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REDLINE ALL THE REVENGEの日記

10月29日のTONAL TOKYO以来のTempalay!
いつだってTempalayのライブは楽しみなのだけれど、ライブの前に気が重い仕事があった。ライブに行くのは楽しみなのに、仕事が無理すぎていつもみたいに「早く当日にならないかな」という気持ちになれなかった。
それを乗り越えての今日!ライブ後の労働じゃなくて本当に良かった。
基本的にいつも「良かった」しか書いていない日記だけれど、今日も今日とてその「良かった」を記録してゆく。

今回行ったライブ

・11/23(水) REDLINE ALL THE REVENGE@ぴあアリーナMM(神奈川)

ライブの話

今年は色んなフェスに初参戦できたが、チケットに整理番号があるフェスははじめてだった。Tempalayの出演が発表された後にチケットを取ったので、(何番まであるか分からないけれど)整理番号は悪かった。
ただ、VIPチケットの人以外は再入場禁止な上に、MAPを見る限り待機できるような場所も少ないからか、開場前の人はそこまで多くなかった。

それにしても、再入場禁止とは!再入場できないなら夕方から行くか~って、判断した人もいた気がする。来年も開催するなら、どのチケットを買っても再入場OKに変更してほしいですね。

Tempalayのライブは10時45分から11時20分までの35分間。だいたいどのフェスもこれくらいの持ち時間で、とても短い。
でも、この日は先月のワンマンライブでも演奏しなかった曲を聴くことができた喜びと驚きのせいか、いつもより体感時間が長かった。

・リハ
01.SONIC WAVE
02.EDEN

・本番
01.のめりこめ、震えろ。
02.とん
03.へどりゅーむ
04.どうしよう
05.春山淡冶にして笑うが如く
06.大東京万博
07.そなちね

『のめりこめ、震えろ。』と『とん』と『春山淡冶にして笑うが如く』は、久し振りにライブで聴くことができた。のめりこめ~が終わり、『とん』の演奏が聞こえた時の気持ちは「!!?!???」という感じ。まさかフェスで聞けるとは思わない。うれしい。

一曲目から全力の『のめりこめ、震えろ。』がとても良かった。綾斗さんの歌い方って、力強く歌えば歌うほどに切なさが増してゆくような気がする。歌詞?メロディー?演奏?表情?

リハの前、隣のステージでFear, and Loathing in Las Vegasが演奏している中、綾斗さん、祥太さん、OCHANさんは殆どステージ上にいらっしゃった。祥太さんが綾斗さんに声を掛けて何か話したりしていたけれど、最後の方は立ってほわーんと(?)観客席側を眺めていたような。あとストレッチしたり。
今年参戦したフェスではリハから本番まで、ずっとステージ上にいることが多かった気がする。今日は一度全員が舞台袖に戻ってから『ブルー・ライト・ヨコハマ』のSEでぬるっと登場。
そんな流れだったこともあり、一曲目から全力の、そして久し振りの『のめりこめ、震えろ。』を聴くことができてギャップに圧倒されてしまった。

続いて『とん』と来たので、わくわくが止まらない。10月の後夜祭で綾斗さんが歌ってくれたけれど(!)、ライブで聴くのは久し振りだ。綾斗さん「いないいないばあ」で、いないいないしてた。たぶん。

今日聴けて一番うれしかったのは『春山淡冶にして笑うが如く』かもしれない。去年の続・ゴーストツアー以来か?そうだとしたら一年ぶりだ。
冒頭はAAAMYYYちゃんの歌声の方がよく通って、会場が曲の世界に包まれた感じがした。とても良かった。
入場待機列でTempalayファンっぽい方を見掛けなかったので、ステージ上で機材のセッティングをする(?)OCHANさんの姿を見付けるまで「本当にこのフェスにTempalayが出るのか?」と、ほんの少し不安な気持ちになっていたが、ちゃんとTempalayのステージだった。

急に本の話を書く。京極夏彦先生『魍魎の匣』の冒頭数頁を読むと、強引に腕を引っ張られるように作中の世界へ誘われてしまう。一瞬にして読者や視聴者を引き込むような、吸引力のある作品が存在する。掃除機の謳い文句みたいな書き方をしてしまったけれど、今日のTempalayの『春山淡冶にして笑うが如く』は、そういうステージだった。
今思ったが、もしかして今年最後のTempalayのライブだった!?そういう意識を持たずに聴いてしまったけれど、改めて久々に聴けて良かった……。

以下、雑記

最近よく考えるのは、それに目を向ける人がいる喜びについて。例えば、生命の不思議とか、死ぬこととか、人類が絶滅した遠い未来の話とか、もしかしたら多くの人は興味がないのかもしれないけれど、それに目を向ける人がいて、更にそれを表現する人がいるのがありがたい。
「自分だけじゃない」って感覚は大事なのかなと思う。目にした/耳にしたことがなくても良い。それに関心を寄せている人がいることがうれしい。

そう思うと、Tempalayの何が好きかって、綾斗さんの歌詞が好きなのかもしれない。でも、音楽という表現方法にしてくれなかったら、出会えてなかったと思うので音楽の道を選んでくれて良かった。

日記を書いている合間に『のめりこめ、震えろ。』の歌詞を読んでみたが、やっぱり良いな。
小学校の授業で太陽の寿命の話を聞いたのと、「こっそり悪いことをしてもお天道様にはお見通しだよ」といった話のせいで太陽への恐怖心が芽生えた。幼少期に覚えた恐怖感って、ある程度成長して論理的に考えられるようなっても拭えないものがある気がする。

人の命にも終わりがあるし、太陽にも寿命がある。太陽は赤色巨星を経て、白色矮星になり、だんだんと冷えて、最終的には光を出さない暗黒の球体になるらしい(ブライアン・グリーン『時間の終わりまで』などに書いてあった。怖い)。
『のめりこめ、震えろ。』は、歌詞に「命のタイム」とか「燃やしては消えてく」とか、「太陽」って言葉も出てくるし、授業で聞いた太陽のことを思い起こさせる。
太陽の寿命はあと50億年くらいらしい。それと比べると歌詞の「100年後」や「千年紀」は時間的には短いけれど、なんだかもっと遠くを見る視線を感じさせるのだ。
『Odyssey』とか別の歌詞からの連想かもしれない。もしくは、この曲が収録されているアルバムが『21世紀より愛をこめて』というタイトルだからかな。
無人宇宙探査機のボイジャーには地球の生命や文化を伝えるためのゴールデンレコードが搭載されているそうだが、将来の誰か、未知の何かに向けた感じがしてとっても好きなタイトルだ。タイムカプセルを埋めたときのような……これもまた小学生の記憶だ。

うまく言葉にできない気持ち……はじめて行く場所なのになぜだか懐かしくて、同時に寂しくなるような、自分が死んだ後や、人類がいなくなった後を想像して少し怖くなるような……一言で表せない気持ちを得るのが好きなのだ。たぶん。そして、綾斗さんの音楽からは、こうしたうまく説明できない感情をたくさん得られるのだ。だから大好き。

今日の日記は何を書いているのか本当によく分からなくなってしまった。起承転転転転転。がんばってもまとめられる気がしないのでこのままえいやっと投稿する。

綾斗さんの歌詞に良いなと思うことが多いので、いつか一曲ずつ「ここが良い」って書きたいのだけれど。今日軽く試みてこの有様なので、頭の中でふわふわした「良いな」を言葉にするのってとても難しいのだと思う。でも、すらすら文章に起こせるようにはなりたくない。それってどこかで見た構文を用いているだけで、自分の気持ちではない気がしてしまう。面倒くさい性格だ!
引き続き「思うこと、それ自体が大切」を心の拠り所に、思ったことを言葉にできぬものかと努力してみます。