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Indulge in carnal pleasures

売る為に物語を薄くする行為が自分は苦手だった事を思い出しました。

哀しみの反動は空虚な譫では無くて確かな温もりの可能性もある。

現代はその温もりを解き明かす事を規制しているのでここに記すのは辞めておきます。

ある方に憧れて慣れない詩を綴ってみていました。
思春期の誰しもが書くことは大抵恋愛だ。
義務教育時代で楽しめるものなんての大抵は恋愛と勉強と、後はやめておこう。

今回の投稿のきっかけは、あるVtuberがラジオ形式で視聴者に投げかけた言葉だった。

薄っぺらい。

余りにも薄い。

地獄少女で骨女というキャラクターが、甘酸っぱいトークで売っているラジオに対するカルチャーギャップを私も受ける事になった。

薄いだけならまだいい。
聞く必要がないのだ。

その視聴者は他の方にとっては大した経験ではなくても真剣に悩んでいる可能性はあるのでは?
これが最初から台本ありきのものだったり、ただ仲間内の配信者でのやり取りなら

「信用出来ないなあ」

と感じていたかもしれない。

しかし恣意的の可能性かもしれないが、
「変わりは誰にでもいるから何か言われたくらいで何も感じず、空でも見ていればよい。」

だなんて応援している相手の口から聞きたいセリフですか?
売る為に色々と工夫していたから今の地位にいるかもしれないのにそんな事を平然と言っちゃうのあーた?

それ以来、私は配信者をやるという願いを完全に捨てました。

「あたいそんな安かないわよ。」

と心の底から思っているフリーターの私は(※フェミ的な意味は全くないです。誤解を受けたらごめんなさい)そんなトークが出来るからクリエイターだなんて言われたらショックすぎる。

だからこそ私は「lust」を綴る必要がある。
何故ならそれは技術に頼る分野ではないからだ。

裕福な人間も嫌悪感を覚えている。

スタンダードに生きている人間も己の生き方が当然とばかり思っているわけではない。

貧しい人間もいつも鈍しているわけではない。

見える華に潜む棘。

我が身を貪れぼ毒を浴びる事になる。

ただそれだけ守りに徹していても温もりは得られまい。

遠回しかつ陳腐な話し方になりましたが私が投稿していきたいものは誰もが経験した別れと殆どが忘れている大きな幸福。
その狭間に居て、何も得られなかった嘆きと感動を伝える必要が出てきた。

悲しくはない。
大なり小なり皆はそれを経験している。
ただ、何も満たされないからといって自分を無視し続ける感情の放置が客観的に見ていて居た堪れない。
その慟哭を忘れられないから自分は生きている。

何度も打ちひしがれたのに、自分の先が見えているからかまた今ある景色の今後を観たくて足掻いている。

それはきっと幸せを目指しているからではなく、手探りから見つけていく動機なのかもしれない。

古く遅れた概念に縛られる謂れは無い。
目的を建てられたのなら、後は広く狭い荒野から視野を広げ研究するまで。

そこで最近、美輪明宏さんの楽曲や本を知るようになりました。

「無償の愛」に至るまでの葛藤。
後ろ指を指す者たちへ返す刀。
「幸せ」に囚われた結末。

烏滸がましいのですが、どれも他人の気がしないのだ。
改めて私だけが醜いわけではなく、あの方は綺麗事で立ち直ってきたわけでは無いのかもしれないと思う。
自分の場合はせめて、書き手としての側面を様々な視点から出来る範囲で書き散らそうと思います。
私が美しさと醜さを誤解している可能性があるから。

私もいずれ死ぬ。
ヒトカラは良くやりますが、偶然にもそれは望み通りの娯楽かつコーラスとでも言えましょう。

愛の讃歌はまだ歌えませんが。

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