ドレミファソファミレド
ボクはピアノを弾く男がカッコいいと思っている。「猫踏んじゃった」は別として、もし私が女であれば何気に流暢なピアノを奏でる男を発見した日にゃ、それはもう瞳が「ベルサイユの薔薇」状態だろう。間違いない。そしてボクはピアノを少しだけ弾くことができるのだ。
そう、この点だけは自分の頭を撫でてあげたいと思う。実は小学校に上がった頃、母親に同じ団地のピアノ教室へ通わされた。当時は近所の友達と泥遊びか昆虫採集をするのが生きていく目的だったので、ピアノ教室の時間がたまらなくイヤだった。母親に反旗をひるがえす考えなど持ち合わせの無いアホなガキだったボクは、文句も言わず週に何日か通うことになる。
半年ほど経ったある日、いつものように稽古を終えて帰宅すると、母親に顔をまじまじと覗き込まれ「ちゃんと稽古してるの?」と尋ねられたので「ほい」と頷いたが、母親は納得せず「じゃ、これは?」と言いながらボクの額を指さした。「?」と思っていると「鏡で自分の顔を見ておいで!」と少し語気を荒げて言うので、鏡を覗くと、見事に鍵盤の形をした寝跡がデコチンに残っていた。
今でも不思議なのだが、いったいどうすればピアノの先生とマンツーマンでの空間で居眠りすることが出来たのであろうか?しかも鍵盤を枕替わりに。
この出来事の後、暫くしてピアノ教室にいつのまにか現れた母親が、先生と何かを相談をしていた記憶がある。その記憶の風景は白と黒とをうっすら見ながら少し甘い鍵盤の香りがしていた。この日も寝ていたようである。数日後、あの素晴らしい生き甲斐の時間がまた戻ってきた。
***
こんなアホガキでも義務教育と呼ぶ社会の恩恵も受けて中学生になり、友達三人とフォークグループを組んで楽しんでいた頃、その中の一人が持っていたフォーク専門誌に奇妙な物を発見し驚愕する。それは別綴(付録)になったピアノのコードタブ符だった。
恥ずかしい話だが、それまでCとかAとかのコード名はギターの場合だけだと思っていたボクにとって、それはまさに魔法の杖を手に入れたような付録に感じた。さっそくすべてのコードを書き写そうと、上目遣いで紙と鉛筆を懇願するボクに友達は「あげるよ」と言ってくれた。
太っ腹なヤツだ。しかし一冊まるまる貰うのは気が引けると、センター綴じの付録部分だけを丁寧にホッチキスをはずして持ち帰った。家に帰ると埃のかぶったアップライトのピアノに向かい、タブ符を目で追いながら指を鍵盤に置いてみる。まずは「C」…「おー」と感嘆符が頭の上に現れる。つづいて「G」…「オー」感嘆符ふたつ。続けざまに「Am」「F」…もう頭の上の感嘆符は押すな押すなの小躍り状態だ。「C/G/Am/F」簡単な循環コードではあるが、間違いなくあの名曲「レット・イット・ビー」のイントロである。
ピアノを習ったのはおよそ一年にも満たないが身体はなんとなく覚えているもので、さほどの時間もかからずその日のうちに、「れりびーれりびー」と一人で気分は大合唱である。この日の夜からピアノを弾くのが楽しみで眠れなかったほどだ。
それから乾いたスポンジのごとく上達し、左伴奏/右旋律まであっという間だった。簡単な足し算でさえままならない町内が誇る運動音痴アホ人間でも、興味を持つ持たないでは、これほどの集中力が違うものかと、自分に対して感じ入ったりした。
しばらくすると近所で「音大を目指している」などと、もっぱらの評判になっている事を母親が小耳に挟んできたと言うが、こればっかりは今でも信じちゃいない。
【つづく】
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