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私にとってのダンディ


それは私自身である。
北海道江別市と言う決して有名でもなければきらびやかな特徴を持った街でもない。そんな何の変哲もない場所で生まれたからこそ、今や世界でも有数の都市である東京に対して人一倍の憧れと失望を持ってきた。


生まれた家庭も決して裕福ではなく父親が高校教師、母親は保育士と言う教育一家に生まれ幼児期は厳しい家族に頭を悩ませる時期もあった。
父型の一家は農家の出身で、無骨で不器用ながらも非常にマメに働きモラルを守る守り正義を貫く価値観を持っている。
母方の一家はそれと対照的な側面を持っている。北海道でも有数の商家の出身で、冒険心が強く柔軟性に長け数々の変化をくぐり抜けてきた独特のしなやかさを持っている。
そんな背景を持った私の家では、典型的な父系家族であり、どんな物事を決めるにしても決定権は父親にあった。つまり何事に対してもアウトローな事は認められず常にまっとうに生きることをよしとされてきた。


私は3人の姉兄を持つが、その全員が公立の教育を受けて育ってきた。そして特筆すべき事は姉弟全員がある2つの価値観を持っていると言うことである。
1つは自力で生きること、もう一つは他人に迷惑を与えないことである。
その証拠として姉は大学受験時、希望の大学への進学に失敗した際に、両親から再受験を勧められたのにもかかわらず1年間の私塾への入学を拒んだため公立の看護師専門学校に入学し看護師となる道を選んだのである。
2人の兄に関しても大学での奨学金を受け取るなど教育に関してはほとんど家庭への負担をかけなかった。


しかしここで私である。
ここまで徹底して子供に対する一環した教育を目指した父の方針に真っ向から反対しすべての教えの反面教師となる人生を歩んできた。
無論、生まれてからそうだったわけではなく3人の兄弟の行動や言動を見る中で、優秀な成績を文武両道で収めた姉兄への注目を自分へと移し、親に愛されるため、オリジナリティを求めた結果皮肉にも父親の方針に反対すると言う形をとってしまったのである。


その結果私は頼れる分野であれば人に頼り、時に依存し、また最も自らの欲望満たすことのできる方法を選び取り、他人に迷惑がかかろうと、自分が満足できる道が最も優れていると言う歪んだ価値観を持つようになった。
それは次第に家族と言う枠組みを超えあらゆる既存の体制に対して矛先を向ける態度となり、経済的・人間関係的なもの以外にも現れた。


そして表面上に析出したのがファッションである。これは、広義で言えば、生き方である。
そもそも私がスーツを着始めたのには2つの理由がある。1つはスーツのシンプルさそして美しさである。もう一つは大学という、自由がある種その本質を持つ機関において、ユニフォームと言う制限されたものを着ると言う反骨心。そして何かと一人ひとりの価値観を大切にするだの個性を尊重するだの言われている21世紀に対する嘲笑でもある。


しかし誤解して欲しくないのは私も一大人として、そういった行動主義的思考にとらわれていると言うことである。つまり性質として自分の中に標準的な装備として一般的な価値観を抱えていることを認めつつも姿勢としては反抗する態度を貫いているのである。


これが最もややこしい部分であり事実私の人生を生きにくくしている根源でもある。やや具体性に欠けた部分もあったかもしれないが、これが現状で説明できる、私にとってのダンディである。
常に反抗心を持って生きている。それは現在、ファッションに表れているかもしれないが自分の浴する環境が変わればまた反抗する矛先も変わるであろう。つまり私自身としてのダンディーは常にこのサイクルを繰り返す人生に他ならない。

その先に究極の独自性が見つかると信じているのである。

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