Endless “Endless SHOCK” ~ Endless SHOCK 2018 @帝国劇場

ひさびさのライバルキャス変、しかも中山優馬さんとあれば、行かねばなるまいよ。二年ぶりのEndless SHOCK。

しかし年々SHOCKが苦手になるな……と思いながら一幕をみていた。わたしはEndless SHOCKには未来がないと思っていて、それはなんでかっていうと、Endless SHOCKがあまりにも堂本光一のための作品すぎて、ほかの誰にも引き継げないから。堂本光一のコウイチ以外のEndless SHOCKはあり得ない。おそらくこれに異論のある人は少なかろう。

わたしはかろうじてジャニヲタなので、光一さんがEndless SHOCKを続けるにあたりそこにどういう事情が絡んでいるかというのは、まあなんとなくは把握しているつもりだ。1600回達成おめでとうございます。尋常じゃないし常人にできることじゃないよね。クオリティを落とすことなく、トラブルだってないわけじゃないのに、何年も何年も同じショーをブラッシュアップしながら続けている光一さんは本当にすごいと思う。

思う、けど。

わたしはSHOCKの唯一の弱点はこの続いていることだと思う。続ける。その影には何があるか。そう、記録ですよね。

毎年ブラッシュアップするたび、もっとガラッと変えたほうが良くなるかも、タイトルを一新するぐらいに新しく、と思うかもしれない。でもそうしたら同一演目単独主演じゃなくなってしまうのでは? 同一演目の基準はよく知らないけど、あんまり大きく内容を刷新することってもしかしたらできないんじゃないかと。

前にちゃんとも蘭についてツイッターで書いたときに、お芝居の“役”は「役割=ロール」と「人格=キャラクター」にわけられるって書いたけど、光一さん、SHOCKの主演というロールについては別にいくつになっても問題なくお務めになられると思うのだが、コウイチというキャラクターの人格については、さすがにちょっと無理が出てきている気がする。コウイチは演じている“人格”だけど堂本光一は生身の人間なので、年だって取るし彼を取り巻く環境だって変わる。だけど劇中の“コウイチ”がそれに追いついていない。

ブロードウェイを夢見てオフブロードウェイで踊る若き“原石”。……いやいやいや。もうゴリゴリに磨かれてますやろ。キラッキラやろ。いえいえ役ですから、あくまで作中のキャラクターですから! ……と言い張れない事情もある。それがジャニーズのスター制の魅力であり窮屈さだ。

ぶっちゃけ今Endless SHOCKを観に来る人で堂本光一が誰なのか知らないで来る人いないでしょ。なんならEndless SHOCKを光一さんがもう何年も何年も続けてることだって、知らないで観に来る人なんかほぼいないでしょう。

コウイチとライバルに与えられたロールは、幼なじみで一緒に夢に向かって走るスター同士だ。でもキャラクターは、1600回の公演をこなすモンスター座長と、15歳も年下の後輩だ。いやいやいや、きついでしょ。無理あるでしょ。ロールにも齟齬出てくるでしょ。そこはなんかもうちょっと調整しようぜ?……と思うのだけど、いかんせんほら、記録が。

SMGO、何があってもショーは続けなければならない。劇中のコウイチは観客のためと言うけれど、でもそれはもう、「続けることが目的」のショーではないのか。高みを目指すあまり周りを傷つけ、ショーを私物化(「周りが見えなくなったらおしまいよ」、SHOCKで最も有名なブーメラン台詞である)し、ついには自分が命を落としたコウイチと、いびつなショーの上演回数を重ねる光一さんがどうしても重なる。

ヤラはコウイチの影、ウチはコウイチと鏡合わせとして、対等な立場だったと思う。コウイチもそれを認めているような関係性だったはず(知らんけど)。でもユウマは明らかに違う。

普通年下のライバルって主人公が過去の自分を重ねたりするものなんだけど、別にコウイチにそういう描写は一切ない。コウイチ自体がまだ若い設定だからね!(笑)そのへんのロールとキャラクターの噛み合わなさで、一幕はずっとしんどい気持ちで観ていた。そういう脚本なんだって知ってて観てるのに、そんなことユウマに言ったってどうしようもないじゃん、かわいそうじゃん、と思っちゃうのだ。

もうね、HIGHERとか見てられないのよ正直。なんて辛そうな顔するんだ!って。コシオカに来い!って言われても動けなくて、目すら逸らしてしまうユウマをみてたら本当に辛くて辛くて、おじさんちょっと泣いちゃったよ。すごい顔だったなーあれ。中山優馬さんすごい。

そもそも“コウイチ”は決して人格者としては描かれていない。「挑発した」とか「対応できなかったのは俺の方だ」とかいうけどあそこで判断ミスってるの明らかにコウイチだし、以前は「そんなことするライバルもライバルだわ」と思ってたけども~~~~今回は10:0でコウイチが悪いでしょ!どうみても!w あそこまでして「続けること」を正義とするのは、ショーの私物化であり、もはや「観客の為に続ける」んじゃなくて「続けるために続ける」の域だ。ざっくり言っちゃうと、くだらない意地だ。

だって我々は知ってる。地震とかセットが壊れるとか、誰も悪くない理由でショーって本当は中止になるってこと、ほかならぬSHOCKを通じて知っている。

2幕、ライバルがコウイチに「もう一度一緒に」って言うのって、以前はお互いの贖罪の意味合いが強かったように思うんだけど、今回のユウマに関してはその前の告白のシーンでユウマが初めてコウイチの気持ちに触れた感があって。今まで何度も一緒にステージに立っていたけど、はじめて本当の意味で一緒にステージに立った瞬間のようにも思えた。最初で最後だけどね。

いつも完璧で何をやっても適わない化け物みたいだったコウイチにも、意地とかプライドとか焦りとか、自分と同じような感情があったんだって、コウイチもただの人だったんだって気付いたから、ユウマはコウイチを許せた。それはある種のエゴであるこの作品に引っ張り込む光一さんを、この前人未到の公演をなんとか乗り切ろうとゆまきゅん自身がもがきながら、同じステージに立つ者同士として受け入れた瞬間なのかもしれぬな……などと、泣きながら夜の海をみながら考えました。

リカやカンパニーの皆や客席に向けてコンティニューを歌うコウイチを、一歩下がって後ろから見ているユウマ。その涙をたたえた微笑みにはでっかく「許す!!!!!!!!!」って書いてたもんね。すごい顔だったなーあれも。中山優馬さんすごい。キャス変の妙とはよくいったもの。

べつにSHOCK大好き芸人なわけでもないのにSHOCKってなんでごちゃごちゃ言いたくなるんだろう。髑髏城おじさんは髑髏城に戻ります。今年のSHOCKおもしろかった。ありがとうございました。

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