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ペヤング

中学生の頃の夏休み、毎日お昼にペヤングを食べていたら、もう見るのも嫌になってしまった。

あれから10年…もう少し経てば20年経つことになるというのに、いまだにペヤングを食べたくないし、カップラーメンを週に2回でも食べると気持ち悪くなるようになった。

なにごとも過剰に摂取すると、嫌になる。

ここ数年の出来事の重なりで、人との付き合いが本当に嫌になってしまった。

時間の拘束、見る景色の共有、感情の共有。ただでさえ自分一人の時間を持てないのに、なぜ共有することで自分感情を、時間を薄めなければならないのか。

(人と共有することで、それらがより濃くなる論は他所でやってほしい)

そんなことを言ってる私の横を、パートナーと歩む人生を決めて、前へ前へと進む人たちがいる。

今でこそ「うへえ」と思うが、何十年後、身体や心が弱ってきたときに、今の選択を後悔するのか?と疑問に思う。そのときにならなければわからない。

私は少しお高いウィンナーが好きで、これを毎日食べていたら飽きるのか、嫌になるのかとこれまた疑問である。

結婚して、驚いたのがウィンナーの高さ。高いといえど、毎日買おうと思えないのは、ウィンナーの価格に衝撃を受けたあのときの記憶が残っているからなのか、それとも他諸々と同様に過剰摂取の果てに飽きてしまうことがこわいのか。

一人の時間を過剰摂取できるのは、私の人生まだまだ先なので、それまではたまに食べるウィンナー同様に美味で、贅沢な一人の時間を楽しみたいと思う。


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