『回転木馬のデッド・ヒート』読後感想


あらすじと前書き

現代の奇妙な空間──都会。そこで暮らす人々の人生をたとえるなら、それはメリー・ゴーラウンド。人はメリー・ゴーラウンドに乗って、日々デッド・ヒートを繰りひろげる。人生に疲れた人、何かに立ち向かっている人……、さまざまな人間群像を描いたスケッチ・ブックの中に、あなたに似た人はいませんか。

『回転木馬のデッド・ヒート』
著 村上春樹
講談社文庫


小説好きなのに村上春樹一冊も読んだことないの? と、他人に言われたことはなくとも自分で思っていたのは事実なので、引越し後の本の仕分け中に手に取った積読本を読んでみました。


これを買ったときの記憶はあります。

あまり大きな声で言うもんではないですが、ふらっと立ち寄った古本屋で上に書いたようなことを思って、作者の名前だけ見て手に取ってそのまま買った本です。
前評判でそもそも苦手意識を持っていたので、『1Q84』だとか、『ノルウェイの森』だとか、いわゆる代表作のように厚い本でなく、薄いこの本を手に取ったんだと思います。

そして、開いて前書きを読んでやっと「実話ベースじゃん……」と気付いてテンションが下がりました。

わたしはエッセイより物語の方が圧倒的に好きですし、何より、村上春樹の物語をひとつも読んだことがないのにいきなりエッセイ(作中では「スケッチ」と呼ばれてましたが)から読むのは、自分的には明らかにやらかしの部類だったので。


感想

中身は「はじめに・回転木馬のデッドヒート」
の章を前書きとして、メインが8章に分かれていました。

「レーダーホーゼン」
「タクシーに乗った男」
「プールサイド」
「今は亡き王女のための」
「嘔吐1979」
「雨やどり」
「野球場」
「ハンティング・ナイフ」

読み終わってから時間を空けずにこれを書いていますが、今目次を見ながら、

「プールサイド」
「今は亡き王女のための」
「雨やどり」

の3つはすでに話の断片すら思い出せません。
たぶん感想を持たなかったのかも。

逆に、結構好きだなと思った話は

「嘔吐1979」
「野球場」の2つでした。

他のものも大筋しか覚えておらず、一体自分は何を読んだんだ? となっていますが誰が読んでもこんなもんでは、という気もします。

最後の「ハンティング・ナイフ」を読んでる途中でうたた寝をしたのですが、その間にうっすら見た夢がめちゃくちゃそれっぽくて、「え?」と思ってすぐ本編をもう一度確認したのですがそんな話はなかったし、そもそもどんな夢を見たかもすべて忘れました。

読み方に正解不正解はないですが、これで合ってんの? という気持ちが拭えていません。


「嘔吐1979」

「嘔吐1979」は、とある年の連続した40日間、身体の不調によらない嘔吐が毎日続いており、それとの関係は不明だが、期間を被せて毎日1回ずつ、嘔吐する男の名前だけを呟いて切る電話が掛かってきた。声の主に思い当たる者はなく、住むところをホテルや友人宅にしても欠かさず毎日掛かってくるので気味が悪かった、というもの。

本作に置いて、著者の村上春樹は完全な聞き役に徹しているので、何も解決はしないし、こうではないか? という結論も出しはしないのですが、実話ベースというからには本当に近い体験をした人がいるのだろう、ということでワクワクしました。

これを体験した人は、「天気」「その日の食事」「その日会った人やその場所」「各出来事についての自分の気分」まで毎日マメに日記をつける人だったようで、上の奇怪なエピソードよりよほど信じられないな……と思ったのですが、そういう「無理やろ……」というのをやり遂げている人のところだから変なことが起こるのかもしれないですね。


「野球場」


自分が一時期、惚れた女にストーカーをしていたというのを告解(そこまで大袈裟でもないかも)する男の話でした。

惚れた女のアパートを突き止め、おおよそ近いとは言えないが望遠レンズで一直線に覗けるアパートに即日家を借り、日夜レースカーテンの向こうの生活を覗き続けて気が狂った、という話でしたが、倫理観に欠けすぎていたので小説のつもりで読んでいて、村上春樹と男の会話のやり取りに至るページで「あ、そういえば実話ベースだった」と思い出しました。

今、引越したてで自室のカーテンがついていないので余計に気味が悪いです。
夜はこちらから外は見えないですが、あちらから中は見えますものね。

本当に、下手なホラーよりよっぽど気味が悪いです。

結局男が覗きを辞めたのは、毎日生活を覗いていた相手の女が北海道の実家に長期帰省をしたからで、外的要因がなければ辞められなかったであろう、という話でしたが、その辺りの鬼気迫る感情を表す筆致はさすがだな、と思いました。


読んでみて

おそらく、今目の前に雑多に積んである本たちの中に2〜3冊、村上春樹の本が混ざっているのですが、しばらくはまた積んだままにされてしまうだろうなと思います。

とはいえ、村上春樹の「小説」を読もうという試みは成功していないので、いずれまた何かしらを読むとは思いますが……

村上春樹がノミネートされては受賞にいたらず、というニュースは何度か見ましたが、ハマる人にはハマり、苦手な人には苦手なのだというのがはっきり分かる書き味だと思ったので納得しました。


わたしは新井素子の本を小学生あたりから好んで読んでいたのですが、ゴリゴリの1人称なのに、本人が知らない情報も、「この時点であたしがそれを知ってるわけはないんだけど、それだとお話にならないから説明しちゃうね」なんて無茶苦茶言いながら地の文で説明しちゃったりするような書き方なので、わたしは大好きなんですけど、苦手な人は読めないと思います。

そして、文体がとにかく一度読むと一旦表層に強制インプットされてしまって、直後にアウトプットしようとすると少し引き摺られてしまうあたりも似ている気がします。


たぶん、村上春樹を読んだ直後に日記を書こうとした人の多くが、それと意識せずに、あるいは文章に洗練さを出そうとして意図的に、もってまわった言い回しで書いてしまうんじゃないかな。
それが本当に似ているかどうかはさておき、書いた本人だけは、普段と違う筆致であることに気付いている。

↑そう、こんな感じで。


いつか小説でリベンジするぞ〜!


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