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リアル、欠リアル、立毛筋

 元ヤクザの懲役太郎氏によれば、ヤクザの喧嘩は中学生のそれとは本質的にレベルが違うそうだ。どう違うかというと、(下っ端だった懲役氏が)喧嘩の後片付けをしていると肉片が落ちていたり、床を拭き掃除すると雑巾で絞れるくらいの血が拭き取れたり。うう、リアル。それでもヤクザになる人間が後を絶たなかったのは、割よく食える職業だったからだという。リスクは高かったがリターンも大きかった。仮に罪を犯して捕まっても、量刑が軽かった。しかし今は違う。リスクの割にリターンが少なく割に合わなくなったし、そもそも食えなくなった。法律は整備され、量刑や連座制が厳しくなった。昔は懲役から帰ったら居場所が用意されていて衣食住の心配をしなくて良かったが、今は受け入れる側がリスクを回避したがる。社会のシステムや道具もどんどん変わっていくので出所後は浦島太郎になっているし、親分でさえもスマホの操作方法を部屋住みの若いモンに教わる始末で、入所によって社会から数年なりと隔離されることは社会的致命傷になりかねない。
 こうした話はやはり現場で暮らした懲役氏ならでは聞ける内容で、テレビドラマの類ではこうした細部までは汲み取られていない。視聴者を騙せればいい範囲の知悉と描写。そのレベルが低いせいで視聴者は離れていく。リアルを感じないからそっぽを向く。

 先日茂木健一郎氏が「今のお笑いは小五レベル」と発言して話題になったが、宇宙人は喝采した。小五どころか小二だと言ったら、昨今の賢い小二に叱られそうだ。それくらいレベルが低くて、宇宙人は2秒も見ていられない。画面はいずれ劣らぬアホ面ばかりでまず目を背けたくなる。美醜の問題ではない。「自分がイケてる」と勘違いしている愚かしさを露呈した顔つきに不快を覚えるのだ。愚かしいのは罪ではないが、それに気付かないのは醜悪だ。お笑い界の重鎮という立ち位置だった松本人志が下品な行為の発覚で人前に出られなくなったが、事件発覚前からあの顔つきは宇宙人には不快であった。どうして人気があるのか不思議でしょうがなかったが、皆さんはあの人の芸なり存在なりが好きでしたか? 本当に? どのへんが?
 いずれにせよお笑い全体のレベルが低いのは、芸人たち(或いは放送界)が考えている「面白レベル」と視聴者の笑いのレベルが乖離しているのに、芸人が一向に視聴者のレベルに合わせようとしないどころか、その乖離に気付いてさえいないからではないか。小五レベルのお笑いで大人も笑わせられるという勘違いに気付かないから、レベルが低いままなのではないか。そのリアルの欠如、真実からの遠さが、宇宙人の渋面の原因ではないか。
 ちなみに地上波テレビドラマの演技がわざとらしいのは、「無料のドラマしか見られないような(程度の低い)視聴者のリテラシーに合わせて判りやすい演技を故意にやっているからだ」とも聞く。有料ドラマはもっと「わざとらしくない」演技なのだそうだが、宇宙人は見たことないので何とも言えぬ。懲役太郎の語るヤクザの喧嘩の後始末程度のリアルさは期待できるであろうか。それとも演技だけに気を配って、ドラマの内容は相変わらずの欠リアルなのだろうか。

 もう一つ。年齢によるお肌のたるみの原因の一つは立毛筋の衰えだと聞いた。立毛筋とは鳥肌を立てる役割を担っている筋組織だが、昨今の便利な世の中では寒さに震えて鳥肌を立てる機会も減ったし、喧嘩の後で肉片を発見するような重度の恐怖を味わう機会もなくなった。お蔭で立毛筋は出番がなくなり、鍛えられないから衰える一方で、年頃の人々のお肌を日夜無残にたるませているというわけなのだった。
 え? 脈絡のない話題が連なっている? そんなことはない、ちゃんと通底しているだろう? どうですか、リテラシーの高い土星裏の閲覧者の皆さん。宇宙人の言わんとしているコアが三つ、ちゃんと繋がっていますよねえ。ねえ?

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