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別れ話の前には口紅を

ランジェリーブランドTiger Lily Tokyoさんから、Audrey(オードリー)シリーズにちなんで「あなたの好きなオードリー・ヘップバーンの作品や言葉について自由に書いてください」というテーマを今回いただいたとき、私は真っ先に『ティファニーで朝食を』について書きたいと思った。

早朝のティファニーのお店の前でクロワッサンをかじるオープニング、ベッドで眠るファニーなアイマスク姿、ギター片手にアパートの窓辺で「ムーン・リバー」を弾き語りする場面……。一瞬でいくつもの名シーンが思い浮かぶけれど、

"A girl can’t read that sort of thing without her lipstick."
「女は口紅なしでその手の手紙を読むわけにはいかないの。」

そうつぶやき、タクシーの中で婚約者からの別れの手紙を読む前に、震える手でオレンジがかったマットピンクのリップスティックをくちびるに塗る。このシーンが私はたまらなく好きだ。
このセリフをインスピレーションの起点として、私が日々感じている女性の美しさや装うことについて今回書いてみたいと思う。

鎧としての化粧やファッション

オードリー演じる主人公のホリーが婚約者からの婚約破棄の手紙を読む前に口紅を塗り直した明確な理由はわからないけれど、手紙を読んだら確実にダメージを受けることは目に見えているから、せめて美しい状態の自分をなんとか保ちたいという気持ちはよくわかる。

大学4年生の春、私は当時付き合っていた彼氏にフラれた。1年早く社会人になり、みるみるうちに遠い世界の住人になった彼が、電話で声を絞り出すように「別れたいです」と言ったことを今でもぼんやりと覚えている。
別れの気配は薄々感じていたけれど、いざ現実となると悲しくてお風呂の中で毎日泣いた。そして一応最後に会って話そうとなって、中目黒のスタバかどこかでお茶をした。そのとき私は新しい洋服を買って精一杯のおしゃれをしていった気がする。
可愛くおしゃれをした私を久しぶりに見て彼が後悔すればいいなという気持ちはもちろん多少はあったけれど、それよりは自分のためのおしゃれ、鎧としてのおしゃれだったと思う。みじめな私にならないための精一杯の強がり。

最近読んだ『明日、私は誰かのカノジョ』という漫画でも、登場する女の子たちがバチバチにメイクをする描写が何度か出てきて、その様子はまさに戦闘開始という感じ。女性にとってメイクをすることや思いっ切りおしゃれをすることは、スイッチを入れたり自分の心の中の一番繊細な部分を守ることと繋がっていると思う。

ファッションやメイクと同じく、下着もそうだと思う。誰かに見せるわけでなくても自分のお気に入りの、ちゃんとした下着を身につけていると不思議と自信につながる。自分にきちんと手をかけている、いい女になった気がする。逆に便利だからとブラキャミばかり着ているとやっぱりなんだかテンションが下がる。
女性は美しい鎧が必要な生き物だ。(もちろん性別問わず美しい鎧を身に纏う自由は誰にでもある)


美の基準は時代とともに

『ティファニーで朝食を』の主人公ホリー役は、当初マリリン・モンローが第一候補として挙がっていたという。“夜の女性”役は受けられないとマリリンが断り、最終的にオードリーが演じることになった。
もしマリリンがホリーを演じていたら、全く違った印象の作品になっていただろう。

大きな瞳、口角の上がったくちびる、太い眉、そしてスレンダーな体型。今の基準で考えるとオードリーは美人の代名詞だと思うけれど、痩せっぽっちで目の色も髪の毛の色も暗く、当時の美女(ブロンドヘアでグラマラスな体型など)のステレオタイプとはかけ離れていたという。だから美の基準なんて絶対ではない。

痩せていて、でも胸はあって、お尻は小さくて、目は大きく二重瞼で鼻筋が通っていて……。10代の頃からそういう美の基準に私もずっと縛られて、特に若い頃は無茶なダイエットをしたり、自分の顔のパーツに一喜一憂していた。
ここ数年少しずつ、世の中の美の多様性は広がってきてはいる。そうは言ってもツイッターを開けば整形手術の情報が溢れているのが現実だったりもする。それでも若い女の子たちがとてつもなく狭い“可愛いの基準”に自分を押し込めなくていいような世の中になるといいなと思う。

リップスティックという唯一無二の存在

もしタクシーで手紙を読むあのシーンで出てくるアイテムがリップスティックではなく、アイシャドウやファンデーションだったら? そこまで印象的な場面にはなっていなかったと思う。コスメの中で最も色気を感じる(と私は思う)リップスティックが小道具として使われたからこそ、あの名場面は生まれたはずだ。

コロナ禍でマスクが必須な今、朝メイクをしても口元に色がないと、どこか物足りなくて顔がぼやける。どうせマスクをするからリップクリームだけでいいやと思っていた時期もあったけれど、今は毎日メイクの仕上げに口紅を塗るようにしている。マスクの裏側に色移りするし、そもそも人前でマスクを外す場面なんてほとんどないけれど、やっぱり口紅を塗るとなんだか気分がいい。
ココシャネルはリップスティックの蓋を閉じるときのカチッという音にさえこだわったという。そういうエピソードひとつとってもリップスティックは私たちにとって特別な存在だ。
今日も私はマスクの裏にリップの跡を付けながら、早くマスクなしでリップメイクを思う存分楽しめる日が戻ってくることを待ち望んでいる。


心地よさと美しさは両立する?


ここ10年くらいで日本のファッションも急激にカジュアルになり、着心地がよくてラクな服装が主流になった。30代前半まで私はスニーカーを一足くらいしか持っていなくてほとんど毎日ヒールのある靴を履いていたけれど、今はほぼ毎日スニーカーやフラットシューズで、時代とともにずいぶんカジュアルになった。

ただ『ティファニーで朝食を』のオードリーの衣装、例えば背筋が伸びるような身体のラインに沿ったドレスや細いウエストを強調するベルト、ピンヒールの靴などを見ていると、緊張感から生まれる特有の美しさというものがやはり存在する。そういう意味でTiger Lily TokyoのAudreyのような、心地よさと美しさを両立したアイテムは貴重だと思う。
そういうものを選びながら、そしてたまには気合いを入れてハイヒールやタイトスカートを履いて、緊張感のある美しさも忘れないようにしたいと思っている。

このnote はランジェリーブランドTiger Lily Tokyoの「Audrey」をイメージして執筆致しました。
#私の好きなオードリー  で エピソードを募集しております。ぜひご参加ください。


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