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道徳の教科化の理由の一つに、いじめ問題への対応というのが挙げられます。大津の事件を受けて、小中学校の道徳の教科書にはいじめ問題を扱うページや、読み物教材が用意されています。 ここで、多くの人は疑問を抱くのではないでしょうか。果たして道徳を教科化したことにより、いじめはなくなるのだろうかと。 結論から言えば、道徳の教科化はいじめ問題対応のための必要条件であって十分条件ではありません。つまり、道徳の教科化だけではいじめをなくすことはできません。 まず、いじめへの対応という点
今日は哲学科について紹介します。 哲学科はお茶の水女子大附属小学校が中心となって、新しい道徳の時間の授業を模索している物です。 (ちなみに、お茶の水女子大附属小学校は共学です。) 哲学科の特徴は、学問としての哲学を学ぶのではなく、「哲学すること」を通して、他者との相互理解を目指します。ですので、扱う内容も学問的なものではなく、身近な問題をテーマとして扱います。 例えば、普通って何?友達ってどんな人?大きくなるとは?といったテーマを扱います。 What,Howが中心的
前回の投稿から日が空いてしまいました。 今日は道徳科の一読総合法以外の道徳の方法として、価値の明確化について紹介します。 価値の明確化は、1950~1960年代のアメリカの「人間性回復運動」から生まれてきたものです。この時期のアメリカは、ベトナム戦争からくる、厭戦気分や人間や伝統的な価値観に対する反動がありました。 国の示してきた伝統的価値観に従い、正義の戦争を行った結果、ベトナム戦争が悲惨な結果を生み出したことは承知の通りだと思います。 そのため、この価値の明確化は
道徳における質の高い三つの指導法の中に自我関与が中心の学習というものが出てきました。 今までの読み物教材を用いた道徳授業に最も近い形であると言えますが、今回は、そもそも、自我関与って何?ということについて書いていきたいと思います。 さて、自我関与という言葉を辞書で調べてみるとこのように出てきます。 心理学用語。ある事柄を自分のもの、あるいは自分に関係があるものとして考えること。(デジタル大辞泉より) この意味から、心理的な状態であるということ、自分のこととして考えてい