歩く

 実家から小学校への通学ルートは、大きく分けて二通りあった。大通りを沿って歩く道と、狭い裏通りを歩く道だ。
 僕は後者を行くのが好きだった。車の往来が激しい大通りよりはのんびり歩けるし、そっちのほうが友達の家も多い。そして何より、細かい道を知っている自分の「大人になれた感」がたまらなかった。

 実家のマンションを出ると、さっそく上記の選択肢が現れる。右に行くなら大通り、左に行くなら裏通り。迷わず左を行く。左に歩き出した時点で、友達の家が2軒見える。ひとりは料理人になり、もうひとりはギタリストになった。

 少し歩くと古い家が並ぶ登り坂に出る。ひび割れた平屋のコンクリート住宅が多かった。ある家では玄関先に黒くて大きい犬が繋がれていた。僕が通るたびに激しく右往左往する陽気なやつだった。中学にあがるころには見かけなくなった。

 突きあたりにある駄菓子屋では、50円で2回プレイできるアーケードゲーム機があった。たしか『キングオブファイターズ98』だ。歯医者の息子がやたら強かった。

 そこから自然とスナック街を歩く。古い瓦屋根のコンクリート造が多かった。
 登校時間に行くと本当に静かな通りだった。空いている店はひとつもなく、他に歩く人もほとんどいない。ゾンビの世界になってもこの辺の景色はそんなに変わらなそうだとよく想像していた。

 スナック街を抜けると少し広い通りに出る。またひび割れたコンクリート造の住宅が並ぶ。学校はもう目の前だ。ここを歩くと、同じく登校中の子供達がぽつぽつと増えてくる。歩いているクラスメイトや近所の友達を見つけても、僕は駆け寄ったりはしないタイプだった。帰り道は誰とでも一緒にいたのに。ひとりで行って、複数人で寄り道しながら帰る。そして次の日もひとりで行く。また複数人でどこかで遊んだりしながら帰る。

 まるで花火だ。ひとつで打ち上がって、たくさん弾けて、複数の光となって帰っていく。地面に着く頃には、それぞれが遊び疲れた燃えかすとなる。そしてまたひとつになって打ち上がる。

 近所の友達はもうほとんどそこに住んでいない。僕自身も実家を離れて随分経つ。
 古い住宅はいつのまにか真新しい共同住宅になり、駄菓子屋は潰れた。あんなに生気のない朝のスナック街は、夜になるとそこらじゅうからカラオケの音や下品な笑い声が漏れ出る賑やかな場末になるのだと、大人になってから知った。

 今となっては、会社に行こうが飲み屋に行こうが、ひとりで行ってひとりで帰ってばかりだ。憔悴して帰ったり、その日の出来事を頭の中でめまぐるしく反芻しながら帰ったりしている。
 これはこれで、20年や30年経ったあとに振り返ると、花火のような日常だったと思うのかもしれない。

 思い出というものは、僕にとってはどうしても眩しく映る。昔は良かったなんて思いながら、今と比べながら、そうやって残りの人生を歩くのだろう。大通りを歩く気概がないから、裏通りをとぼとぼと歩いて、人に駆け寄ることもなく、自分の好きな道を歩いていくのだろう。
 きっと、何も変わらない生き方のまま、よく更新される景色を眺めながら歩くのだ。卑下しているわけではない。花火なのだからそれでいいと思っている。どこをどう歩こうが、最後は本当に燃えかすになるのだ。

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