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適応力

 僕はフリーの奏者でいろいろなオーケストラから依頼を頂きコンサートに出演している訳ですが、実はほとんどのケースにおいてコントラバス奏者は、弓こそ持参しますが、自分の楽器ではなくオーケストラ所有の楽器を弾く事になります。
 僕が以前良く出演していた吹奏楽の団体は楽器を持っていないのですが、これは非常にレアなケースで、こうした特殊な場合は楽器を持参し、出演料の他に別途「楽器借用料」を受け取ります。

 これが何故かはよく分かっていないのですが、想像するに

 楽器が大きいが故に移動が大変=特に弦楽器は破損があった場合に発生する金額が大きい=それなら楽器を用意して貸そう

 というのが大まかな流れなのかな?というところ。

 前述の楽器借用料については、楽団によってかなり金額が変わります。首席で呼んで頂く場合を別として、プロオーケストラに楽器を持参するケースはほぼ無いのですが、依頼された室内楽などはほぼ間違いなく楽器借用料が発生します。実は楽器借用料だけでギャラが倍近くになる事もあります。

 さて、自分の楽器を弾かないという事は、リハーサル初日までどんな楽器を弾くか分からないということ。4弦なのか5弦なのか、弦高はどうなのか、ツボはどうなのか、一切分からない訳です。
 正直、あの大きくて重くて持ち運びにくい楽器を持参するくらいなら楽団所有の楽器を弾くほうが楽じゃないか、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、これがそうもいかない。コントラバスは楽器によってサイズにかなりの違いが出てきます。これをパッと弾きこなすのは意外と難易度が高い。
 たまにパッと渡された楽器を自分の楽器のように弾きこなしてしまう人を見かけますが、楽器に慣れるのに数日かかる不器用な僕としては、これは本当に羨ましい。
 余談ですが、元ベルリンフィル首席のクラウス・シュトールは来日すると都内の某工房に現れ「明日演奏会だから何か楽器貸してくれない?」と言って、その場で渡された楽器を使って素晴らしい本番をやっていたそうです。
 かと思えば海外の著名なコントラバス奏者が公開レッスンに来て、お手本を見せようとしたら全然音程が取れないなんてケースも、コントラバスではよくある話。

 そんな事もあって、僕は通常リハーサル開始60分前に現場に到着するところを、初日は90分前に到着するように向かいます。まあ、ほとんどのオーケストラは60分前に舞台が完成するので音は出せないんですが、どんな楽器なのか早めに知って想像するだけでも気持ちが落ち着くのです。

 さすがにこの歳になるとほとんどのオーケストラの楽器は経験済みなので、ある程度は余裕があるのですが、それでも「あの楽器だったら嫌だなあ」と感じる楽器は各オーケストラに1本くらいあるので、それが与えられた時のために、未だに早く向かっています。
 ちなみにステージマネージャーさんと仲良くなると「楽器嫌だったら他もありますよ」と耳打ちしてくれる事もあるので、そんな時は遠慮なく弾きやすい物に変更して頂いてます。

 渡されて一番困るのが、やたらツボが広くて肩の張っている5弦ですね。ツボが完全に1音ずれていると、スケールからやり直して少しでも早く慣れる必要があります。下手すると1cmくらい自分の楽器と位置が違ったりすることもある。そうなるとオーケストラの曲どころじゃありません。
 こうした楽器を使用する場合、慣れた感覚が狂わないよう、帰宅してから練習したくても我慢したりする事もあります。
 楽器に慣れる事が出来ず、本番が終わって、ベストの演奏を出来なかったなあと肩を落として帰宅する時の悔しさと情けなさの混じった気持ちは、言葉では表現しきれません。

 こうして考えると、コントラバスのエキストラは、基礎的な技術や人柄だけでなく、その場で与えられた楽器を弾きこなす適応力も必要なんですね。
 

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