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私が小説を書く時に大切にしていること
私が小説を書く、またはブログやnoteを書いている一番の理由は、キックボクサー達による活躍の影響 とホラードキュメンタリーの苦労話をお聞きしたからです。
その時に個人的な話になりますが大事にしているこ とは自分自身や、旧友等と共に経験した恥や苦悩を忘れていないか確かめて等身大の主人公を設定していること。
葛藤がない人生がほぼなかった。
いや、現在進行形で続いています。
今まで信じて相談した方から「相手に余裕を持つには幸せになるしかない。」
と正論を言われ、意味をつけているのは自分なのですが当時つけた意味は
「じゃあそれがどうしても難しい方や無理な方は?」
に対するアンサーが存在しないことに疑問を感じ、 逆に不信感も生まれたことも。
そんな時にあるファイターが戦っていた選手の試合後を少し知る機会がありました。
それより前の執筆目標が
「自分の私小説を描こう」でした。
ただ、それだけだと3、4年前と変わらない内容になっているのではと悩みながら書いていくにつれて
「いいね…ブクマ…収益…」と段々辛くなり、最初に掲げていた
「自分自身の内容がマジョリティに評価される可能性は別かも。」
だったのが
「なんとかしてウケさせたい」
に変わってしまったことがより苦痛さを増してしまっていました。
その時に自分が影響を受けてきたファイター達の戦いから感じ取った気持ちと理論を整理する為に大会 感想を書いている内に、彼彼女らの戦いと自分が課題を乗り越えようと生きている現状に少しずつ重ね合わせていく。
その気持ちは他者の基準だけに委ねさせてしまっていいのか?
それが嫌だから自分自身の戦いも遺したいと考えていたのでは?
そうして書いていく度に、記憶に残った彼彼女らの 自ら身体に鞭を打ちリングに上がる姿と魂をかける 生き様を見守り、その生き様を今持てる自身の能力で綴ろうと誓っていくうちに
いいねやブクマ数に囚われすぎないようになっていった。
それでも渾身の自作小説が読まれないことすらままありました。
それでも…描けたことへの手応えはあった。
同時に人様の人生によって感動したことへの反応を こうして自分自身の欲求を満たすことに疑問が浮かぶようになる。
「よし!ファイター達を応援しよう!」
と考えを改めたつもりです。
今まで描けなかったイラストの練習もファイター達彼彼女らによって少しずつ描けるようになり、行き 詰まった時や家庭で何かある度に立ち返ることが出来た。
創作は色々と言われることがありますが、していなかったら分からなかったことの方が多くより応援していけるようになっていきました。
書く時の一番は立ち上がるファイター達。
何故なら、「独りよがりにならないように」とうちに潜む創作に対する想いとリンクするから。
今は仮説かもしれませんが、私が4、5年前の原点にプラス出来たのは格闘技観戦とホラードキュメンタ リーを制作しているスタッフ達の他者から分かりにくい葛藤が突き動かしてるから。
この発見の連続がまた新たな仮説を産むのかもしれません。
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