2024年7.23手記:パラレルワールドではなく実現可能な現実に(タイトルセンスなし)
起きてみる夢のきたなさに考えを改めた矢先だった。
生きることに感動も何もなかったはずなのに熱さでまいったのかもしれない。
本当にこの暑さは気力をうばう。
そしていつも気力があがるのは夏。
いくら熱い人でもそんな簡単に決めたりしないでしょうとは考える。
水と間違ってタオルを噛む幻覚を疲れか糖分の摂取で疲れたり純粋な水分補給がなかなか出来ない。
たしか格闘技でそんなことが起こるとお聞きしたことがあるのですが間違っていたら失礼。
「生きることは手に入れなければならない強制」の連続かと思っていたけれど全然違った。
自分が思ったよりものぐさなのが自分のなかにある広げたい可能性と無理だよと思っている経験の戦いが続きすぎているので無理だよ側サイドをなんとか元気づける必要がある。
生きることは捨てたくないものを捨てさせられる脳の命令でそれでしか進めない世界を用意されているような気がしてどこからどこまでが自分自身の意志と存在意義なのかを忘れたまま欲求のまま生きていたのかもしれないと思うとこわくなってくる。
でも本気で前に進めないと悩んでいた時にある方の発信で少し認識を変えようと5年前から頭のかたすみに入れてそのままなのはどこかで諦めていただけなのかもしれない。
いま自分に必要なのは「可能性をしんじる」こと。
たしかに今まで思うとおりにいかないことばかりあった。
でも今の自分は応援したい方々にもっとかこまれている。
昔もなかったわけじゃないけどいつも現実をつきつけられて簡単にあきらめただけだった。
これに関しては夏だけをいいわけにできない。
寒い日もここまで気がつくのに時間がかかっていることはnoteを見ればあきらか。
それにショックを受けるのも「これからチャレンジだ!」か「もう少し選択肢を考えるか感じてもいいかもしれない」と広げていくしかないか。
こんな啓発っぽいことからまずは卒業した方がいいのかもしれない。
パラレルワールドは実際に体験できない世界。
ほんとうは都合の良い世界がうらやましいだけで、一度生きてしまったらもう二度と手に入らないものばかりが増えていく実感がそれぞれ違うだけなのだと考える。
ザ・不毛。
生きるために何を喰らう?とあるうたの歌詞にはあった。
そして生きるために何を捨てるか?とも。
サバイバルはまだ終わらない。
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