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「歌舞伎町の女王」終盤の歌詞見たくなってしまった

※個人の感想です。

  自分で小説書いてどうしても引っ掛かる。
  ただ暗い末路を書きたいわけじゃなくて、そこに「この主人公ならこの方法を考えてこう動く」先に希望が足りないと。

  本当は言いたくは無いのです。
  ただ控えめに言って今年夏以降は

こんなはずじゃなかった!


と叫びたくなる。

  「ホラー系統書いていて何言ってんの?」
  と言われそうなのですが…ホラーは個人の快楽を埋め直すものではなくて、「こういう人間にならないように気をつけなはれや!」
と教訓やテーマ性があるものかもしれないと私 個人は考えております。

  「うみねこのなく頃に」ではないのですが自身の物語には、
  「愛が足りない」と最近悩んでいます。

  ハッピーエンドやバッドエンドまでいかずと  も、自分の人生経験で希望を見出した事実から目を背けて「俺(私)可哀想」は何か違う。

  自作の場合、暗い作風の方が評価は高い。
  でもそれだけではなく、私があの時あの場所で誰かに助けてもらったことや立ち直れた事実を形に残して起きたいのに…。

  「今夜からはこの街で 娘の私が 女王」
  みたいな苛烈な願望を叶えたいわけではなかったのに、どうしても
  「一度栄えし者でも必ずや衰えゆく」を淡白に怖さを交えて書いてしまう。

  前まで書けれたものが書けれなくなってし まう苦痛は数多くの収益化や承認欲求を満たそうとした方々(※皮肉や悪口ではなく本人達の嘆き をお聞きしたことがあって)のしんどさってここにあるのかもしれません。

  これを「過渡期かとき」とよぶ状態なのかもしれない。
  答えは見つからないまま、どうしていこうか悩み中です。

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