![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/103207526/rectangle_large_type_2_4b0241b5337b92610dea3f8d723e86d5.png?width=800)
サイダーのみたい
※個人の蓄積です。
この記事の結論…伝えたいことは
『個人差による』
『発想による』
『人による』
ですが、それだけでは物足りないと感じた私の過去を記事にします。
東京03さんのネタ、『蓄積』とほぼ同じ状況なので『私の蓄積』をお伝えします。
別に蓄積のモンスターだと思われても事実だから仕方がないとしか言えないですし。
備忘録としてnoteに記録。
☆かつて
私は別に幸せになるかどうかで好きな事をしてるわけではない。
というより皆そうかもしれません。
今にして思えば旅ブログや旅館の番組を観ても
「そこへ行ったら面白そう」
程度の認識だったのが、初期にあった語気の強いタイプの行動に『何故か』憧れるようになってしまって旅をする事や海外に行く事が救いみたいな認識になっていった記憶やそんな流されやすいタイプに出会った事で疑問に感じた。
何処までいっても学校体質というのが残念な現実。
相手の体験や話は例え面白くても話半分なものでしかなくて、別にそれが救いや安心感へ幸せに導くか?と言えば「たまたま補正のかかってるインターネットで自分が見つけたから特別感があったエピソード」に過ぎないだけ。
こんな当然の事に気付いたのが四年前だ。
そもそも私はクラスだとかやたら行動力の高くて指図する裕福そうな人間を見たら真っ先に当時の友人に(※コンプラを守りながら)
「ストレス溜まるんだよねあの手の〇〇」
と愚痴って共感を貰えた記憶がある。
最近で言えば絵師活動をやめた人がいて、哀愁のあるSNSでの発信の仕方を間違えて後悔したエピソードの持ち主が理想論だらけで何の参考にもならない二千円もする本をべた褒めして
「自分だけじゃないんだあ」
とズレた事を綴っていたのを見た時に
「この程度で?」
と思って冷めた記憶がある。
パーソナルの話はナンセンスですし他者の事を偉そうに言う資格はないのですが
生々しい!
「才能だけ評価されただけの人間の化けの皮が剥がれただけか。」
と感じて以来、芸術関連ではなるべく作品の世界観を大切にしているプロを応援する事に決めた。
才能や見てくれや権力や肩書きがあってボランティアをしていれば良い奴だと思われてリターンがあるから仕方なくやってるという下心があり過ぎて気持ち悪い、感情の動物さを許容しすぎて一緒にいたくない胡散臭いタイプ(※金を稼いでいるのは置いておくとして)は『地雷』だと認識している。
見返りを得る為にボランティアや教師になりたいと行っていた今ならアラフォーの人かもしれない人間がいましたが『不幸にならない為に頑張る』だなんて余計に悪化するだけ。
闇を美化することは誰にも出来ませんよ?
もし上記の人が純粋な感想で言っていたり、ただ思った事を書いてしまっていた、無理やり書かされたか作者とその本に本当に救われた等の余っ程な理由なら兎も角。
(※その場合は当時の私の感覚がズレている可能性が高いので改めます。)
要するに捉え方の違いや好みの違いは個人の発想が大元の可能性があるので難しいなと感じます。
そんな人達の言葉に流されるのを自分も経験するようになって仮説を立てられるようになった私も大差ないなあとため息が出てから反省している。
あんだけ義務教育時代ではカースト上位に振り回されてる人達を時に笑いながら相棒や地獄少女で描かれる人間が生み出す地獄を見ていたのに。
当時の自分に言える事は
「自分の発想が周りと違う事を恐れながら、それでも集団に従ってまで孤独を紛らわす事が怖いか?」
と伝えた方がいい気がした。
「孤独と集団の中間を経験するだけでいいじゃない?
そういう経験は想定外の繰り返しによる必然なんだから、安易に決めつけたり結論を出さず、積み重ねていくのも自分の人生じゃない?
」
と自分へ踏み込むタイミングが来て、
「自分はどう過ごしたいのか?周りに何か言われても流されないようにやっていこう。」
と自分の中で進展がありました。
ずっと同じ事なんてない。
だからって他者の出来ている事を自分に当てはめてそれが出来なくて自己否定は辛すぎる。
そう思っても…なぁ…
という繰り返しにいると、上記の自称絵師も宙ぶらりんだと誰かに言われて傷付いていた中でのあの発言だったかも知れません。
別にその人に近付きたいとは一切思いません。
人が追い詰められた時に見るのが『夢』と『希望』。
天国が美化されるといっても足掻いて生きた世界とはきっと違うし、そもそも存在しない。
思っていた幻想とは違うディストピアかも知れませんし、地獄では無いだけの場所だと感じるのでそんな現実逃避はしません。
この世が地獄なのです。
上記の人達を見たら、善行なんて人間に出来やしない。
出来るのだったら『原罪』なんて言葉はありません。
私も誰かを傷付けてきたし、私も誰かを未だに恨んでいる。
そもそも人間はマイナスをプラスに出来る存在じゃない。
マイナスからゼロに出来ないかを足掻いていく事が
精一杯の弱い生き物。
プラスに出来るのなら生きづらさや課題、格差なんて生まれないですし性悪説が出てこなかった可能性もある気がします。
そんな理想はない!
だとしたら自分達はどうやって生きていくのか?
ずっと虚構の幸せを夢に見る生き方も選択肢としてはありかもしれません。
私はとっくに経験しましたが。
☆結局
そんな自分の居場所が見つかっても見つからなくても、逞しく生きていきます。
長々と語りましたがそれよりもサイダー飲みたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?