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ゼアー・イズ・ノートルゥー・ピース・イン・ディス・ワールド
大抵現実が悪化した時に使われるのが
「こんなはずじゃなかった。」
「あのときああしてれば…」
「どうしてこうなった。」
「あんなこと(奴さえ)いなければ。」
それら全てを経験してしまうと、前向きだとか後ろ向きだとか一方向へ誘導する自称人生教習指導員と出会うこともある。
大抵都合の良い経験だけ記憶しているその手の人間は弱い割に吠え方が他者を巻き込むので男女年齢問わずきつい。
なぜか?
男女年齢問わず言われたからです。
詳しくは知りませんが、十七年ゼミも十七年経てば土から幼体へ、そして成虫へと変態を遂げる。
人間ではそういった変態をとげることはなく、よほどの経験がなければ動けない。
それは自分とてそうでした。
晴れぬ悪夢を夜と昼にみて、趣味を得られるまで時間がかかりました。
ただ死ぬだけの親との関わりも無駄にしないように苦手なリスニングを聞いていた。
その時点で誰も味方がいない時の生き方を模索していたのでしょう。
「真の安らぎはこの世になく」
タイトルの和訳です。
海外原語に興味を持ち始めたのは、選択肢が欲しいのでしょう。
心置きなく暮らせる住処で、進歩なく叫ぶだけの過去に出会った存在を嘲けり笑うために、海外の言語も喋れれば向こうは何もできないかもしれないと。
できるのならそれらの葛藤を創作でやりたいのですが倫理観を守らないと、倫理観を守ってないコミュニティを俯瞰できず、同じ穴のムジナになってしまう。
同等じゃ学び所か記憶にすら残らない。
人間関係とは分散が無理だと自分で実感しないと上手く生きていけないのかもしれません。
最早、過去にいた強欲の主である他者はいい素材でしかない。
使いたくはないのですが幸せを装っている人しかないからわかりやすすぎて張り合いがない。
見定めておくためには、こちらも負荷をかける必要はあるかもしれません。
それならフェアですし、こちらも悩みが減る。
それは報われるためでも、ポジティブやネガティブに捉われるためでもない。
自分が見据えているのは希望です。
wi-fiぐらいあると助ける、分かりやすい希望ではないからあまり深掘りしなくてすむ。
この世が地獄だと実感してなおも、希望へ向かうのは今までになかった変化かもしれません。
今まで歩んだ人生と描き続けたキャラクター達が生きてきた…とでもいうのでしょうか?
今、言葉にできないこの感覚が誰かの必要とするものへ変換できる兆しなら諦めはしない。
それが安らぎなく続く自分の戦いであるのなら。
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