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忙しいは罪

久しぶりに文章を垂れ流したくなったので書く。
垂れ流します、ほんとに。読んでくださる方、いたらごめんなさい。

この1年、本当に忙しかった。
朝からバイト、お昼はこどもの送迎、夕方から自営業
夜10時ごろ帰ってきてほとんどの家事。明日の準備。
頑張ったよ。
私にできることは大体やったよ。
昼ご飯も結構な割合で食べてねーよ。

1日3つ予定が入るのは当たり前。
そして、毎日3つ以上予定が入りだしたときに気づいた。

「あ、なんか考えられない」と。
そして何か大事なことがするする指を通り抜けていく感覚があった。

目の前のことは一応こなしているのだ。
大切なことが抜けて謝罪する、という事態はなかった。
そりゃ「すいませーん!」みたいなことはあるけど。
「大事」に至ることはなかった。

でも大切なものは抜けていた気がする。
最後の何かが指から零れ落ちようとしている。今。

そして必死にこぼさないようにしている自分にも気づいた。
それをこぼしてしまうと終了だと思っていた自分がいる。
3年前から始まった大切なこと。それが今一旦終わろうとしている。

9月はお休みをもらった。
4つ役割があったとしたら、3つにしてもらった。
時間ができたら、分かった。

忙しいと、大切なものが守れないのだ。
私は100%で動こうとしてしまう上に、優先順位を付けて割り切ることが下手なのだ。
全力でやってるから仕事ができる、というわけではない。
そんなことわかってるけど割り切れない人もいるんです。
「世間で生きにくい人選手権」(仮)にエントリーしたい。

だが、今回ばかりは認めざるをえない。
「忙しい」のは罪。大切なものを見失ってなくしてしまう。
私はここに認めよう。敗北宣言。

そしてもう一つ。
しがみつく必要があることなんてほとんどないのだ。
家族ですら、一緒にいたいという一人一人の意思で一緒にいるのだ。
私が何かにしがみついたとしても、向こうの意思がそうでなければどうしようもない。
私は、必死に何かが変わらないようにしがみついていたのかもしれない。

つまりそう。
自分に魅力がないのだ。(これは書いていて、今気付いた。)
しがみついて離れないようにしなければならないほど、
向こうは私を選んではくれないのだ。

簡単なことだだった。
忙しくすればいいんじゃない。
全然違う。

誰かといたいから、これをしたいから、
そんな理由でみんな生きているのだ。

私も、そうなるべきだったのだ。

はーすっきりした。
noteありがとう。最高。

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