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算命学余話 #U69「守護神#3 甲×秋」/バックナンバー

 「古来より遊牧を生業としてきたモンゴル人の知恵によれば、当地の羊の群れの中には必ずヤギを混ぜる。割合はおよそ100:1。なぜかというと、羊は群れへの帰属意識が強い動物なので足元の草を食べ尽くすと動かなくなり、やがて群れ全体の毛づやや肉質が悪くなってしまう。これに対しヤギは群れない性質なので、草がなくなれば新たな草を求めて勝手に移動する。するとヤギの移動に釣られて羊たちはぞろぞろと移動し、また新しい草を食べられるという仕組みだ。だから遊牧においてヤギは是非とも必要なのだ。共同体における異物の役割を考える例えでもあるし、群れの危険性を例える話でもある。もし深い洞察や思考ができないヤギならば群れ全体が断崖に誘導されるかもしれない、というところまで考えさせられる。」

 こう語るのはノンフィクション作家の森達也氏で、私はこの人のことは良く知らないのですが、このヤギと羊の関係性の話は算命学学習者にはピンときてほしいです。特に「共同体における異物の役割」というところは、トリックスター的役割を課せられている調舒星や龍高星、完全格入格者や偏った星並びなど、場合によっては異端ぶりが際立ちすぎて村八分にならないとも限らないお騒がせな命式の持ち主が、集団においてどのように機能するかを、端的に提示してくれています。
 つまり足元の草が豊富にあるうちはヤギは必要ないので、異端者は無視されたり運が悪いと迫害されたりするのですが、ひとたび草が食い尽くされると、俄然ヤギの才能が注目されるようになるし、ヤギが活躍しないと集団全体が危機に陥る。羊の群れが健全さを維持するためには、ヤギの奔放さや旺盛な食欲が不可欠なのです。
 人間の集団も同様です。多様性を重んじようと口ではたやすく言いますが、実際いまの社会は異端や異物を取り除く傾向が強く、大きなところでは宗教や人種の差別から、小さなところでは学校生活に馴染めない子供の特別学級への振り分けまで、大多数と迎合しない少数派を集団から選り分けてはじき出す行為が容認され、それこそが社会秩序を向上させると信じる人も多いです。そうして築かれた社会は一見して安全で清潔に見えるかもしれませんが、実際はヤギのいない羊の群れであり、この群れははじき出された少数派による逆襲によってではなく、自ら生命体としての活力を失って滅びるのです。そうならないように、社会には自然とヤギがごく少数まぜてあるのです。

 奇しくも私が今年から使用を始めたEMも、細菌の世界では少数派に属します。研究者の話によれば、この世に存在する細菌は善玉菌、悪玉菌、どちらでもない日和見菌の三種類に分類でき、その比率はおよそ1:1:98だそうです。この世のほとんどの細菌は善玉でも悪玉でもない羊の群れなのです。しかしそこへ善玉菌もしくは悪玉菌がたった1匹混入しただけで、98の日和見菌はヤギに釣られて移動する羊の如く、混入した善玉もしくは悪玉の色に染められてしまう。世界の大部分を占める日和見菌は善玉にも悪玉にも転ぶのです。
 何かに似ていますね。人間社会に似ているのです。たった一人の指導者の先導によって、われわれ集団は幸福への道を邁進することもできれば、破滅への道を転げ落ちることもできる。そのヤギが善玉か悪玉かは定かではありません。しかし集団はそのヤギが草地へ向かっているのか断崖へ突き進んでいるのかを判断できないか、判断できたとしても群れが動いてしまった後ではもう後戻りはできない。どうやら人間社会はこうした家畜や細菌らと同じ運動をするもののようです。

 そうして考えてみると、人間はヤギと羊とどちらに生まれるのが幸せなのでしょう。算命学はどちらとも言えないという立場です。だから宿命に良し悪しはないと再三申し上げているのです。特殊な宿命を羨む人もいるようですし、逆にそうした人が身近にいるとけむたく思う人もいるようですが、ヤギもいろいろ大変なのです。羊もヤギもモンゴルの草原で仲良く共存しています。人間だって共存できるはずなのです。

 さて今回は久しぶりに守護神の話に戻ります。甲の秋生まれの守護神を取り上げますが、秋の樹木といえば紅葉です。美しく紅葉した樹木が意味しているものは何か。紅葉を美しいと感じる人間の感性と命式に関連性はあるのか、などなど考察しつつ解説してみます。

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