ドイツに行けた話(4):スロバキア

気が向いたときに1日15分くらい旅行記を書く人です。
日本→→ハンガリー→チェコ→オーストリア→ドイツ→日本
         ☝記事進捗いまここ。
この話は一応毎日伸びて行く予定です。

(5/16)

中欧ツアーは4都市に2泊ずつ。移動して夜着いて翌日観光して、移動して という繰り返し。

最高な、トラムビュー(レストランから)のブタペストのホテルから、移動開始。

朝食時間はあった。
ブタペストが、滞在する4都市の中でもっとも物価が安いと聞いた。
どうせなら、と出発前にスーパーへ水を買いに行く。
そういえば友人がwifiを持ってくれているため、一人で行動すると電波が届かない。スーパーで気が付いて不安になったが無事1.5Lを数本購入することができた。

ブタペストを惜しみながら、始まる初の長時間バス移動。

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ちなみに席はまんなかの、左右があいているところ。
余裕があると聞き、友人と前後で座った。

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路駐がすごいというかもはや当たり前というか。

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乗らなかったけれど、ぶれてしまったけれど、
ブタペストのトラムよ、永遠なれ。
筆者が初めて見たヨーロッパのトラム、
黄色がメインのトラム。

田園、というよりは一面草原のような車窓になることもあった。

<(5/16)

筆者は関空で購入していた350ml程度のエビアンのペットボトルに新たに水を入れ、車内での水分補給に使おうと思っていた。おそらくこの時だったと思うが、スタート早々、ペットボトルをバスの床へ落としてしまった。バスが進行方向右腹にも階段がある&下に荷物入れがある高速バスのようなもので、筆者は階段の左に座っていたため、ペットボトルはあっけなく階段の下まで落下していった。焦りのあまり事前に聞いていた添乗員の方のLINE(会社端末のアカウント)に連絡してしまったが、次の停車したところで拾うことになるだけだった。お手数をおかけした。最初にバスが停車した場所で他の人に比べ筆者が降りるのが妙に早かったのは、この水ペットボトルが、バスの扉が開くと同時に消えて行ったらどうしようという不安からに他ならない。怖かった。広大な風景を眺めながら瞼が重たく・・・などという状況ではなかった。

なおこの後性懲りもなく物を落とし続ける。
自分にはバス旅は向いていない気がした。

「tourism police」というものがあるらしいことを聞く。ヨーロッパに在住している人しか観光客を案内してはいけないらしい。「大勢でお散歩している」という体を装おうことが必要らしい。やや慄く。

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風車を見た。

ガソリンスタンドとスーパーがくっついているようなところで一度停車した。(MOL Levél, Moson pihenő, 9221 ハンガリー)
バスのノリで停車するガソリンスタンド的何かの場所は変動するらしく、そうした名もなき立ち寄り場が増える、さみしさにおいても、やや苦手だと感じた。GISが個人で使える時代なので記録しておいた分は残していく。

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トイレのゲートにコインを入れると出てくるクーポン券

バスの、自分の席の前の網ポケットに入っている注意書きを読もうとした際、裏に張り付くようにして紙片が入っていた。有効期限の切れていない、このクーポン券だった。バスにあった券と、自分たちがトイレに行き出てきた券と、手持ちの現金をふんだんに使い、パンなどを購入した。
たしかこの時、あられのようなものが降ってきた。バスの運転手さんも買い物をしていたので集団で怪しく入口付近で待ち、あられに負けずバスへ走り戻り、ロードサイド店舗に別れを告げた。

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ブラチスラバ、スロバキアの首都なのにめっちゃ国の東側にある都市の観光タイムに突入する。旧市街のみ、昼食と1時間だけ散策した。

川を渡る橋のたもとの下が、BRTの車庫か転回場のようなところになっていた。

<(5/17):加筆
<(5/18)

Nám. Ľ. Štúra の前で降りる。中央広場まで歩くという。日本のオフィスビルっぽい建物(10階建てくらい)が12mくらいの幅員の道路にぺったり付いている道を歩く。途中でガイドブックに載っている銅像を見た。日本以外から来ていそうな観光客も撮影をしていた。

広場からそのまま、市庁舎(Old Town Hall)の奥の中庭空間まで進む。初めて、四方が建物に囲われている中庭空間に入った。自由散策1時間と言われる。
やや晴れているので、上ることにした。学生証を提示したら、安くしてくれた。(わんちゃん日本のものでもok)現金のみだった気がする。払った。

どの部屋の展示品も良さそうだった。しかし友人がさくさく進むタイプで、散策時間も限られているため、後ろ髪を引かれるがさくさく進もうとした。が、やはり面白く、あとの展示品じっくり見るタイプの同じツアーの人が来ないうちに、とスマホで球体写真を撮った。

もう日本に帰っていいと思った。

そういえば見晴らしの良い場所があるはずなので階段を上る。低めの、絨毯止めはあるが使われていない階段だった。

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上からは中央広場を見下ろすことができた。

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若干イメージと異なるが、良きかな。

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ブラチスラバ城も青空に映えていた。
せっかくなので遠景をたくさん載せておく

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中庭空間の上がやや写っている(右下)
中央の建物がおそらく入口。

ちなみにこの後、天気が急変、雨風が非常に強くなったので、この時登っておいて、良かった。

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あとで意味を解読したいと思った写真

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船をくぼみに当てはめると、その場所にあった表示がされるディスプレイ。
家のパーツもあり、組み合わせて、投影されているシルエットと合わせると、完成おめでとう!のような音と、色が投影される。

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射る的がやがて絵を描くキャンバスになったようなもの。こうしたサイズの丸に描かれた絵がいくつか展示されていた。

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筆者の大好物である揃いの陶磁器シリーズ、のシリーズがあった。
大好きである。

その他、ときめく展示品の数々の写真を撮った。写真が多すぎるのでここでは触れない。

階段を降りると、なぜか入口レベルよりも下の階がある。はてなマークを抱きながら下り、やや涼しい空気の中にある展示を見てみると、拷問器具の類であった。
地下に拷問器具。当たり前かもしれないが、なるほどと思った。
拷問博物館として筆者の高校時代の世界史教師が時折言及していた明治大学の博物館も地下にあると聞くが関係があるのだろうか、いやない。(のか?)

筆者の歩みののろさにあきれていたであろう友人であるが、一応博物館を出るときは一緒に出てくれた。優しかった。

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残りの散策時間を楽しもうとしたが、雨が降り、風も強い。

ミハエル門をくぐればよかったが、変わらぬ景色に見え、やめてしまった。行ってみてもよかったかもしれない。

お土産やさんは重たいガラスかマグネットみたいなものが多かった。
日本大使館の下のお土産屋さんに入り時間をつぶした。

お昼も旧市街の中で食べた。店員さんが日本がとても上手。というか日本からの団体旅行を受け入れている店と見え、他のお客さんも日本語を話しているようだった。
Zichyというお店。

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ブラチスラバめし

毎回コースが出てくるのがすごい。そんなに要らんというくらい。
ガイドさん「出てくるときは豪華に、他の、ツアーでは食事が用意されていないときにはお財布と相談したりして調整できて、良いですよね」とのこと。なるほど。確かにもう日本円で出費しているので、豪華なものを食べ知っているから、あとは欲しいものだけ食べればよいので楽だった。

ぶどうジュースのようなものを飲んだ。ユーロで支払うことが出来た。3ユーロくらいだった気がする。

店のトイレが故障中ということで、出た横のアーチを抜け、中庭も抜けた先のトイレを使うようにと言われた。遠かった。
ツアーではトイレは早く行くべし。
食べ終わりも早かったグループは、やや散策行動をとっていたが、相変わらず最後なので、昼食時間後はいそいそとバスへの帰路を、導かれながら歩いた。建物の2階以上はあるが、通れるアーチのようなところをよく通った。全然道が分からなかった。

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トイレの時、通った中庭の何か

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聖マルティン大聖堂を見て、アーチをくぐってバスへ戻り、ブラチスラヴァを発った。
全然この町の鉄軌道をちゃんと見なかった。残念。

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バスから撮った鉄道たち。

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