライムのようなものが入っていて、Tempalayの奏でる音等にそれが反応してリアルタイムで映像が変わってゆくという演出とのこと。
その黒い物質がステージ上のスクリーンに映し出されると、AAAMYYYちゃんが「きもちわる!」って仰っていた。黒い物質にはいくつか種類があって、AAAMYYYちゃんが反応したものはぶつぶつしてた。

『Q』では、そうした映像だけでなくMVの映像も投影されていた気がする。
先程引用した『タイタン』で、AIのコイオスはカウンセリングを重ねる度に姿を形成・維持できるようになってゆく。『Q』のMVでは、鮮やかな色をした球体が人の顔に変化してゆく(虹色で紛れているが、この過程は結構グロテスクだなあと感じた)。
『タイタン』の場合、人格形成が実際に目に見える形でつくられてゆくのが面白いなと思った。形を成すことは重要なのだろうか。『深海より』の「一体なぜ形があるの」っていう問いに、「私もそれすごく気になっている」って言いたい。

私は忘れっぽくて、例えば打ち合わせの時間を覚えておくことに苦労する。ミステリ小説の犯人や、真相が明らかになる過程をきれいさっぱり忘れて、再読なのにはじめて読む時のように楽しめたりする。
だけど、小説の一節や、ライブのMC、美術館で観た絵など、気に掛かって忘れられないこともいくつかある。そういう何となく覚えている脈絡のないものたちが、たまに繋がる瞬間がある。いつか繋がるかもしれないのでもやもやしたままの形で残しておこうと思う。日記なので結論がなくても良いから楽(「形」にこだわらなくて良い!)。

もやもやと言えば、「もやもやを抱えておく力」を「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼ぶらしい。

これについて、谷川嘉浩さんという哲学者が「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を使って説明しています。ネガティブ・ケイパビリティとはなにかといえば、「もやもやを抱えておく力」のこと。すぐに白黒つけずに、もやもやをじっくり抱えたままにすることで、あなたが本当に感じていることや、考えるべきことがわかってくるのです。

三宅香帆『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術』66頁

スマホで調べればすぐに答えが見付かる時代。答えの出ないことを答えの出ないまま抱えておくことって、早く犯人が知りたくて「読者への挑戦状」をすっ飛ばしてページを捲る私には苦手な能力だ。
でもその大切さはよく分かる。哲学者の野矢茂樹先生が書いていたことを思い出す。

「考える」っていうのは、耳を澄ますこと、研ぎ澄ますこと。だから、考えている間中、その人は考えていない人と同じように行動してていい。いろんなことをして、いろんなものを見て、いろんなことを感じて、いろんな思いがよぎる。ただ違うのは一点、「あ、これだ!」という声にその人は耳を澄ましている。その一点だけ。 あとはおんなじでいい。

野矢茂樹『はじめて考えるときのように』30頁

本書で有名な故事について書かれている。ある日、王冠が100%純金かどうか調べるよう命じられたアルキメデス。細工師がインチキをして銀の混ぜ物をしたのではないかというのだ。
アルキメデスは、どうしたら王冠を壊さずにそんなことが分かるのだろうと困り果てた。ある日、お風呂に入り湯船からあふれ出る水を見て「ヘウレーカ!(分かったぞ!)」と叫んだ。
詳しい説明は本書やWikipediaなどに任せるとして(逃げ)、「アルキメデスの原理」発見の逸話として語られている。
アルキメデスがお風呂に入って閃いたように、「考える」に形はない(また「形」の話!)。ただ問題を抱えて、耳を澄ましておくことが大事なのだ。学び。

Tempalayのライブや音源で『EDEN』は何回も聴いているはずなのに、この日のライブで今更「歌詞にクラゲがある!」って気付いた。だからどうしたなのだけれど、最近くらげ好き度が高まっているのでビビッ!となった。
この日のビビッ!は大したことではないが、ある瞬間が訪れたときに急に意識に上ることってあるのだなと実感した。もやもや抱え忍耐力を身に付けよう。

『EDEN』の「ハイセンスな回答に街は」のところで、何かがかっこよかったはずなのに忘れてしまった……。
あと終盤の夏樹さんのドラムに合わせて演奏するシーンで、綾斗さんは夏樹さんの方しか向いていなかったけれど(多分)、祥太さんは夏樹さんと綾斗さんを交互に見ていて、遠くからでも分かるくらい笑顔だった。

『SONIC WAVE』だったか、ツアーファイナル公演のように綾斗さんと祥太さんがステージ前方に来て演奏する場面があった。OCHANさんも半ばくらいまで来てくださった気が……「ツアーと同じ演出が見られるのか!」と、心があわあわしすぎて記憶が消えた。

『へどりゅーむ』は久々に聴いた気がする。「がんばって練習しました」の前に、綾斗さんがマリオのテーマソングをギターで弾いていて良かった。曲と雰囲気が合う!

『Booorn!!』も聴くことができた。涙。やっぱりすごく良い。AAAMYYYちゃんパートの前など何箇所か雷のような照明演出があり、それが終わると凪のような照明に切り替わって本当に良かった。
雷のようなところは、ステージの背景が青い照明で照らされて、上方から白い照明がビカビカと雷のように明滅する感じだったと記憶している。
「そうビューティフォー」の部分から、背景がクリーム色のような淡い光に変わり、メンバーがシルエットになるのがすごく美しかった。全てがクリーム色じゃなくて、下方部だけ紫色に見えて「この前見たくらげみたい!」って思ったのだけれど私の見間違いかもしれない。いずれにしても、とてもきれいだった。

かさの下の部分だけ紫色

『Booorn!!』は本当に良かった。ツアーファイナル公演は、撮影がOKという事実に慌てふためき、いつもより集中して観ることができずほんの少し心残りだった。この日は演奏だけに集中することができて良かった。
やっぱりスマホを持っていると、集中力の数パーセントが手に持っていかれる。でも撮影できたのは嬉しい……。もったいなさすぎて動画は未だに見られていないが……。

本当に「いつもいつも一瞬 ひとときの愛してる」の部分が良すぎて!この歌詞の余韻をずっと引くような終わり方にもできたはずなのに、さっと切り上げて曲を終わらせるところがすごく良い。
しんみりと終わらせたら、ずっと時間が続くように感じられてしまう気がする。そこをスパッと終わらせるから、一瞬という歌詞が際立つのかなと感じた。

「ドォォォン!!」ツアーの時は、ステージに「ドォォォン!!」というロゴが掲げられていたので気付かなかったが、Zepp DiverCityは天井が高いなと思った。
ステージを絵画に見立てた時に、メンバーの上方に3分の2くらい余白があって(もっとある?)バランスが良かった。

ウェス・アンダーソンすぎる風景展

この写真のように情報が下に集まってて、上の余白が広くて良かった。遠くからだと違った見え方ができて良い。

『深海より』はツアーの時の照明と結構違っていた。ツアーは青がメインだったと記憶しているが、この日はピンク色っぽかった。
ライブの照明は、ツアーと単発のライブとで別の人が行うのだろうか?同じ人?いずれにしても、同じ曲で別の演出が見られるのってすごいなと思った。
確か『深海より』の時、スモークがたかれていたと思う。白い煙に包まれたステージを淡いピンク色の光が照らすのがきれいで……書いていて、「これは『Q』だったか?」と不安になってきた。曲を間違えているかもしれないが、すごく良かったので書いておく。

以下、それ以外に思い出したMCを書いて日記を終わることにする。相変わらず何を書いているんだかよく分からない文章になってしまった。

その他MCうろ覚え集

①仲良しの話
・AAAMYYYちゃん:Kroiの二人とサーティーワンアイスクリーム買いに行った(おそらく夏樹さんも一緒)。
・綾斗さん:Kroiと仲良いの?僕はギターの子しか分からない。かわいいよね。あ、祥太は仲良いのか。どれくらい仲良いの?「仲良い」って(定義が)難しいよね。
・祥太さん:自信を持って仲が良いと言える!(←この表現ではなかったけれど、忘れてしまった。仲が良いと公言できるみたいな感じ。)
・祥太さん:この会場の30分の1くらい(30分の1ではないかも)の頃から、Kroiとは一緒にライブをやってるから。
・AAAMYYYちゃん:GARAGEくらい(の大きさ)?
・祥太さん:うん。

②テーマカラーの話
・祥太さん:赤はGEZANの色だから。カズレーザーとGEZANから赤を取り返せないか密かに取り組んでいる。
・綾斗さん:俺達は色(テーマカラー)ないからなあ(みたいなことを仰っていた)。
・祥太さん:Tempalayもあるくない?色んな色というか……。
・AAAMYYYちゃん:バグの色みたいな?(?)
・綾斗さん:極彩色?昔、「極彩色」って歌詞によく使ってるよねって言われて使わなくなった!AAAMYYYに言われた(って仰っていた気がする)。

AAAMYYYちゃんが作詞した『フクロネズミも考えていた』がすごく好きで、AAAMYYYちゃんが書いているのに綾斗さんっぽい言葉も入っているなと思ったことがある。それに「極彩」も含まれていたので、過去に指摘されていたんだ!と思った。
『Rolling Stone Japan』2021年5月号のインタビューを見たらAAAMYYYちゃんが「あれは、綾斗が言いそうな言葉を過去曲からたくさん引っ張ってきて並べたんです」って仰っていた。とても良い。

③祥太さんの紹介
・綾斗さん:ゲストベース、BREIMENの祥太。
(少しの間)
・綾斗さん:何もないのね?
・祥太さん:あっ、うん、よろしくお願いします(みたいなことを仰っていた)。

④最後の方のMC
・綾斗さん:Kroiファンの方、僕達をはじめて見た人もいると思いますが、また機会があったら見に来てくれると嬉しいです。Tempalayファンの方は、なんか適当に帰ってください。

なんか適当に帰ったら、電車を降りるの忘れて帰るまで時間がかかった!(自分のせい)