Tempalay『今世紀最大の夢』の感想
1月17日、Tempalayの『今世紀最大の夢』が配信開始された。
音楽にしても小説にしても、他人の感想を読むと自分の記憶に上書き保存されたり、感じたことを忘れてしまったりするので、今のうちに感想を書いておこうと思う。
良すぎる。新曲が出る度に同じことしか言っていないが、良すぎる!
『今世紀最大の夢』は、ドラマ『地球の歩き方』のオープニングテーマ曲として書き下ろされた。『地球の歩き方』と言えば、海外旅行の定番ガイドブックだ。
冒頭数秒を聴いただけで旅情をかきたてられる。『地球の歩き方』に提供した曲という事前情報があったとはいえ、一瞬でイメージを呼び起こすような豊かな表現に感動した。
『大東京万博』と同じく、二胡は吉田悠樹さんが演奏しているらしい。あまり覚えていないが、小学校の音楽か何かの授業で二胡を知った気がする。
二胡は、存在しない記憶(東堂葵?)を思い出させてしまうような不思議な音がする。1月17日に初めて『今世紀最大の夢』を聴いたのに、何故だか遠い昔に聴いたことがあるような気がしてしまった。そんなはずはないって分かっているのに。すごい。
「中国4000年の歴史」って感じ。中国っぽいという意味ではなく、長いということ。4000年すらも短いかもしれない。悠久の音……素晴らしい。
現時点で歌のある方はまだ2回しか聴いていなくて、MVは一度も見ていない。
とにかく17日は情報が多すぎた!『今世紀最大の夢』の配信開始、MV公開、2月1日の謎イベント『目撃者X』の開催発表、チケット先着先行開始、読書関係で芥川賞と直木賞の発表。
Tempalayのことは大事なので、うまく言えないが焦った気持ちで触れたくなくてMV鑑賞は後日にすることにした。
先日、金曜ロードショーで『千と千尋の神隠し』が放送された。その日のXのトレンドには映画に関するワードも入っていて、インターネットのみんなと盛り上がるのは楽しそうだなと思った(私は残業で見られなかった)(怒り)。
そうやって大勢で盛り上がるのも楽しいのだろうが、一人でじっくり作品と向き合う時間も大切な気がしている。というか、そうしたい。そうしないと、周囲の雰囲気に飲み込まれて楽しいと思っているのか、自分が楽しいと思っているのか分からなくなってしまう。
集団でしか醸成されない空気、それに伴う感情もあると思う。でも小説・音楽・映画・絵画といった好きなものについては、まず自分の思ったことを認識してから他人の考えに触れたい。
好きなものを味わうのに焦りたくない。ここ最近の気持ちで言うと、ライブや曲の感想を書くのだってゆっくりと思い出しながら書きたい。
でも冒頭に書いたように他人の感想を目にして記憶が上書き保存されたり、そもそも自分が最初に感じたことを忘れちゃったりするので難しい。
まだ耳で聴いただけで歌詞を読めていないが、2番目の方が『おかしな気持ち』や『かいじゅうたちの島』を聴いたときのような、なつかしくて優しくてさみしいみたいな気持ちにさせられた。
「幼い頃に山を見たときの心象」のような歌詞があった気がして、それが良くて。忘れられない風景と、それに伴う気持ちが残っているって美しいな。
既に歌詞は発表されていると思うが、最初は記憶の中から感想を書きたいのでまだ調べない……。
ところで山や天体のように巨大なものって、巨大というだけで畏怖の念を感じさせて好きだ。
昔、一眼レフで月の写真を撮っていたら、理由もなく急に怖くなってきたことがある。普段そこまで月のことを意識しないで生きているからか、レンズ越しに映る大きな月を見ていたら怖くなってきて……あの感覚は何なのだろう。畏怖と呼んで良いのだろうか。星空を眺めているときも似たような気持ちになる。
山の場合は遭難する恐れだったり、熊に遭遇する可能性だったり具体的な恐怖感もあるけれど、言いようのない不安感に襲われることもある。山の怪異が好きだからかな。三津田信三先生の『山魔の如き嗤うもの』は怖くて面白くて怖いので好き。
「何故だか分からないが」みたいな歌詞もあったと思う。その感覚がすごく好き。
ミステリ小説が好きだし、「何故」が明らかになるのは大好き。でも「何故」や「謎」がない世界になんて生きていけないとも思う。
どうしてこんなにTempalayの曲に惹かれるのか!と思って日記を書きながらあれこれ考えてはいるが、広辞苑に書かれた言葉を全て正しく使いこなせて、あらゆる学問に精通していたとしても自分の気持ちを100%理解して言葉にすることなんて絶対に無理なのだろうな。
端から諦めた「何故だか分からない」ではなく、考えて悩んだ末の「何故だか分からない」って、そのひたむきさや、諦めざるを得なかった姿に美しいって感じてしまう。
自分に対しては思わないが。私は日々分かりたくて生きている。分からせろ。分からせてくれ!でも謎はほしい。謎がないと分かることはできないから!
最後の方の「だんだんと近付いてゆく」みたいな歌詞とメロディも良かったが、ここを思い出そうとするとサカナクションの『スローモーション』の「だんだん減る だんだん減る だんだん減る 未来 未来」が再生されてしまう。
だんだん減る未来、だんだん知る未来って表現、とても好き。そしてこの歌詞の部分かっこよすぎる。
「未来」という言葉には希望や永続的な時間のイメージが付与されている気がする。でも人にも宇宙にも終わりがあるから、だんだんと現在が未来を食い潰してゆき、未知のものが減って既知のものが増えてゆく。
「未来」と「減る」が並んでいると違和感を覚えるが、確かに未来は減っているのだと思った。
『今世紀最大の夢』を聴いて、「旅」には旅行以外にも色んな意味が含まれていると思った。生まれてから死ぬまで、子どもから大人になるまで、分かるようになるまで、できるようになるまで……思い付くままに書いただけなのに、全てに「まで」が付く。終わりのない旅はないのかな。
未来に限りがあるから、必然的に旅にも終わりがあるのかもしれない。
Tempalayの曲は色んな場所に連れて行ってくれる。単純に遠征という意味もあるし、想像上の世界という意味もある。遠い将来の懐かしさみたいな、言葉にすると矛盾してしまう感情を抱かせてくれたりする(やはり言葉の表現には限界がある)。
今までにやったことのない経験をさせてくれるという意味もある。
どんな旅にも、誰の旅にも終わりはあるけれど、次はどこへ連れて行ってくれるのだろうっていつもワクワクしている。いつか私の旅が終わるまで好きでいられたらうれしい。