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反REALITY
※個人の遺志です。
私は自作に求めるハードルが高い事をチェックした。
「あまり親子関係やきょうだいについて書くのはNGにしたい。
何故なら産まれた時から家庭不和だから。
サザエさんよりちびまる子ちゃんの方が闇深いしリアリティがある。
見てくれの良好関係なんて今時つまらない。」
や
「夢が破れる前のZ世代が希望を持ち足掻く姿に着色をしないように努めよう。
現実的な流行りよりも叶う事ないフィクションを求められたらどうするつもりか。
一考の価値はある。」
だとか
「似た事を五十年繰り返すボケジジイやボケババアを題材に概念的な何かが偶々そいつらに溜飲を下す結末を描いてみたい。」
もういっそ書いてしまえばいい。
自分自身の注文が多すぎる。
更に外の規制や求められているかわからないデータを参考にしたところで出来ることは限られている。
今悩んでいる。
これは良いことだそうです。
更にこのような話に助けられた事もある。
「上手く書けれるか分からないけど書いてみようって大事なことじゃないかな?」
そこで私は書く事を辞めずに済んだ。
書いても書いても尽きないネタ。
それはずっとこの世を愛していないからでしょう。
愛さなきゃ書けないと自ら封じていた。
時もあった。
上記のふとした励ましは私の幸福である。
仕事や人間関係を他者評価されるよりもずっと至福な。
ですが、その体験をしたのもつい最近。
更に言えば叶った出来事もある。
例えば、「敢えてコンビニの外で食べる一番好きなラーメンメシ。」
仮面ライダーギーツのニラムではありませんがそうした自分のみの大切にしたい経験が得られただけ安心する。
幸福や不幸というのは時代遅れでしかない。
何事も経験でしかないのだから。
私はかつてリアリティに凝っていた。
だがフィクショナリティの方が遥かに難しく手応えがあった時の感動は大きい。
それが起きたのも四年前。
だからやる事が無いと思い上がってしまっていたのかもしれません。
幻想≠フィクション。
大抵スタンダードな人間が望むものはいつになってもリアリティばかりで飽きる。
「そんなのは自分の人生だけにしてろ!」
と私の一感想を述べさせていただきます。
まあ付け焼き刃の幸福なんて難しくない演技ですから。
なおの事、取り組むにはいい題材だと仮説を立て遺しておく。
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