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同じ時代と世代を異なる立場で

 「土星の裏側note」を併設して5カ月。当初ロシア文学関連の記事に見知らぬ読者が集まっていたが、最近は宇宙人節が吠える記事が人気である。本設の「土星の裏側」同様、何を書こうとやっぱりこういう読者層に落ち着くのだな。皆さんもたまには自身で吠えてますか。宇宙人の遠吠えで気が晴れるのならそれでもいいが、あんまり黙ってばかりだと体に良くないですぞ。それどころか「見て見ぬふり」が嵩じると、いつの間にか「目で見たものを脳が見なかったことにすり替える」現象へと発展し、社会全体に醜悪な事態を招くことになる。こういう内容で人間の性(さが、と読んでくれよ)を批判する小説を読んだ。
 逢坂冬馬著『歌われなかった海賊へ』。この作家は『同志少女よ、敵を撃て』でブレイクしたことで有名だが、ロシア文学愛好家の宇宙人は奈倉有里氏の実弟として注目している。奈倉氏には『夕暮れに夜明けの歌を』でいたく感動させられた。ロシア文学者である彼女には元よりロシアの感性や思想がベースに入っているから、宇宙人の心の琴線が共鳴しやすいのは当然であるが、では弟の方はどうか。

 『海賊へ』を読む限りでは、舞台がドイツということもありロシアはあまり感じなかったが、単なる歴史小説に留まらず思想性を盛り込んでいるところは、やはり姉と通じるものがあった。人間の愚かしい性をどうやって克服するか、という問題提起が主題である。しかし主人公らは高校生の年齢で、若者らしい無鉄砲や冒険を軸に話が進むため、やや未熟で粗削りな人物像を描かざるを得ず、そこが残念なところであった。
 全く同じ時代のドイツを舞台に高校世代の少年らが活躍する、佐藤亜紀の小説『スウィングしなけりゃ意味がない』と比較すると面白い。というのも『海賊へ』では、当時ドイツで敵性音楽として禁止されていたジャズを聴くことによって反体制の意思を示す若者たちを、「ギムナジウムに通う金持ちで、ナチが気に入らないって連中は、ジャズとかそういうレコードを聴いて騒いでいるんじゃないの」と一蹴していたからだ。
 宇宙人は圧倒的な文章力と毒の強い諧謔を誇る佐藤亜紀が好きで、全作品を読了している。『スウィング』もまた傑作で、歴史小説としてナチ時代のドイツ社会をよく描写している一方、ガチガチのクラシック畑のピアニストが師匠と共にジャズに釘付けになるくだりや、違法なジャズのレコードの海賊版で儲けようとする小賢しい主人公を、読者が思わず応援したくなる、イデオロギーや暗い世相を嗤うリアルな人間像が光る作品なのだ。そのジャズ系少年らを全否定する一文が『海賊へ』にあったので、両者の比較は面白いと思った。
 文章力も人間内面の屈折具合も、佐藤亜紀の方が圧倒的に上だが、世間は逢坂氏のような清々しさや倫理性の方が受け入れやすいのかもしれない。いずれにしても、閉塞したナチス・ドイツにおける反抗期の少年少女が、かたや「富裕層」、かたや「社会の被迫害層」という足場でそれぞれ社会に立ち向かう姿を追いながら、当時という歴史と現代にもつながる人類の弱点を学べる良書なので、両方読んでみることをお勧めする。今回は逢坂氏を応援したいので、『海賊へ』の宇宙人の注目ポイントをいくつか掲げておこう。

――誰にだって、美しい思い出を持つ、権利というものがある。――

――そういうの、嫌いだ。調教師が犬を躾けるような考え方っていうのは。そういう考え方をしているのは、自分が他人を正しい方向へ持って行けると思い上がった連中だ。――

――およそ世の常として、大人に公認され、推奨される若者像というものは、それ故に、若者たち自身の目には何の魅力もないものとして映り、反発を招き、推奨されない若者へと接近させるのであった。…奪われた理想、禁じられた自己実現だからこそ、彼らを魅了したのだった。――

――筋を違えたまま与えられる理解のまなざしほど、ぬるぬるして気持ち悪いものはない。私はあなたを分かっているよ、と頭上から注がれる声は、優しさに満ちているけれど、だからこそ反吐が出る。――

――人間は、自分が無知という名の安全圏に留まるために、どれほどの労力を費やすことができるのだろうか。――

――少なからぬ人物が彼らを見殺しにしたと本心では気付きつつも、それを直視しないことによって、皆がその自尊心を守るという発想である。そして彼らが守ろうとした「郷土の誇り」は、世代の交代により、住民が文字通りの「知らない」人ばかりになることで完全なものとなる。――

――少数派である人が思うままに生きていけるかどうかによって、社会がどの程度上等かが分かる――

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