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古今東西、浅ましき人間の強欲

 昨今のSNS投資詐欺で騙された人々の具体的な被害手順を見聞きするに、はてどこかで見覚えのある風景だと思ったら、ブルガーコフの長編小説『巨匠とマルガリータ』の前半の山場のシーンだ。「20世紀の小説の最高傑作」と称される当作品は、ソ連当局により社会的に抹殺された恋人を救うため、現世に降り立った大悪魔と契約する女性を主人公に据えた幻想小説であるが、あまりに傑作すぎてソ連国内では禁書となった問題作だ。勿論今では自由に読めるし、いい和訳もある。
 前半は大悪魔とその子分が織りなすハチャメチャ劇が読者の頭をかき乱すのだが、その本質が今般の投資詐欺によく似ている。当時、西側世界と距離を取っていたソ連社会は、はっきり言って西側社会がよく判っていなかったのだが、そんな「西側」から来たという大富豪に扮した大悪魔が、「最新のモードの高級ドレスやスーツを皆さんにプレゼント致します。どうぞお好きな物を選んで、着替えてそのままお帰り下さい。代金は頂きません」とか言って大盤振る舞いする。西側世界ではしばしば商品プロモーションとして数量限定の無料配布をしたりするが、そのノリだと思い込んだソ連の紳士淑女が浅ましくも大喜びで試着室に殺到し、各々最新のファッションで着飾って会場を後にしようとする。しかし戸外に出た途端、ドレスはタヌキに化かされて小判に見えていた葉っぱのように霧消し、後にはパンツ一丁、ブラジャー一枚の男女の群れが残される。その羞恥の大パニックを見て大悪魔一行は大笑いするというシーンだ。
 この大悪魔は物語後半で非常にカッコいい役割を演じることになるが、その布石として、前半では人間の欲深さを刺激するだけでさしたる悪事をしているわけではない、という憎めない側面を見せている。悪いのは人間の欲なのだ。大悪魔一行はちょっとした悪ふざけをしただけである。まさか引っ掛かる人間がいるなんて。どうですか、皆さん。SNS投資詐欺の被害者が、この小説で半裸を晒したソ連の紳士淑女に重なりませんか。「良く知らない」人や世界のことを、鵜呑みに信用して法外な利益を得ようとする浅ましい心根が、自らを破滅させたのなら自業自得だと、ブルガーコフは強く批判しているわけですが、こんな小説は読みたくはありませんか。宇宙人イチ押しのロシア文学なのだが。

 ロシア文学が苦手な方には、もうちょっと読みやすい本をご紹介しよう。アインシュタインとフロイトの書簡を記載した『ひとはなぜ戦争をするのか』。スマホもパソコンもない1930年代の一往復の手紙なので非常に薄い図書であるが、養老孟司氏が瞠目の解説を書いており、こちらの方が内容が濃くて深い。是非全編読んで頂きたいが、お時間のない方のために例によって宇宙人の刮目ポイントを記しておこう。※印は宇宙人の合いの手。

――(フロイトの書簡:)例えば文化が発展していくと、人間が消滅する危険性があります。なぜなら文化の発展のために、人間の性的な機能が様々な形で損なわれてきているからです。今日ですら、文化の洗礼を受けていない人間、文化の発展に取り残された社会階層の人たちが急激に人工を増加させているのに対し、文化を発展させた人々は子どもを産まなくなってきています――
(※1930年代で既にこういう状態だったのだ! 今とそっくりではないか!)

――(以下は養老先生の解説:)二人の書簡で扱われていない大きな問題の一つは、人口である。人口問題は戦争の大きな背景になっている。私はそう思う。…ヒトが増えるとモノも不足するけれども、社会の中で若者の居場所も不足する。欧州では産業革命以来、人口が増加した。つまり若い人たちが増えた。ところが社会制度は古い状況に合わせてある程度固定しているから、若者を受け入れる場所が足りない。その傾向は今でもあって、若者の失業率が高い社会が多いし、伝統的な社会でそれが目立つ。明治期の日本は社会制度そのものを変えたから、新しい社会の中で若者のいる場所が創られた。それでも若者が余れば、当然ながら軍隊が役に立つ。まともな仕事で若者が重要な部門といえば、当時は軍隊に決まっていた。だから人口増加と共に、軍隊はひとりでに肥大する傾向があった。会社と違って軍隊は雇用に制限がかかっているわけではない。社会制度が固定した社会では、経済が許す限り軍隊が拡大する。軍隊が大きくなれば、戦争の危険はむろん高くなる。軍隊を拡大する理由として、対外的な危機を誇張せざるを得ないからである。じつは第一次世界大戦の根本には、これがあったと私は思う。あの戦争は欧州の数百万の若者を殺した。そこまで若者を減らしたのだから人口問題が解決したかというと、無論そうではない。(その後第二次大戦があって人口は減ったが、戦後はすぐにベビーブームで再び増加した。)…「実際に人口を減らす」という意味では、戦争はおそらく役に立たなかった。でも人口は自然増、軍隊の肥大、戦争というのが、過去の一つの必然的な道だったことは間違いないだろうと思う。…
…パソコンとスマホに代表されるITは日常生活を変えた。…現代のシステムはアルゴリズム、つまり計算や手続きに従って成立する。それまでは社会システム、例えば世間はいわば「ひとりでにできる」或いは「自然にできてしまった」という面が大きかった。でも現代ではそれは違う。「アルゴリズムに従って創られる」面が大きい。経済や流通、通信はそうなっている。それを合理的とか効率がいいとか、グローバル化とか表現する。――

――各国首脳が集まって「テロを断固として撲滅する」みたいなことをいう。そこで私が白けるのは、テロが発生するような社会システムを創るのを、無意識とはいえ手伝ってきたのはあんたたちだろう、という気がするからである。――

――ハリウッド映画の多くが、破壊のシーンを映していることにお気付きだろうか。アメリカ人は無意識的に物質文明を恨んでいる。私はそう解釈している。…9.11の状況をテレビのニュースで見た時に、こりゃハリウッド映画だ、と思った人はかなりいたはずである。私の家族はアメリカ映画やテレビ番組は「ものを壊す」からイヤだという。――
(※宇宙人もハリウッド映画嫌いなんだけど、自分もまたこういう理由で嫌いなのだと、言われて改めて気付かされた。宇宙人はアニメを時々みるけど、『東京リベンジャーズ』の類のアニメ群は、同じ理由で嫌いだ。壊すばかりで何も作っていないところが。)

――アルゴリズム的なシステムが優越する社会では、戦争のような「賭け事」に類する行為は嫌われる。賭け事に自分の生活を賭けるのは、成熟した大人のすることではないからである。戦争には「やってみなければわからない」面がある。でもそれはシステムを成立させることに反する。アルゴリズムとは、要するに計算通りということだからである。現代社会では、自然発生的な社会システムと、アルゴリズムで創られていく社会システムとが拮抗している。私たちが置かれているのはそうした状況だと私は考えている。…格差社会といわれるのは、新しい社会システムから外される人が多くなったからである。こうした見方からすると、テロという問題が違った面から見えてくる。ISはカリフ制への復帰を主張しているという。それ自体がいかにも「古い」が、そこに見えてくるのは古い社会システムへの親近感、郷愁であろう。アラブ世界は石油に引きずられてきた。石油はむろん新しい社会システムの象徴である。石油のメジャーとは、多国籍企業の典型ではないか。…新しい社会システムと自然発生的な古い社会システムの相剋がテロの基底ではないか。私はそう思っている。石油に振り回されてきた中近東で相剋が極端化しているのである。個人番号にせよ、全ての乗客をテロ容疑者と見做す空港にせよ、新しいシステムは個人に対して新たな強制をかける。そこに何かの理不尽さを感じるのは、私だけではないだろう。全ての人にそれを強制することによって、利益を受けるのをあなた方自身だ、と新しいシステムは言う。ところが言われている方の私たちは、どうもそんな気がしていない。石油に振り回されてきたアラブ世界にしてみれば、その違和感はもっと徹底的なはずである。…テロがアルゴリズム的社会に対する抵抗だとすると、これは簡単にはなくならない。…テロが存在することによって政治の仮想的な重要性が高まるから、政治家や官僚はテロ対策を言う。一種のマッチポンプと言ってもいい政治がアルゴリズム的システム化の方に無意識であれ強く引きずられる社会では、抵抗勢力が発生する。それが現代の戦争であり、つまりテロだというのが、私の貧しい結論である。――

――「わかった」と本当に思った時の脳は、わかる以前の脳とは違っているはずである。だから何かがわかると、次々にまたわからないことが出てくる。脳が変化し、その脳に「新しい状況」が発生するからである。だから学問研究はやめられない。自分の脳を変えるという習慣がつくと、いわば中毒を起こす。だからひたすら考え続ける。――
(※これが真の知的探求活動というものだ。これを知らずに一生を終える人間は多く、彼らがこの快感や中毒を理解するのは不可能だ。しかしそういう人間が大多数を占めるこの社会では、『巨匠とマルガリータ』の大悪魔に騙されたり、SNS詐欺にまんまと引っ掛かったりする。そういうことではないのか。)

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