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こころのうごき10月満月

10月10日。
10という數は、
終わりと始まり。
有と無。
タロットで10は「運命の輪」。
その節目の日に満月ですね。
満月もまさしく終わりと始まり。

さて、こころは
この満月図によって
どんなことに作用されて
動くのか。

連休も終わりの日ということも
あるからでしょうか?

少し前ぐらいから、
何かで氣を紛らすような
雰囲気が薄れて、
改めてちゃんと
地に足つけて現実を
そして内面の変化を
見ようとするように
そんな働きが
流れてきています。

やることやってから
決着つけてから
遊びなさいよ
と言われているかのようです。

社会の変化の中で
こころは大なり小なり
少しづつ傷ついている。

だけど泣いていても
愚痴を言っても
しょうがない。
みんな辛くても
我慢しているんだ。
前に進まないと!と
とりあえず
そこには蓋をして、
顔を上げて
やるべきことを
淡々とやってきた。
それで氣を紛らわしてきた
とも言えなくはない。

知らぬ間に
そのことが
少しづつ重なり
いっぱいになってきて
ジワジワと蓋の下から
滲み出てくる。

本当に大丈夫?
それでいいん?

うん、大丈夫やで。
何とかなるわー

と内側の声にも嘘をつく。

見た目には
大丈夫かもしれない。
嘘もつき続ければ
本当になるし。

でもね、
たまには蓋を開けて
掻き出さないと
カラダがそのうち
悲鳴をあげるんちゃう?

そうならないように
思いきって
ぶつけてみたらどう?
そういうことが
必要なんちゃう?と

月が、星が
見えない働きが
様々なものに姿を変えて
教えてくれている。

つい先日
こんなことがありました。

感情の出し方が
おかしくなっていることに
ある方との会話の中で
氣がついたんですね。

あ、これでは駄目だと
なった瞬間から涙が
止まらなくなりました。

泣き出すと
なんで涙が出るんやろうと
頭の方は慌てて
分析を始めるんですが

ほんまは
そんなことは
余計な事で
いらんのやと、

その後
氣がついた出来事が
もう一つありました。

それは
全身全霊で
カラダを震わせて泣き叫ぶ
赤ちゃんと遭遇した時のこと。

周りの大人は
どうしたの?
どうしたの?と
何とかご機嫌直して欲しいと
オロオロする。
結局、ものすごい勢いで
大泣きしていたその子は
何事もなかったように
ケロッと自然に泣き止んだ。

その姿をみて

ああ、そうか。と
忘れていたことに
氣づかされる。

泣きたいから
泣くのではなく

ただ泣くこと。

当たり前だけど
意味など考えず
ただ泣く。

理由や意味をつけても
何にもならない。

「理由つけて誰が喜ぶん?」

そのまま
泣いていた赤ちゃんに
そう問いかけられた
氣がいたしました。

「泣きたいと思ってから
 泣く訳ではない」

なんかわからんでも
泣いたり、笑ったり。
怒ったり、叫んだり。

大人はできへんて
思ってるやろうけど
ほんまにそうかな〜?
その後どうなるかを
いちいち心配するなんて
そんな余裕あるん?

うーん。
ほんまに悲しかったら
そんなこと考えへんな。
確かにそんな余裕ない。

ないです。

泣く時は泣く。
笑う時は笑う。

以上。

そんなことを
思い起こさせてくれる
満月図なのでした。

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