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ベビーシッターだった犬との別れ。

2023年の大晦日に19歳の犬を見送った。
亡くなるのに日にちなんて関係なくて霊園には私たちのほかにもたくさんの犬と家族がお別れをしに来ていた。
スタッフも慣れたもので丁寧ながらサクサクと案内してくれて安心だった。

2004年に独身の姉が外国籍の客船のクルーになることが決まり、孫を望んでいた母の期待に応えられそうにないからと小柄なトイプードルの女の子を連れてきた。
とてもおとなしい仔犬だった。

そのときの住居は姉が借りた賃貸で、自己破産した母が転がり込んで同居していてペット禁止物件だった。
私は別のところでひとり暮らしをしていた。
姉も母も仕事で留守がちだったため、やってくるなりひとりで留守番させられた仔犬は日中ずっと鳴いていたようだ。
すぐに大家の知るところとなり、退居が決まった。
新しい住宅に移っても留守がちで仔犬が鳴くことは目に見えていたので、私は犬のためにいっしょに暮らすことを決めた。
その頃は大阪の赤提灯の飲み屋で働いていたが、正直に事情を話して辞めた。

そこから、私が仔犬のしつけ担当になった。
とても素直で従順で、私によく懐いていた。
トイプードルにふさわしくないくらい、毎日たくさん歩いてソフトマッチョになった。
後々、その頃の運動と筋肉量が財産で、長寿に一役買っていたと実感できた。
くわしくはよくわからないけどそう思うくらい元気なままで長く生きてくれた。

共に暮らして5年経った頃、私が独身で赤ん坊を連れて帰った。
産院から娘を抱いて帰宅すると、まったくはじめて見る赤ちゃんに犬は興奮していた。何度も匂いを嗅いで、周りをウロウロしていた。
ベビーベッドの傍を離れず、夜泣きをするといっしょに起きて何をするでもなく、私と「共に守って」いた。明らかに小さいものを守ろうとしていた。動物の本能だと思う。

その頃の我が家は変わっていて、独身の女だけで構成されていた。
母と姉と姪、私と娘。と犬。
姉は船を降りてけっきょく姪を産んだ。
全員わがままであったが、協力し合ってそれなりに楽しく生きていた。

途中で母の兄が合流したが、亡くなってしまい、かわいがってもらった犬はしばらく帰りを待っているようだった。
あのひとはどこへ行ったの、としばらく思っていただろう。

それから姉と姪が出て行った。
それも犬は不思議に思っていただろう。

最後は私が結婚して娘と家を出たので母と二人になってしまった。
けっきょくその家を母も出ることになったが、次の家は犬を飼えない物件だった。家賃補助があるところだったから。

なので、また犬は場所を変えて私と暮らすことになった。
まだ私の息子が生後3か月の時だった。
大変な生活になるな、と思ったが私と犬はもうすでに10年の付き合いでしつけも私がしてきていたのでさしたる困難はなかった。
二人目育児で疲弊していた私に代わって娘の相手になってくれた。
犬がいないと逆に大変だったのかもしれない。

今日そのことを思い出して、娘と話していた。
娘は小学校1年の途中から5年生まで不登校だった。
その間、毎日家で犬を撫でていた。とくに犬の耳を。
耳は犬の敏感な部位で、あまり触られて嬉しいものではない。
でも、娘は犬が5歳ではじめて受け入れた赤ちゃんである。
そのときから犬にとって娘は妹同然なのだった。
娘が傷を乗り越えて、大丈夫になるまで耐えて待っていたのかもしれない。
娘に友だちができて、学校生活を楽しんで、夢中になれるものを見つける。
そうなるのを見届けたタイミングで急に体調を崩した。
それまでいっさい病気などしたことはなかったのに。

私のことも支えてくれていた。
慣れない土地での生活や義父母との確執、仕事と家事の両立でギスギスしていたが、犬がいてくれて日々、癒されていた。
小さい頃からぬいぐるみが大好きで、毎日いくつものお友だちを選んで枕の両側に並べて共に眠った。ほんとうは犬と暮らしたかった。
父が動物を嫌ったので叶わなかった。
犬は私が望んで迎えたのではなかったけれど、まさに私が小さい頃、夢に見ていた小さくてやさしい茶色の仔だったのだ。
そして、信じられないくらい賢かった。

わかっているよ、という顔はしなくてぼんやりしているのが常だった。
でも、なんでもわかって献身的に尽くしてくれていたのかもしれない。
してあげていると思わせないで、ずっとやさしさをくれていた。
それはいなくなってから知ったことだった。

ちゃんと、いつもありがとうなんて、言えてなかった。
犬だから、と思っていた。
毎日頭を撫でたり身体を触っていたから、私たちの想いが伝わっていたらいいな、と思う。


覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスにきてくださいね。



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