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#3 本気で目指す

この企画はダブルダッチの歴史を人伝いに辿っていく企画です。
「ダブルダッチをはじめたきっかけになった人」をどんどんつないでいけば、最初にダブルダッチをはじめた人に辿り着くのではないか、という超アナログ企画。
KO-JIからバトンを託された5人目はKO-YA。自分の”失敗”から更に決意を新たにしたKO-YAに、ついにその”本気”を試される瞬間が―。

REGSTYLEの一員に


イケポン
そこから時代が少し進むんだけど、REGSTYLEに加入したのはいつだっけ?

コーヤ
レグ加入の話が最初に出たのは、2年生の1月なんだよね。

イケポン
へー、2年生の時にはもう。

コーヤ
2年生のコンテストを目指してる時期に、当時ベルギーのプロチームに所属していたSEIJI兄から声をかけてもらったんだよね。

イケポン
DDF*だ。

*DDF
ベルギーを拠点とするプロダブルダッチチーム。2012年にはあのスーザン・ボイルを発掘した「GOD TALENT」にて優勝という快挙を成し遂げるほか、日本の『世界の果てまでイッテQ!』では、NEWSの手越祐也さんとダブルダッチで共演。 拠点ベルギーだけでなく、ロシア・ニューヨーク・オーストラリア・東京など世界を股にかけて活動している。

コーヤ
そう。DDFで活動する中で「日本でやりたい」っていう思いがあったみたい。1月くらいに一時帰国したSEIJI兄から話をもらった。
「日本に帰ってきたら、DAISUKE(当時プロチーム「Climb-up」としても活動)と新しいプロチームを企画してるからKO-YAも一緒にやってくれないか」って。まさかだったね。

イケポン
2年生の時だもんね。

コーヤ
問題を起こした後で、ダブルダッチにも熱が入ってたし本気でやりたいとは思ってて。でも卒業した後のことまでは考えていなかったから、その時はすぐに答えを出せなくて。まだプレイヤーとして結果も出せていないし。
まず乱縄で現役時代のチームの「FeAts-G」として結果を出すことが大事だと思ってたから「オレ絶対このコンテストでベルギー*に行くんで、世界大会経験したその時に返事させてください。」って。

*この年DOUBLE DUTCH CONTEST JAPANの上位チームは、ベルギーでの国際大会への出場権利を獲得できた

イケポン
なるほど。

コーヤ
「絶対ベルギーに行かないと!」ってさらに熱が入って。FeAts-Gとしてガムシャラに頑張った。結果としては2年生にして日本のコンテストで4位になって、運よくベルギーへの切符を掴めたの。

イケポン
そうだったね。

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コーヤ
ベルギーの世界大会では同率3位だったんだけど、ミス数で負けて表彰台にはあがれず。ベストな結果にはならなかったけど、その期間はFeAts-Gのみんなで本気で取り組んで、本気で優勝を目指した。ガチの本気になってみて「ダブルダッチで本気になるってすげー仲間を感じるな」って思ったの。

イケポン
うんうん。


コーヤ
「こんなに仲間を感じられるダブルダッチ、やっぱり続けたいわ」って思った。ダブルダッチをまたそこで好きになったんだよね。だからベルギーが終わった後に「一緒にやらせてください」ってSEIJI兄に返事をした。尊敬してる先輩からの話だったから、余計に一緒にやりたかった。

イケポン
それがREG加入のきっかけだ。

コーヤ
ただ、当時はまだFeAts-Gの活動優先で、クラブショーとかちょっとしたものに参加してた感じだったね。本格的な活動は乱縄を引退してからにさせてくださいっていう感じで始まったの。
本格的な活動は大学を卒業してからだったね。

イケポン
FeAts-Gは4年生のDouble Dutch Delightも出ていたもんね。

コーヤ
うん、出てた。3年生の時はREGのクラブパフォーマンスをしつつ、FeAts-Gでデライトも目指しつつ。だからREGの練習には参加してたね。

イケポン
REGSTYLEは結成からもう10年くらいかな。

コーヤ
9年。来年10周年だね。2010年結成だから。

イケポン
結成時から残ってるのはKO-YAだけか。

コーヤ
うん、おれだけ。

イケポン
このインタビューがタイミング的にコンテスト3連覇を達成した後だから、そこまでの話も聞けたらなと思うんだけど。

コーヤ
超長いと思うよ(笑)。



「超長いと思うよ(笑)」
イケポン
みんな待ってると思うからよろしくです(笑)。

REGSTYLEのあゆみ
イケポン
今のメンバーになるまでは、REGSTYLEとしてコンテストって何回出てたかな?

コーヤ
2回だね。REGでは2012年と2013年の2回。良い結果は残せなかった。

イケポン
その時のメンバーは?

コーヤ
2012年コンテストの時にはDAISUKE兄はいなくなっていて、SEIJI、ZUKO、RIN、SHOTA、オレの5人だね。


当時のチーム写真
イケポン
その5人で2回の挑戦だったね。

コーヤ
そう。

イケポン
メンバーが変わるとチームが変わる感じはする?

コーヤ
うーんそうだね、変わる…そうだね。そうなんだよね、ここの話はだいぶ濃くなるんだけど。REGSTYLEは今に至るまでにメンバーが何度か入れ替わっていて。2010年に結成したんだけど、俺が本格活動を開始する前にまずDAISUKE兄が抜けちゃって。それが2011年かな。俺が卒業してから5人で活動を始めたんだけど、まだまだ体制は整えられてなかったかもしれない。

イケポン
土台が固まってない感じだ。

コーヤ
そうだね、そんな感覚だった。うん。

イケポン
2012年、2013年、KO-YAが卒業した後の2年間のことだね。

コーヤ
そう。2012年の1月で乱縄を引退した後、REGとして本格活動をはじめて、コンテストを目指したんだよね。めっちゃ気合い入れてデモも2つ作ったのに、予選でコケちゃって。本戦に上がれず。
見せられなかったパフォーマンスが1つあったから、(原竹)純さん、千野さん(OVER THUMPZ代表取締役)が「もったいないからベルギー出れば?」って言ってくれたんだよね。ベルギーの大会に出てとりあえずそこは優勝できたんだけど…。

イケポン
うん。

コーヤ
そこからは何だろうね…チームの目標も定まらないっていうか…。オレはその時、自分勝手な発言ばかりで、チームメイトにはストレスを与えてしまってたと思うの。でもそんな言葉が伝わることもないし、しっかりぶつかりもしない。そんな状態を続けてしまったんだよね。

イケポン
ぶつかりもしない、か。

コーヤ
どこを目指していこうかってミーティングをしたとしても、結局「どうする?どうする?」で具体的な方向は決まっていかないことが多かったんだよね。
そんな状態でRINちゃんも海外に行くことになって。今当時を振り返ると、もっと楽しいチームづくりをするべきだったんじゃないかなってすごく思う。
当時のオレは、すごく自分勝手な意見や言葉だらけだったなって。

今のオレがあの頃のオレに何か言ってあげられるとしたら「もっと周りを見るべき。もっと楽しい空気を自分から作ることの方が大事だよ。人によってそれぞれかける言葉も違うと思うよ。」って言ってあげたい。
それぞれの人生はあるけど、オレからそれができてたら、もう少し未来が見えてた、良い方向に進めてたのかもしれないなんて思う。


「当時のオレは、すごく自分勝手な意見や言葉だらけだったなって」
イケポン
歩み寄ろうとすること、だね。

コーヤ
うん。「新しい環境に対して、受け入れる体制を作るのは大事だよ」って当時のオレに言ってあげたい。新しい環境に入ると、今までと違うところとか、不満とか出てきて当然じゃん。

イケポン
そうだね。

コーヤ
それを一回受け止めるべきだったというか…。「こうした方がいいんじゃない?ああした方がいいんじゃない?」って言い過ぎてたんだよねオレも。それはもちろん色んなアツい想いがあったからでもあるんだけど。

イケポン
自分の気持ちが空振りしてる感じだったんだね。

コーヤ
うん、それはあると思う。空振りしてる感じ。
それを思うとオレより後に入ってきたYUIさん、TakumA、KAI、KEITA、KENGOはすごいと思う。新しい環境に入っても、他人の気持ちを汲み取ることとか、1回受け止めることとか、すげーできてるなって。
新しい環境に入ったら絶対不満は出るはずなのに。オレはそれができてなかったから。

イケポン
そっか…。そこから今のメンバーの中ではYUIさんが一番最初に加入したのかな?

コーヤ
うん、加入は2014年の4月にTakumAと同時だったね。

イケポン
でもYUIさんは、その半年前のノースカロライナのワークショップに一緒に行ったことから始まって。加入する前の半年間いろんな活動を共にして仲間になっていったんだよね。TakumAも「一緒にプロをやりたい」って言ってくれてたから、2014年4月のDACNE@LIVEでのショーを一緒に作ったタイミングで正式に加入したね。

イケポン
その時には、まだSEIJIさんがいたんだよね。

コーヤ
2014年4月の段階では、SEIJI兄、ZUKO姉、YUIさん、TakumA、オレの5人。

(第4回につづく)

取材・編集:イケポン
バナーデザイン:アキノリ
撮影:ヤマダイ

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