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三輪車から潜水艦まで

 重度の坐骨神経痛に悩まされている宇宙人は、毎年駅伝を見るくらいしかない寝正月によって腰痛が悪化するであろうことを懸念して、思い切って正月の短期バイトに出掛けた。知人の神職が靖国神社の正月助勤者を募集しているというので、大晦日から三が日の四日間を立ち仕事させてもらう宇宙人。お蔭で新年から腰の調子がよろしい。大晦日から元日朝までの徹夜はさすがに身にこたえたが、朝食はおせちが出たし、神殿は厳かだし、境内は涼しく爽やかだし、新年早々神社で不愉快をする輩はいないし、清々しく新年を迎えることができた。靖国神社は境内に能舞台があって、獅子舞や能の仕舞、烏帽子装束による弓矢儀式など珍しい催し物をやっていた。琵琶も他流の錦心流グループがここで時々演奏会をしているという。宇宙人も井草八幡宮では能の仕舞会に何度も参加してきたが、コロナで中止となったまま現在に至る。靖国神社の舞台もいいね。

 宇宙人の担当は正式参拝を終えた参拝客にお守りやお札の入った手提げ袋を手渡す係で、なんてこともない簡単な仕事だが、やはりAIや機械には任せられない仕事なのであった。キャッシュレスのお賽銭箱を設置したという神社のニュースも聞いてはいるが、神職が肉声で祝詞を上げる祈祷を受けにくる人たちに、ロボットやアンドロイドがお札を手渡すのはやはり違和感がある。肉声の祈祷に何らかの波動や不可視の作用があるように、生きた人間による手渡しにも機械には出せない不可視の作用があるのだろう。生身の人間の丁寧なお辞儀とか物静かな声掛けには、乱暴な仕草や粗野な口調とは真逆の見えない効能があるに違いない。
 とはいえ宗教法人の内幕は様々な意味で非日常世界であった。その詳細は土星裏の閲覧者が好物とする刺激話であろうが、世話になった職場に配慮して公開は差し控えよう。代わりに「土星の裏側note」の有料記事範囲に設定して、どうしても読みたい方限定のマル秘情報扱いにしようと思う。こういう時にnoteは便利なのだ。クリックひとつで「以下は有料記事」に設定できる。『算命学余話』と違って日頃のお役立ち知識として認識されるかどうか疑問だが、試しにやってみよう。お楽しみに。

 ところで差し障りのない話なら公開しても構うまい。周知の通り戦没者を祀る靖国神社のご利益といえば何と言っても「国家安泰」であり、初詣を見込んでこの文言を記したお札は予め多数用意している。これに「家内安全」が抱き合わせになったものも多数ある。しかし最も需要のあるお札は「厄除け」であり、次が「心願成就」なので、これも多数準備。神社一般の祈念内容としては普通だ。それに対し少ないが準備はしているのが「交通安全」。自家用車や自転車の安全運転から、戦闘機、装甲車、潜水艦の安全運航までをカバーする靖国の神々。日本の神様はじつに手が長い。更に少ないが準備しているのが「合格」。受験生が求めていくのだよ。同じ神社なら原宿の東郷神社が「勝守り」を出しているからそっちへ行った方が…と思ったが、靖国の神々は何も言わずに受け付けてくれるのだった。そして極めつけが「商売繫盛」のお札。なぜ靖国で? さすがにこれは専門外なので準備されたお札はゼロである。しかしそこは日本の神様。できないとは言わない。「空欄」札を捧げ持って裏方へ走る宇宙人。空欄部分に「商売繫盛」を毛筆で書いてもらって参拝客に手渡す宇宙人。いやはや神様。万能すぎますな。
 神道のこの適用範囲の広さ、もう境界がどこにも見当たらないくらい膨大な広さを、外国人はきっと理解できまい。冬休みに読んだ高野秀行著『トルコ怪獣記』には以下の記述があった。

――(科学ライターの)本多さんは、「ぼくは神に唾吐く男」と自称するように宗教嫌いを自認している。宗教と言っても、対象はもっぱらキリスト教だ。それはクリスチャンが「聖書に登場しない動物は認めない」「神がつくった人間がいちばんえらい」というスタンスを意識的・無意識的にとっていて、世界中にその考えが広まっているからだという。本多さんは「人間がなんでも一番えらいという考えが地球を滅ぼそうとしている。そんな人類のおごりを吹き飛ばすためにもUMAが見つかって欲しい」と常々語っている。――

 いいね。こういう人間至上主義の考えは西洋のものであって、日本人にはもともとないものだ。なぜなら神道を見よ、このカバーの広さだぞ。人間も動物も植物も妖怪も、更には大事に使われた道具という無機物まで、神道ではあまねく神様になれる資格があるのである。究極の平等とはこのことなのだ。なぜ西洋の「平等」の前には「男女」だの「年齢」だの「人種」だの「宗教」などがいちいち来るのだよ。神社の交通安全が幼児用三輪車から潜水艦まで、ハンドルの付く物なら全て「乗り物」として分け隔てなく平等に扱ってくれる神道を見習え、なのだ。
 同じく冬休みの図書である山極寿一×鈴木俊貴『動物たちは何をしゃべっているのか?』にも、従来の動物学研究が西洋発祥だったばかりに、西洋の人間至上主義の視点からの解釈が前提となって、長らく研究の進歩を妨げてきたという話が出てくる。研究者である山極先生は「自分たちもそういう視点で長らくやってきた」と自戒されているが、西洋の研究書を読み漁っているわけではない一般的な日本人のアタマには、こうした人間至上主義はまだ刷り込まれていないと思う。だから靖国神社で交通安全や商売繫盛を平気で祈念できるのだ。
 なお『トルコ怪獣記』には以下のような真理を突いたエピソードが記されていたので、ついでに引用しよう。

――(クルド人であるガイドのエンギンが、日本で知られていないクルド人地域の実生活上の不満や、ハイテクによる意外な生活向上の実感を語ったシーンで)私はエンギンの話を聞くうちに、この日の凝りがほぐれ、あれだけカチカチだった頭と体が一気に癒されていくのを感じた。まるで生ビールをグイッとやったように。決して楽しい話じゃないのにどうして? それはエンギンが全身全霊を込めて話をしているからだ。今日は一日だけで何十人という数の人に会って話を聞いた。しかし彼らの話には全然臨場感がなかった。…話にてんで熱がこもっていない。こういう話はすごくくたびれる。…私の頭と体がカチカチになっていたのは、映像を見過ぎただけではない。そういう味のない話をえんえんと聞かされた疲れがたまっていたというのも大きい。――

 聞いたか皆の衆。これは上述のAIと生身の人間との違いの話なのだ。ひいては「いいね」を得たいがための、或いは再生回数を稼いで広告料をせしめたいがための文章や動画が溢れるネット情報の虚しさの話なのだ。そして我々が日々口にしている言葉や話の中身への警告なのだ。表現ツールの充実した現代人は一体どれほど「本当に伝えたいこと」を表現しているのか。「いいね」や金儲けのためではなく、そんなものを得られなくても「これが私の得た真実だ。これを誰かに伝えなければと心底思う」ような誠意ある話を語る人に対し、我々は自然と耳を傾け、「真実が聞けた」ことに喜びと充実を覚えているのではないのか。
 誠意のこもった中身が存在しない空っぽな話を聞かされるのは苦痛なのだよ! 疲れるのだよ! これが現代人のストレスの大部分ではないのかね。「土星の裏側」の記事は脳ミソへのキック効果を期待して読んでいる閲覧者が多いが、たとえミドリのカメムシを食った話であろうと、宇宙人は真実を語っている。だから読んでも疲れず、脳ミソキック効果が発揮され、読者もそれを実感しているのではないのか。どうですか地球の皆さん、土星の裏側を読んでも疲れていないよね。まあ疲れる人は最初から閲覧しないだろうけど。「土星の裏側note」を始めたのも、広告なしで読めるという利点に注目したからだ。広告ってストレスになるよねえ。

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