2024年7.24手記:「くもりぞらには毎年考えさせられる」
梅雨が明けたところもあるらしい(2024年7月24日現在)。
って今更かもしれない。
それでもまだまだ雨の攻撃は10月まで続くのかも。台風のことがあるから。
くもりぞらでも紫外線が強いと聞いてから高まっていた気分が歳を経るにつれてじょじょに下がっていく。
今日もまた必要のない比較の始まり。
前提として「みんな幸せそうにみえるだけ」であるかもしれないことを忘れていないかチェックしている。
仕事や趣味には必要がない感情だから。
答えはないし一概にはいえなくても誰かに優しく出来ていないこの世界を生きている以上確実にやりたくないしさけたい現実やデメリットは存在する。
そこで動けなくなるつらさを自分は今後書いていったほうがいいかもしれません。
「晴れない雨はない」ときれい事を何度も聞いた。
そこでベッド・インさんの「太陽を信じて」という曲に
「止まらない雨などないと 信じられる強さが欲しい」
とその前に嵐について歌っていて心に響く瞬間を経験できた。
ありがとう大怪獣モノ!
おかげでベッド・インさんを知ることが出来た。
興味関心はあった方がいい現実。
でもふってしまった雨には傘をさすかどうかの自由はある。
自分としてはなるべく傘をささなくていい雨なら
そこまで苦じゃない。
蒸し暑さで焼かれるくらいならくもりぞらで同じ気温を感じる方が覚悟ができる時間を作れそうだと考える。
それが生きづらさの要因なのだろうか。
地頭には限度がある。
もしかしたら説得力がないのが自分の問題点かもしれない。
苦手な思想にあらがっていたはずが諦めかけていて染まりかけているのかもしれない。
かもしれないばかり。
ぬぐった方が良さそうな先入観というリングでフリーガイ戦法をしながら答えを見つけていくのが現代倫理を生きる者かつプロレスラーでも格闘家でもない一般人の抵抗。
泥仕合でおたがい疲れるだけでもあがくだけあがいてやる。
そんな現実をまたつきつけられる。
つきつけられてはまたへこんで立ち上がる。
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