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VIVA LA ROCK 2024(5/4 Tempalay)の日記

Tempalayのライブを観たのは、2月1日(木)の「目撃者X」以来か。
2月に綾斗さんの弾き語りライブ、3月にAAAMYYYちゃんのソロライブへ行けたり、4月に新曲のリリースやアルバムの発売があったりしたので、3ヶ月という期間の割にそこまでの飢餓感はなかった気がする。

と、思っていたのはライブが始まる前までだった!Tempalayのライブに飢えてました!自分の気持ちに嘘をついていました!素晴らしかったです。

思い出すと終わったことが確定してしまいそうで(確定してるんだけど)、なるべく思い出さないように『メイドインアビス』を1巻から最新刊まで読んで過ごした。やっぱり面白かった。でも辛い。
作中「におい」についてたくさん描かれている。単純にナナチとファプタのにおいを嗅いでみたいというのもあるが、においで記憶を体感する描写など印象的だった。
『((ika))』の感想日記でも引用した山下柚実先生の『給食の味はなぜ懐かしいのか?』に書いてあったことを思い出す。

視覚の記憶は一ヶ月もすると急速に薄れていきますが、ニオイの記憶はほとんど低下しませんね。それくらい強いんです。ニオイの記憶が古い脳に直接入っていくことと関係している、と思います。

山下柚実『給食の味はなぜ懐かしいのか?』(61頁)

道端でふわっと花の香りがして、子どもの頃の記憶が色鮮やかによみがえることがある。それはにおいの記憶が古い脳に直接入ってゆくことと関係しているのではないか。2006年の本なので、もしかしたら今は否定されているかもしれないが、魅力的な仮説だと思った。

ライブで聴く音楽は、五感をフル稼働させる体験だなと思う。味覚だけは違うか。
そうして感じたことを言葉にするとき、絶対に何かを削ぎ落としてしまう。京極夏彦先生が仰っていた。

言葉にする時に、とりあえず何かを言わなきゃ通じないから、「私は悲しかった」と言っちゃうんです。その時、悔しい気持ちや、ちょっと面白かったとかいう気持ちは全部捨てられてしまいます。言葉は、この世にあるものの何万分の一、いや、何百万分の一ぐらいしか表現できないものなんです。

京極夏彦『地獄の楽しみ方』20頁

言葉にしない方が、新鮮なままで覚えていられるのかな。でも人間は忘れてゆくものだし、私は人より忘れっぽいし。
思い出す行為が終わったことを実感させてしまいそうだと書いたばかりだが、言葉にすれば残ってくれるし、言葉にすることで気付くこと、思い出すこともたくさんあるので今日も書いてゆこう。

今回行ったライブ

・5/4(土) VIVA LA ROCK 2024@さいたまスーパーアリーナ(埼玉)

セットリスト

(リハ)
01.Q
02.あびばのんのん

01.愛憎しい
02.NEHAN
03.ああ迷路
04.Booorn!!
05.預言者
06.今世紀最大の夢
07.そなちね
08.ドライブ・マイ・イデア

ライブの感想

まさか、ワンマンライブの前に『預言者』や『ドライブ・マイ・イデア』などの最新曲を歌ってくれるとは思わず、ずっとうれしい驚きでいっぱいだった。
ステージ上にパーカッションがある時点で松井泉さんもいらっしゃるのかと思ったけれど、こんなにもたくさん『((ika))』の曲を演奏するとは思わなかった。
ツアーが控えているから、なんとなく新曲は自身のワンマンライブで初披露するものだと思っていた。でもツアーに向けてリハを重ねている最中だろうから、ツアーで演奏する曲をフェスでも演奏した方が本番の感覚を掴めて良いのかなと考えた。

リハで『愛憎しい』に使われている声を加工するやつ(なんていうの?変声機?それは名探偵コナン?)の音が聞こえたものの、まさかやるわけないと思っていたよ。裏切られる快感を覚えてしまった。

続く『NEHAN』も良かった。ベースが好き。
ベースといえばBREIMENの祥太さんは去年の「ドォォォン!!」ツアーでTempalayのサポートは最後だったのかなと思った。
BREIMENは昨年メジャーデビューを果たし、祥太さんがTempalayのサポートを始めた頃よりもグンと活動の幅が広がった印象がある。
今年に入ってから録られたと思われるアルバム曲のベースは全てODD Foot Worksの榎元駿さんだったから、祥太さんがTempalayのサポートをすることはもうないのかもしれないと思いしょんぼりした。
去年のツアーは祥太さんのベースでも聴けて、駿さんのベースでも聴けて良かったな……。まだ決まったわけではないのに懐古する人になってしまう。
祥太さんのおかげでベースの魅力を知ったまであるから去年のツアーが最後だとしたら非常に残念ではあるが、その代わりBREIMENのライブでしっかり聴こうと思った。

あと『NEHAN』はかっこよかったが、もっと演奏が進化しそうな気がした。手を抜いているように感じたとかではなく、なぜか進化しそうだと思った。

『ああ迷路』、AAAMYYYちゃんの声に綾斗さんがコーラスするのが好きでいつもそこに集中してしまう。逆に綾斗さんが歌っていると、AAAMYYYちゃんのコーラスに集中してしまうこともある(今のところ『そなちね』が一番好き)。
『((ika))』の収録曲はAAAMYYYちゃんメインパートが多いから、期待が高まる。

照明の当て方が去年のツアーと似ていたので(綾斗さんにスポットライトを当てるところ)、フェスでもバンドによって照明担当が変わるのかなと思った。
そういえば『Booorn!!』の色味もツアーと似ていたような……。

この日のライブは生配信をしていたらしい。どこかで再放送してくれないだろうか。
2022年のビバラのMCで綾斗さんが「生配信を断った」と仰っていた気がする。
あと2021年のフジロックで「生配信されているけれど、会場に来ている人に向けて歌います」と仰っていたような……2021年のフジロックは仕事で行けなかったので、生配信に感謝しつつ「会場へ来た人を大切にされたいのかな」と考えたりした(パンデミックの最中という背景もあったのかもしれない)。
小原綾斗とフランチャイズオーナーの楽曲は基本的に配信していないし、「CDを買う」とか「ライブ会場へ足を運ぶ」といった体験を重視されているのかと考えた記憶がある。

だから今年のライブは生配信するのだなと思った。でも配信した方が見てくれる人、知ってくれる人が増えて売れることに繋がる。商業的にはその方が良いはずだ。
音楽や絵画や写真などを仕事にされている方は、私のような会社員と違って、やりたいことと、やりたくないけどやらなきゃいけないこととの天秤に葛藤を覚えることが多そうな気がする。

大学の学部を選ぶとき、読書が好きだから文学部に行こうと思った。でも好きなことがやらなきゃいけないこと(勉強)に変わったら、嫌いになってしまいそうな気がして別の学部を選んだ。
好きなことを仕事にするのって良いことだと思われがちだけれど、そんな選択をした私にとっては難しそうだという印象がある。
文学部を選んだ世界線を歩むことはできないから、想像でしかないけど。

音楽で食べていくためには、定期的にアルバムを出したり、ライブをしたりしないといけない。たとえ生配信したくなくても、配信した方が顧客の確保に繋がる。
音楽に限らないか。仕事をもらうため、得意先との懇親会に嫌々参加するとかあるもんね。

ゲーテは、「仕事の圧迫は心にとってきわめてありがたいものだ。その重荷から解放されると、心は一段と自由に遊び、生活を楽しむ。仕事をせずにのんびりしている人間ほどみじめなものはない。そんな人はどんなに美しい天分もいとわしく感じる」(『ゲーテ格言集』83頁)と言っている。
仕事の圧迫も必要なものなのかな。難しい。

『((ika))』の感想日記にライブで聴くのが楽しみと書いたばかりの『預言者』は、やっぱり綾斗さんとAAAMYYYちゃんが掛け合うように歌う部分が良かった。
『預言者』ではなかったかもしれないけれど、音源より松井泉さんのパーカッションの音がよく聴こえて楽曲の表情が増えたように感じた。
でもやっぱりうれしさと驚きの方が強くて「わーっ」と思っているうちにライブが終わってしまったので、ツアーが始まる前に心を落ち着けたい。多分無理。

最後に『ドライブ・マイ・イデア』を聴けたのもたまらなくうれしかった。『そなちね』で最後かと思った。
『Last Dance』で終わるのも大好きなのだけれど、最後が『ドライブ・マイ・イデア』の方が余韻に希望が残るなあと感じた。
『Last Dance』の少し寂しい余韻も大好きなんだけど……選べない。

MCは殆どなかった。「Tempalayです。名前だけでも覚えてください」くらいの挨拶……MCがない代わりに、8曲も(リハを合わせたら10曲も!)聴くことができた。
フェスって持ち時間が30~40分くらいなので「もう終わってしまった」って感じることが多いのに、この日はたくさん聴けたという充実感でいっぱいだった。

カレンダーを確認して、ツアー初日まで1週間を切っていることに驚く。この日のビバラよりたくさんの曲が聴けるなんて!生きるしかない!