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行列のできるご朱印所

 桜が咲き続けているので、宇宙人の靖国神社勤務も続く。例年より遅い桜の開花のせいでお目当てを逃した高齢の参拝客の相手をする宇宙人。「今日は軍歌を歌う催しはないの?」と老人に問われ「はて?」と首をかしげていると、神職がやってきて応対してくれた。例年4月第一日曜日に「軍歌を歌う会」という有志による奉納唱歌があったのだが、昨今は温暖化により桜の開花が早く4月には散ってしまう年が続いたため、桜の開花に合わせて今年から開催日を3月末に変更したという。残念そうな老人。年齢からして青春時代に歌った歌なのだな。軍歌と言えば、作家の岩井志麻子が「韓国でカラオケする時は必ず軍歌を歌う」と言っていたが、こんな蛮勇を奮える人はこの人くらいで、今の日本では世間的には憚られたり揶揄の対象になったりする。きっと大声で唱和できる数少ない機会だったに違いない。琵琶曲「戦艦大和」を目指す宇宙人としてはこの老人に寄り添いたい。

 本日のメインイベント「軍馬、軍犬、軍鳩合同慰霊祭」の立て看板を見上げる宇宙人。あ、境内の茶室では茶会もあるのだな。着物姿の女性らが桜の下をしずしずと茶室へ向かってゆく。桜の満開もあって土日の境内は参拝客でいっぱいだ。向かいの千鳥ヶ淵も桜の名所で、夜にはライトアップするので見てみたい気がする。しかし出勤前に千鳥ヶ淵を往復してみたところ、朝9時でも大層な混雑で、夜が思いやられる。人ごみが苦手なわが身にはこたえよう。行くとしたら平日だな。また来年。(宇宙人よ、先送りにすると二度とチャンスが巡ってこないやもしれぬぞ。)
 撤下の仕事の合間に会報「特攻」の山を整える宇宙人。「永代神楽祭控室」の部屋札を眺めながらチラシ類を熟読する宇宙人。「永代神楽祭」とは靖国神社に祀られる英霊の命日行事のことである。仏教だと十三回忌やら十七回忌やら「回忌」が付くが、神式は「祭」るのだ。主宰者は英霊の遺族で、正殿での正式参拝のほか、通常の参拝では入れない神殿で特別な神楽を英霊と共に鑑賞する。玉串料は10万円。なるほど。世俗のディナーショーと違って、厳かな特別感や非日常が味わえる催しなのだ。

 その他遺族会の団体様を見送り、一段落したところで朱印所からのヘルプ要請が来た。赴くと、朱印所はフル稼働の工場と化している。晴天に恵まれた日曜日、満開の花見を終えた参拝客が朱印を求めて長蛇の列を築いているのが窓口から見える。朝の出勤時には既に行列ができていたが、今や恐ろしい長さである。宇宙人は3月の桜の開花前にこの工場で朱印を押したり上袋に詰めたりしたが、あの時に作り置きしたサクラの刺繍のご朱印が飛ぶように売れ、驚くべき速さで減っていく。
 在庫が尽きぬよう毛筆助勤者が二列に並んで一心不乱に筆を動かしている。ご朱印には三種類あり、刺繍の入った期間限定のサクラ朱印と、金の菊の刺繍入りの通年朱印、そして朱印帳に直接書き込む墨書朱印である。宇宙人はこの墨書朱印にハンコを押す係を命じられる。5×5センチほどの大判ハンコに体重を掛けて押印する宇宙人。朱肉が隣のページに移らぬよう懐紙を挟んで朱印帳を閉じ、呼出し係に手渡す。呼出し係が「番号札〇番の方~」とマイクで呼び出すそばから、もう次の朱印帳が毛筆テーブルから回されて来る。背後では窓口の助勤がレジも電卓もなしで現金を参拝客とやりとりし、番号クリップを挟んだ朱印帳を台に積み上げてゆく。宇宙人は後ろを振り向き、溜まった朱印帳を毛筆テーブルへ送り、そのまま墨書書き立てほやほやの朱印帳を持ち場に運び、朱印を押し、懐紙を挟んで呼出しに渡す。この繰り返しが切れ目なく延々と続く。桜を眺めるヒマなどありはしない。
 毛筆担当はマックスの12人態勢。朱印係は4人。窓口2人。呼出し1人。ほぼ助勤(バイト)のみで回している。背後の窓口では紙幣が無造作に木箱に差し込まれては溢れている。客への応対で手元を見ている暇がないのだ。ご朱印グッズは品数が限られているし、値段も端数が出ないので暗算しやすいが、学生バイトの息つく間もない会計処理能力に舌を巻く宇宙人。場所柄キャッシュレスにはできないのだな。外国人も雇えないし。いや雇わなくて正解だ。日本人くらいだよ、こんなに札束に執着がなく、暗算でお釣りが出せるのは。外国に行くとこんな簡単な計算もわざわざ計算機を使うのかよ鈍すぎ、というシーンに遭遇するが、あれは暗算できないからなのだよ。外国人労働者が低賃金だとか待遇改善しろとか批判されているが、こんなに能力の高い日本の一般学生が外国人と同じ待遇である方がおかしいのである。

 ご朱印は途切れることなく工場内を回っている。手書きの記録表には、ここ数日の売上枚数が記載されている。昨日の土曜は2000超えで、今日は1500に迫る勢いだ。あれ、この数字は墨書朱印か、サクラ朱印か、それともその合計か。激務のあまりだんだん思考が鈍くなる宇宙人。朱印は曲がって押してはいけないので集中力がいる。特にお客のマイ朱印帳は失敗が許されない。あ、ちょっとズレちゃった。青ざめる宇宙人。職員を読んで可否を伺う。可と言われて安堵する宇宙人。すると向かいの学生もズレた。青ざめる学生。職員は顔をしかめる。不可と出た。ひええ、どうするのかな。やりとりから察するに、ページを切り取って書き直すのかも。修正は別の部屋でやっている模様。時間が掛かっている。奥から小袋に入ったお菓子が一つ出て来た。お詫びの品として呼出し係に渡される。へえそうなんだ。
 朱印押印に集中する宇宙人。朱印帳は紙を蛇腹に折り畳んでいるので、ページによっては紙が反る。反ったまま押印するからズレるのだ。反らないように工夫する宇宙人。懐紙を挟んで閉じると、朱印帳の表紙が現れる。実に多種多様な表紙である。布製もあれば木製もある。大きさも中の紙質もまちまちだ。大切なコレクションを収める記念品だからいろいろ趣向を凝らして提供されるのだな。

 すると毛筆担当から「乾かし注意です」と声が掛かった。見ると手渡された墨書が濡れて光っている。あれ、そういえば今まで墨書を全然乾かさないまま朱印を押してきたが、この朱印帳に限ってびっしょりなのはなぜ? するとベテラン学生がウンチクをくれた。結論から言ってこの紙は安物だ。朱印帳に相応しい和紙ならすぐ乾くのだが、乾かないのは安い和紙か、洋紙だからである。近年この種の朱印帳が増えている。朱印帳の表紙をアニメキャラなどとタイアップする柄物が増え、上乗せされるデザイン料を補うために中の紙質を下げるのだ。見れば、その乾かない朱印帳の表紙はどこかで見覚えのあるおしゃれな図柄である。なるほど、と得心して眉をしかめる宇宙人。このせいでご朱印に汚れがついては本末転倒ではないか。使用者の便宜を考えず売りさばくことばかり考えているからかような商品が出回るのだ。
 濡れた墨書を乾かしておくスペースさえない狭い工場なのに、迷惑な。すると学生がウチワを指さす。それで扇いで乾かせというわけだ。今日は晴れて暑いが、朱印を求める客の熱気も窓口を通じて工場内の温度を上げている。てっきり助勤者が一息入れて涼めるように置いてあるウチワと思っていたが、そうではなく朱印帳を扇ぐためのものであった。あう。今日は朝から非日常が満載なのだ。
 するとまたしても「乾かし注意」の声が飛んだ。なんじゃこの朱印帳は。中の紙が金色ではないか。雲母風の金刷りが豪華な特別仕様の朱印帳。いかにも高そうで見栄えはするが、墨を入れて閉じるという用途を全く考慮していない。所有者からは「以前墨書も朱印も乾かないうちに閉じて失敗した。くれぐれも乾燥に配慮し、返却時もページを開いたまま返すように」との要望が寄せられている。窓口で受けた要望が口頭で毛筆テーブルへ告げられ、墨書者が今度は朱印担当に向けて復唱し、ウチワで長く扇いでから朱印押印し、再び扇ぎながら同じ文言が呼出し係に復唱される。工場は狭いのでこんなに何度も復唱しなくても全員聞こえておるよ。窓口の外にも丸聞こえだ。情報開示が無駄に進んだ工場なのだった。

 優秀な窓口担当が英語で対応している。なんと、外国人まで朱印が欲しいのか。朱印が一体なんなのか判って求めているのかね。これもアニメのご利益か。確か巫女さんキャラのアニメがあった気がする。それとも全く別のソースから知ったのか? サクラの刺繍のご朱印は可愛いから記念のお土産として欲しいのは判らないでもないが、驚くべきはマイ朱印帳を持ってきている外国人だ。一体ここは何軒目なのだ。中を覗いてみると、明治神宮やら伊勢神宮やら大手どころのご朱印が並んでいる。どうやら正しい朱印帳の使い方を知っているようだ。おそるべし、外国人。おそるべし、日本文化。甦る、日本経済。ちなみに墨書の朱印は500円、刺繍の朱印は1000円である。日本のデフレ脱却も近いのだ。
 朱印を求める行列の向こうは、本殿参拝に臨む参拝客の太い列でびっしりだ。あのうちの何割がこちらの行列にも並ぶのかな。空恐ろしくなる宇宙人。でも宇宙人の朱印奉仕は90分で済んだ。朝から8時間勤めている人に比べれば随分ラクなのだ。窓口担当なんてもうフラフラだよ。毛筆担当も、一枚書く毎に手元のメモ紙に「正の字」を入れて数を記録しているが、その正の字がずらりと並んだ下の方の字は、幽霊みたいにナナメに歪んでいる。疲弊の過程と度合いが文字に現れていてコワイのだ。
 定時の5時になったので一斉に引き上げる助勤たち。しかし行列はまだまだ続いており、閉門の6時まで続くことになる。袴を履いた神職と巫女さんが助勤と交代するのを尻目に、宇宙人も撤収する。非日常の思い出深い奉仕週刊であった。

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