偏差値24でも読みとれる裏の意味が、わからない人がいるのか?

ここでは何度か書いている気がするが、自分はセンター試験模試の現代国語で偏差値24を叩き出した実績を持っている。
選択式のテストでこれは酷い(記述式でも酷いけど)。学校内の小さな母数での結果ならともかく、予備校提供のそれなりに大きな母数でこんな偏差値出るか?と自分でも疑った数値である。これでよく大学に入れたものだ。日本の大学教育は大丈夫なのか?w

なので、自分の国語能力については正直諦めている。普段書くことが多いビジネス文書も大概怪しいものである。
こうやってnoteに色々書いているが、ちゃんとした文章が書けているのか?と。いや、書けていたらもっとビューがあるはずだ。拙い文章を読んでくれている方々、ありがとうございます。
子供の頃から作文は苦手で、"書く"の方は以前からダメダメなのはわかっているのでまあいかと。その代わり、せめて"読む"の方だけは人並みに理解できればと思っている。

さて、このエントリーは自分のアホ自慢をするのではなくて、とあるきっかけがあって「なかなか酷い感想があるもんやなぁ。」と思ったのでちょっと書いてみた。
感じることは人それぞれなのだから、それはそれで受け止めるべきことなのかもしれないが、どういう解釈の仕方をしたらそういう感想になるのかなぁ?と気になったので。

※前振りはわりとどうでもいい話なので、本題から読んでくださっても問題ありません。(じゃあその前振りは書かなくてもよいのでは?汗

前振り

最近、日向坂46にちょっとハマっている。
きっかけは、オススメ動画的なところからたまたま視た、テレ東の深夜番組「日向坂で会いましょう」を中心としたまとめ動画(たぶん"アカンやつ"なので詳細は省略)。"野球の件"、"BBQの件"といえばわかる人にはわかるだろうか。この辺がおもしろかったことから、日向坂に興味を持ち始めた。

そしてふと「そういえば、日向坂46の曲をまともに聞いたことないな。」と思い、YouTubeに上がっている公式MVを漁った。最新シングル「ソンナコトナイヨ」は最近TVCMでよく流れているので記憶にあったが、それ以外は初耳、もしかしたら聴いたことあるのかもしれないが、記憶からは消えていた。
そして、順番にMVを観ていたら、「誰よりも高く跳べ!」という曲にぶち当たった。

曲が始まった瞬間、「あ、これ好きなやつ!」となり、続くサビでほぼ持って行かれてしまった。MVがショートバージョンので1コーラスしか聴けてないが、多分最後までヤバいんだろうなと。
後にサブスクでフル尺で聞いたが、やっぱりヤバかった。気にいった曲はすぐに延リピしてしまうのだが、その状態が続いている。

この曲は、日向坂46の一期生(現在は一部辞めている人も居る)が唄っているのだが、動画タイトルにもあるように、まだ欅坂46の一部である「けやき坂46」いわゆる"ひらがなけやき"と名乗っていた頃の曲である。もう4年近く前の曲だ。

これはCD欲しいなぁ、と思って調べてみたら、欅坂46のシングル「二人セゾン」のC面の1曲だということがわかった。
「二人セゾン」のリリース当時といえば、欅坂46が女性アイドルの中で一番勢いがあった時期。そしていかにも欅坂っぽい反抗的な歌詞。たとえC面だとしても、それなりに有名で人気の曲だろうと思って調べてみた。

すると、アイドル楽曲大賞2016のランキングで476位・たった2票という結果。実はあまり知られていない曲なのか?と。アイドル楽曲大賞はほぼグループの人気投票なので、けやき坂の人気がまだなかったということなのかもしれないが、いうても欅坂の中のユニットだし、「二人セゾン」が3位、そして「サイレントマジョリティー」が1位であることを考えれば、あまりに差があるなと。
自分も最近まで、日向坂46の曲ということはおろか、曲の存在すら知らなかったわけで、偉そうなことは言えないのだが、もっと取り上げられていてもおかしくないのでは?と思うほどの良曲、と自分は思っている。

「誰よりも高く跳べ!」をはじめとする楽曲、グループの成り立ちや歴史、メンバーのビジュアルやキャラ、「日向坂で会いましょう」の司会であるオードリーとの関係性など、日向坂46の良いと思うところは色々あるのだが、これについてはまた別のお話。

本題

自分は音楽(に限らず芸術全般)の素養がないので、「この曲のどの辺が良いのか?」と聞かれても、「なんとなく」「イントロやメロディーの感じがなんか好き」となかなか酷い回答しかできない。
けやき坂46の「誰よりも高く跳べ!」で言えば、しょっぱなのギターツクツーンからのシンセニューウィーン!のところとか、サビの雰囲気とか、大サビ前のシンセの感じとか、その辺が非常に良いと思っている。うん、酷い感想だw
あと、比較的ハイテンポなマイナー調の曲が全体的に好きというのもある。オリックスの安達の応援歌みたいな(例えが悪すぎるw

以前、美術系の素養があるツレに「芸術の感想なんてそんなもん。」と言われたことがある。自分の中でなんとなく消化できていればそれでよいと。自分もそれでいいと思う。感じ方は人それぞれだし、言葉では言い表しにくい感情もあるだろう。
だが、それでもやはり文章にできるものならしたい。せっかくその時に感じたことも、時間が経てば忘れたり、そのときとは違う記憶になっていたりすることもあるので、文章化して残しておきたい。

そんなことを考えながら、「誰よりも高く跳べ!」の感想などがないかググったら、かなり序盤で1つのブログがひっかかった。

なかなか不穏なタイトル。タイトルだけ見れば完全に批判記事。
筆者はなぜそんなことを言っているのかが気になり、中身を読んでみることにした。

自分なりの解釈

ブログを読むと、曲の歌詞やコード進行、楽器の使用方法まで非常に細かく分析されていた。

「イントロのギターツクツーンからのシンセニュイーン!のところ」が自分は好き、と前述したが、ブログには以下のように書かれている。

イントロ。ガガって感じでガットギターからはじまってるのかっこいいですね。先走ってかきむしってます。すぐにシンセがぴょーってやってすぐにうようよ、さらにドラムとホーンが入る。ベースも下の方でうようよ。この高揚感はただごとではない。

ギターやシンセの表現は似ているが、他の楽器のことも書かれているし、「高揚感はただごとではない」と、なぜ良いと思うのかが具体的に書かれている。

いきなりサビ。このサビすばらしい。「すべ」「てを」「たち」「きり」って感じが、はあはあ息が切れてる感じ。あの柵をなんとしてもこえるのだ。

「単語を途中で切るのは流れが悪くなるのであまり良くない」という趣旨のことをキダ・タロー大先生が昔言ってたような気がするのだが、なるほど、ここではあえて流れを悪くすることで"息が切れている感じ"を表現しているのかと。それが作者の意図なのか偶然なのかは知らないが、少なくともブログ筆者はこのように感じ取ったわけで、サビのメロディーが素晴らしいということがよく分かる。
これ以外にも、コード進行からの分析もある。「サビの感じ」が好き、としか書いていない自分の感想とは大違いである。

そして、曲を順に分析したあと、最後の方でこのようにまとめられている。

これは天使たちじゃなくて、悪鬼とその手下の美しく邪悪なセイレーンたちの歌です。芸術的には最高だけど、道徳的には非常によくない。
そして作詞作曲編曲の先生たちは、そういうしかけを十分意図してこういう名曲名トラックを作っている。私は許せないですね。

このように書いてくれると、ギリシャ神話に詳しい人なら、この曲に対する筆者のイメージが一発で分かるし、自分のようにギリシャ神話に疎い人間でも、筆者がどう思っているのかがわかる。
そして最後には作家陣に対する評価まである。

ただ、ここには「非常によくない」や「私は許せない」と、否定的な言葉が並んでいる。タイトルの「放送禁止にしてはどうか」もそうだ。
しかし、そこまでの文章を読めば、「非常によくない」はただの説明だし、その他は「私は許せない(くらい嫉妬してしまう名曲である)」「放送禁止にしてはどうか(そうしてもらわないと中毒的に聴いてしまうくらい素晴らしい)」と明らかに逆の意味を含んでいることがわかる。

「誰よりも高く跳べ!」を大絶賛。いわゆる"信者"でもなかなかここまでの高評価はできないのではないか、と思うくらいである。

とてもおもしろい文章だったので、筆者のブログのエントリーリストを見てみた。
すると、音楽の話題も多く取り上げているものの、アイドル曲についてのものはほとんどない。そして、アイドル曲(ほぼ坂道系)についてのタイトルは「名曲」や「やばい」とありがちな表現をしている。
しかし、この「誰よりも高く跳べ!」のエントリーだけは「放送禁止にしてはどうか」と他とは違う表現をしている。このことからも、この曲が筆者にとって特別であることがうかがえる。

よく分からないコメント

しかし、本文の後のコメント欄に、以下のようなものがあった。

書いた方は、ただなんでもいいから批判したいだけじゃないんでしょうか?

このコメント者は、否定的な言葉の裏に隠れている本当の意味が読み取れないのだろうか?
仮に裏の意味が分からなかったとしても、「このサビすばらしい」や「ここいいですよね」と直接褒めている部分も多々あり、少なくとも「批判したいだけ」となるのはおかしいのではないか。筆者も、

そうじゃなくてすごくほめてるのです。

とリプしているのだが、コメント者は聞く耳はもっていない様子。まあこれで聞く耳を持っているなら、そもそも最初のようなコメントはしないと思いますが。

また、同じ人がこんなコメントもつけていた。

そういえば、言い忘れていましたが、「レジスタンス」の意味は何回調べても「抵抗」でした。そもそもの意味から違います?

本文中に「レジスタンス=生きられない。」と書かれていることを受けてのものだ。コメント者はこの部分を取り上げて「筆者は歌詞の意味も分からないで的外れなことを書いている」と考えているようだ。
もちろん筆者は「レジスタンス」の意味が「抵抗」「抵抗運動」「抵抗勢力」などであることはわかっているし、実際そのようにリプしている。
この表現は、これまでの歌詞の流れから「レジスタンスでは生きていくことができない」との意味で筆者がこのように表現したことは明白だ。

そして、このようなコメントをつけているということは、本文もすべて読んでいるということもわかる。それなのになぜコメント者は前述のような感想を持ったのか、まったくもって理解ができなかった。

まとめ

論文や説明書などは、裏の意味を持たせたり、行間を読まなければいけないような記述をしてはいけない。誤解が生じてはいけないからだ。
しかし、小説や感想文などはその限りではないし、むしろそういうところを読むのがおもしろいのだと思っている。見えてみるものだけが全てではない。このあたりは絵を見たり音楽を聴いたりするのと同じかもしれない。
このコメント者は、論文のような文章しか読めないのだろうか?そんな人が他人のブログを読んで楽しいのだろうか?非常に気になるところである。

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