『ひょんなこと』感想

長文になりそうなのでメモがてらこっちに書きます。思ったことをありのまま書いてるので文法とかは全然アレな感じで。


ナミさんに借りた、ネルノダイスキ作の漫画『ひょんなこと』、すごい良かった。
大きくわけて二つの感想が出てくるんだけど、
①幼児的と言ってもいいくらいの「自分のための世界説明」の切り取り
②俺がアーティストだったらこの感性にしがみつく努力をする
って感じ。

①について、例えば俺は子供のとき、テレビの映像がなぜ瞬時に切り替わるのかをよくわかってなくて、テレビという箱のなかに小人が複数人いて、そいつらが紙芝居の要領で「動く紙」を瞬時に引っこ抜いてると思ってたんだけど、
子供のそういうイメージを、大人はすぐ「豊かだ」「自由だ」と喜ぶよね。本人はいたって真面目なのに。

月並みな言い方だけど、大人は子供の頃の感性を失っている。
ほとんどの出来事に物理的な理解ができてしまうからだ(現実的な、という表現にしようかと思ったけど、子供にとってはイメージこそ現実だよね)。

というか、俺たちは10代のどっかのタイミングで、そういう感性をスパッと切り離して海に投げて、距離も時間も遠いどこかに捨て流してる感じすらする。
たまにそれを眺めては、美しい景色だな〜とか勝手に考えている。お前のだろボケ。

そういう、子供なりの世界説明(理解のための物語と呼んでもいいのかな?)を、この漫画は必死に保とうとしている。
自由なイメージを、そしてそのイメージを描いていたときの気持ちを保つ。それは抽象的だけどたしかに現実で、そんな不安定な境界が作画にも現れていたような気さえする。

そんな自由なイメージを大切に保つことが、多分、人の豊かさ(或いはそのアンテナ)を大人になっても形成し続けていくんだけど、恐らく、大抵の大人がそこに到達してないというか、
もうとっくの昔に捨ててしまっている感性だから、世界を正しく物理的に理解してしまった瞬間からそれは呪縛となってなかなか離れてくれない。
どうせ自分にはそんな感性はない。それは子供やアーティストの仕事だ。こっちは鑑賞者だ。
そんなゾーンから抜け出せない。まさに俺だ。

これが②の話にもなってくる。
一方で、俺がもし詩人や画家や音楽家だったら、世界をこんな感性から表現する。というか、こんな感性からしか表現できない(不思議と"漫画家や映画監督だったら〜"という妄想が少ししづらい。これはまたいつか考えよう)。

車のエンジンをかけて、アクセルを踏む。車は進む。なぜか。
それは車の中に無数の小人がいて、エンジンをかけたときの振動で全員が飛び起きて、あるものはアクセルが踏まれたことを一斉に叫び、あるものはそれを聞いてタイヤを手で回し、あるものはホイールのなかでハムスターのように内部を一生懸命走ってタイヤを回す。その小人たちの叫びを、僕たちは排気音だと錯覚する。

もちろん物理的に、というか現実的に間違っている。間違ってるが、そういう理解でも別に世界に差し支えない。そしてそれこそが自分に見える世界の姿である。
みたいなことを、自分なりの方法で表現すると思うのだ。俺がアーティストなら。

これは人生の大きめな反省点だけど、割と最近まで、俺はそれこそ「アートの断絶性」だと考えていた。
小人が〜なんて言われても、それ普通に間違ってるし、というか答えは目の前にあるじゃん。車が走る理由も、テレビ画面が切り替わる理由も。
それを今更、いやいやそう考えたっていいじゃん、豊かじゃん!みたいに言われても…みたいに思っていたし、
心の機微や社会の風刺を描いた作品を見ても、それは全て学問で説明されていることなのでは…?というふうに思っていた。なぜいちいちアートなのか。面白いけど。

さて、それはそれで間違ってるとは思わないけど、最近になって気づいたのは、自分と世界を結ぶコンテンツ(あるいは物語)が、物理かアートか、表現するかしないか、くらいの違いしかなくて、断絶というより、学校のクラスが違うとか入っている部活が違うとかくらいの違いしかないんじゃないか、ってところに今きてる。

もっと言えば、自分にとって世界はこうなのだ、という理解と表現が、実は物理なんかより多彩な共感を集めるような気もする。

本書を読んで覚えた妙な共感は多分そこにある。
あ、すいません、断絶とか言っちゃいましたけど俺もそっちの感じあるかもしれないっす。みたいな。

なんのことやねん、と思いながら読み進めたら、実はこんな事象を説明してた。ひどく自分なりに。そんなショートストーリーが連続していくんだけど、これはきっと、誰もがかつて思い浮かべていた現実で、かつて世界を繋いでくれたイメージで、
めちゃくちゃ自由奔放にも見えるんだけど、同時に自分の体のなかだけで完結する物語でもあって、
スピが言いがちな「自分のなかの宇宙」とかとは少しニュアンスが違うけど、
まあ要は、本当に、クラスが違うくらいの差だね。俺もお前も。クラスは違うけど親友になれるかもな俺たち。

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